マーシャル諸島、
アバッカ・アンジャインさんが福島を訪問:第五福竜丸を描いた『ラッキードラゴン』も鑑賞
マーシャル諸島共和国の元国会議員、アバッカ・アンジャイン・マディソンさんが、8月11日から13日まで福島市に滞在し、県内外の大学生や住民らと交流した。
マーシャル諸島では1946年から58年まで、米国の原水爆実験が67回行われ、特に1954年3月1日のビキニ環礁沖水爆実験「ブラボー実験」(ビキニ事件)では、アバッカさんの親族が暮らしたロンゲラップ環礁を含む風下地域が甚大な被害に遭い、住民が下痢や嘔吐などの急性被曝症状を訴えた。今も被災者の救済の遅れが問題になっており、ほとんどの人が自分の土地に戻れていない。
アバッカさんの父チェトン・アンジャインさん(故人)はビキニ事件で被爆し、国会議員として米国に賠償を求めるマーシャル諸島核実験訴訟プロジェクトを推進。叔父のジョン・アンジャインさん(故人)も被爆後、健康被害の実態の記録調査や被爆者リスト作成に尽力した。
アバッカさんは原発事故で多くの人が避難した楢葉、広野、富岡町を視察。崩れたままの家並みや住民のいない富岡町の様子に、「住民がここにどれほど愛着をもっていたか、とてもよくわかります。悲しい、寂しい風景です」と語った。
また、福島県立美術館では学芸員の荒木康子さんから説明を受けながら、ビキニ事件で亡くなった第五福竜丸の乗組員・久保山愛吉さんを描いたベン・シャーンの絵『ラッキー・ドラゴン』を大学生らと鑑賞した。「久保山さんの手足、喉が白くなっているのは、ここに『死の灰』を浴びたという意味ではないでしょうか。もし久保山さんが持っている手紙の中にもう1フレーズが加われば、もっと素晴らしい作品になったに違いありません。そのフレーズとは『放射能の被曝により死亡するのは私が最後』です」。そう語り、静かに絵を見つめていた。
(文と写真 藍原寛子)
(2014年10月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 249号より)
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