「避難してもしなくても、あらゆる選択を尊重する」子ども被災者支援法から2年
「原発事故子ども・被災者支援法」制定から2年。6月20日、永田町の参議院議員会館で開かれた記念集会では、被災者や避難者、支援者らが参加し、国の支援施策がいまだに不十分な現状を訴えた。時間の経過とともに、被曝の低減、雇用、住居確保など多岐にわたる問題が深刻になっており、国への一層の支援策の働きかけや、法理念の実現に向けた取り組みの重要性が再確認された。
福島県富岡町から神奈川県に避難した坂本建さんは、東日本大震災により避難を余儀なくされた人を支援する「避難・支援ネットかながわ」代表として、避難先でのコミュニティづくりの支援や情報の受発信などを行っている。「同居していた2世代、3世代がバラバラに避難し、孤独死や、親を看取ることができなくなっている。その声をどうやって拾い上げていくのか。一歩でも今の状況を改善していけるよう、取り組んでいきたい」と語った。
福島市から北海道に避難した中手聖一さんは「支援法をつくる時、『当事者が引き裂かれてはならない』と訴えた。その結果、『避難してもしなくても、あらゆる選択を尊重する』と全会一致で成立したのがこの支援法であり、宝物のように大切なもの。今も命がないがしろにされようとしているが、『あきらめない、ぶれない、こびない』(きょうされん藤井克徳さんの発言)姿勢で、人権を守っていかねばならない」と訴えた。
集会に出席した福島県内外の避難者からは、震災と原発事故に伴う避難の繰り返しによる精神疾患や突然死の人が現れている状況や、福島県内に自主避難して支援法の対象から外れてしまった事例、健康影響の問題などが指摘された。
大熊町から会津若松市に避難している「大熊町の明日を考える女性の会」代表の小幡ますみさんは「骨肉腫や、原爆ブラブラ病のように、体調が優れず、入退院を繰り返している人がいる。まずは、被災者のさまざまな体調の異常を地図に落とす『被災者の健康マップ』を作って、現状を把握してはどうか」と提案した。会場からは「健康マップ作りはぜひやるべきだ」と、支持する声が続いた。
このほか、子ども被災者支援議連事務局長の川田龍平参院議員からは、医療や健康調査に向けた法案の提出に向け、議連で素案の検討をしていることが報告された。
(文と写真 藍原寛子)
(2014年7月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 244号より)
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