ムニール・エムキデ は2012年にシリアから英国に渡ってきた。難民として逃げてきた他の父親たち同様、彼も家族を祖国に残してくるしかなかった。ストレスフルで不安な一年を過ごしたあと、ムニールはついにスコットランドのグラスゴーに妻と四人の子どもを呼び寄せることができた。彼の奮闘は家族に安全と未来への希望をもたらした。
記事:Alison Gilchrist
手作りのシリアのお菓子とショートブレッドで家族団らん
グラスゴー、メアリーヒル地域の広々と明るいムニールの家は、新しい人生をはじめるには最適は住まいだ。彼を訪ねると、手作りのシリアのお菓子とスコティッシュ・ショートブレッドでもてなしてくれた。
「この地に来て本当に良かったよ。とっても幸せだ」彼は言う。
「地元の人々にも歓迎され、スコットランド人の友人がたくさんできました。家族とも再会できた今は、ここが自分の祖国と感じられます」
ムニールと家族は、シリアの内戦初期に最も激しい攻撃にさらされた南シリアのダラアという町からやってきた。
ムニールは2012年に英国に渡航。彼がグラスゴーに落ち着く一方で、家族は何とかヨルダンに逃げ出し、そこで8ヶ月を過ごした。
「ダラアはアサド政権が空爆した最初の地域です。ダラアを皮きりにシリア国内全体の空爆を始めました」
「死ぬわけにはいかなかったのです。家族も死なせるわけにはいかなかった」
離れ離れの8ヶ月間ののち、赤十字社の助けにより、ムニールと家族はグラスゴーで再会を果たすことができた。
家族を残して渡英。家族が安全に再会するために避けて通れない工程だった
多くの難民と異なり、ムニールは観光ビザで直接英国に渡り、到着した空港で難民申請をし、ほどなくして認定された。亡命するためとは言え、妻と子どもたちを残しての渡航はとてもつらかったと彼は言う。それでも、家族が安全に再会するためには避けては通れない工程であることも知っていた。
「それが定められた手順とルールなのです。念のため、その通りにするしかなかったのです。英国政府の移民担当者は、私の家族が本当に私の家族と子ども達に間違いないか確認しなくてはなりませんでした」
「その調査期間は、私にも家族にとっても、とてもつらい日々でしたが、最終的に家族とこうして合流することができました」
新しい地で成長する子ども達の将来、そしてシリアで暮らす母親への想い
ムニールは現在、妻と四人の子どもと暮らしている。家族が再び一緒になった今、ムニールは子ども達が新しい地スコットランドで成功し、幸せな人生を送ってほしいと願っている。
「長男はエンジニアになりたいそうです。グラスゴーの二つの大学から条件付きの申し出が来ているんですよ」とムニールは誇らしげに言った。
「せめて成績でAが二つ取れるように祈っています。グラスゴー大学で学ぶことは長男の夢なので」
ここまでムニールの話を聞いたところで、息子たちが話の輪に加わった。子どもの頃から親しんだお菓子を食べながら、それぞれのお菓子の材料や作り方を嬉しそうに解説してくれる。
「あのお菓子は中にナッツが入っているんだ。ピスタチオっていうんだっけ?」と、19歳のカレッド。
スコットランド生活も3年になり、カレッドも兄弟たちも新生活にとてもなじんでいる。
「下の子二人はグラスゴー訛りの英語を喋るんです。たまに聞き取れないほどですよ」ムニールが加えた。
手作りのシリア菓子がきれいにみんなのお腹に消えたところで、祖国シリアに何を望むか聞いた。
「85才になる私の母は今もシリアで暮らしています。紛争が続いているうちは、母との再会は現実的ではないでしょうね」
「悪者たちがやめ、内戦が終わったなら、そのときは、シリアに帰国したいと思っています」
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