(THE CURBSIDE CHRONICLE – USA 2013年9月2日掲載)
I’m homeless, not dogless
愛犬は飼い主にとって、とても重要な存在である。それは、ホームレスのコミュニティーであっても変わりはない。 変化が激しい不安定な生活の中で、愛犬は忠実に側にいてくれる。生活が苦しいときは癒しの源になり、日が暮れると番犬になる。アメリカでホームレス生活を送るライター、クリムソンさんは自分の犬への愛情と、オクラホマ州で献身的に進めている野良犬の援助と里親探し活動について書いた。
愛犬は一般家庭において、とても大切な存在であるのと同じように、ホームレスのコミュニティーにとっても重要な存在である。犬は不安定な生活の中で、支えとなってくれる忠実な友だちであり、コンパニオンである。苦しいときは癒してくれ、街灯が点くころになると番犬にもなる。私はホームレスで家を失ってしまったが、愛犬を失うことは無かった。
私は7人の仲間と一緒に、元生鮮食品店で、火事で焼けてしまったウェアハウスに住んでいる。焼け跡の部屋を住める場所に変えるのは難しい作業だけど、みんなでうまく改造をした。私は14年間ホームレス状態で、テント・シティ(テントでつくられた仮設住宅地)や廃ビルを転々としてきた。家族はアメリカのあちこちにいて、ドイツに住む親戚もいる。路上の生活はものすごく不安定だ。そばで慰めてくれる友だちや家族がいないとき、飼っている犬が頼りになる。私が傷ついたときも、彼らは絶えず私に喜びを与えてくれる。
動物への愛情が芽生え始めたのは私がまだ幼かったとき。その頃、私の家族は常に移動をしていた。移動遊園地の一団の一員としていろんな場所を訪ね、10日ごとに違う町を訪れていた。そのため、私は同い年の友達をつくることができなかった。動物を好きになったきっかけはそこにある。母は私の姿が見当たらないときは動物たちと遊んでいるのを知っていて必ず動物がいる小屋まで探しに来てくれた。ショー用の馬の飼い主たちに恐る恐る声をかけ、何でも良いから手伝わしせてほしいとお願いしたりもした。馬の毛をブラシでとかし、餌を運び、一度は、赤ちゃんヤギの出産の手伝いをしたこともある。
父は移動遊園地の乗り物を動かすメカニックで、母は乗り物のチケットの売り子だった。10歳のとき、私はその遊園地の見世物小屋の見世物の一つになった。蛇や蜘蛛やトカゲがいっぱいいる幅1.5メートル、高さ2.4メートルの檻のなかに座る役で「ジャングルガール」と名づけられた。親に髪の毛をボサボサにセットしてもらい、手を泥だらけにして、皮のパンツとヒョウ柄の服を着て登場した。カーニバルが終わって食事をしに街まで行くと、いろんな人が私のことをジャングルガールとして覚えてくれていて、私が喋れることに驚いていた。
今は路上で暮らしているけど、動物への愛情は昔と変わらない。オクラホマシティーの路上には捨てられてしまったペットがたくさんさまよっている。動物たちはやせ衰え、虐待を受け、闘いの傷だらけだ。私が以前飼っていたハーレー・ダビッドソン(以下:ハーレー)という真っ白いチワワも、出会いは路上だった。第10番ペン通り沿いに座っていた私にハーレーが近寄ってきたのだ。骸骨のように痩せこけていて、首の左側には大きく裂けた傷があった。私はハーレーを連れて帰り、健康になるまで3ヶ月くらい看護を続けた。
ある日、ハーレーを町の配食施設(Rescue Mission)に連れて行ったとき、そこにいた牧師さんがハーレーに一目惚れをして、ハーレーを引き取ってくれたのだ。新しい家族と過ごして数ヶ月たった後のハーレーの写真を見たときは驚いた。豚みたいに丸々と太っていて、首の傷跡がなければ、あの日第10番ペン通りで会った虚弱な犬と同じ犬であることがわからないくらいだった。
私はこれまでに、オクラホマシティーで60匹の犬に新しい飼い主を見つけた。犬の世話と里親探しはとても難しい仕事である。多くの場合、里親の募集ができる状態までに野良犬の健康状態を快復させるため、自分で餌や医療費を出さなければならない。ワクチンや不妊・去勢処置、餌やリードなど、ペット用品を安い価格で提供しているボランティア組織の 「Spot Clinic」や「Pet Pantry」「Ice Angels」とも協力している。
やりがいがあるから続けているのではない。ついつい助けてしまうのだ。動物が好きすぎて、路上で苦しんでいるのを見るのが耐えられないからだ。私自身、今2匹のチワワを飼っている。名前はミッシーとマグナム。数日前に子犬連れのメス犬を見かけたとき、私は一緒にいる夫に向かって思わず「見て...」と声をかけてしまったけど、「ハニー、今は無理だよ」と言われた。今は、自分たちが食べるのさえ厳しい状況だからだ。
野良犬たちにどれくらい助けの手を差し伸べられるのか、自分たちの限界を知るのは大事なことである。しかし、動物が好きすぎて全員を助けようとする人もいる。例えば、14匹の犬と一緒に狭いワンルームのアパートで暮らしている友達がいるのだけど、それは路上でほったらかしにするのと同じくらい残酷だと思う。
私は愛犬たちがきちんと食事ができ、健康でいられるために自分のことを犠牲にすることもたくさんある。自分の食費を犬に使うこともあるし、一度は、食べ物を買うために祖母の残してくれた首飾りを売らなければならなかったこともあった。助けを求めるのはいつでもできるけど、人の施しを請うことがどれほどつらいのかは、実際にその立場に立ってみないと理解はできないだろう。
自分の生活状況に関わらず、これからも野良犬たちに「ホーム」を見つける活動を続けたいと思っている。動物はとても大切な存在であり見捨てるわけにはいかない。彼らは恐くてもどこかが痛くてもそれを言葉で表すことができないのだから、彼らが「声」を上げることができるか否かは、私たち次第なのだ。
ペットをこれから飼いたいと思っている人は必ずそのために必要な環境を備えよう。そして、ブリーダーから買うのではなく、保健所や里親募集の告知をまず見てほしい。
あなたは動物に対して私のような愛情を感じていないかもしれない。けれど、動物に対して誰がどんな考えを持っているかに関係なく、動物は思いやりのある扱いをうけて当然なのだ。動物は喋れない。だから、私たちが代わりに彼らのために発言しなければならないことを忘れないでほしい。