復興住宅の200世帯、高齢層が多く互いに助け合うことも困難
11月22日午前5時59分ごろ、福島県沖を震源地とするマグニチュード7・4の大きな地震が発生。東日本の太平洋沿岸に津波警報、避難指示が出され、いわき市小名浜で60センチ、仙台港では1・4メートルの津波が観測された。 無事に避難できた人がいた一方で、避難から取り残された人や避難の困難さに直面した人がいるなど、避難の課題が浮き彫りになった。その一つが、高層建築の復興公営住宅に暮らす住民の避難だ。
「地震の後でエレベーターが止まり、移動できない車いすの障害者や高齢者は、復興公営住宅に取り残されてしまった」。そう指摘するのは、「大熊町の明日を考える女性の会」の木幡ますみさん。自宅が原発事故で帰還困難区域となり、会津若松市に避難。震災後に町議になった。大熊町役場の避難先の会津若松市と、仮設住宅があるいわき市を中心に、仮設住宅や借り上げ住宅を回って、住民の相談を受ける毎日を送っている。そんな中、今回の地震に遭った。
いわき市上神白の仮設住宅にいた木幡さんは、地震が収まった頃、下神白地区の復興公営住宅を回って、住民の安否確認に走った。下神白地区には鉄筋コンクリートの復興住宅が6棟あり、大熊町、浪江町、双葉町、富岡町など、被災自治体からの避難者約200世帯が暮らしている。
そこでは、復興公営住宅に取り残された高齢者や車いすの障害者がいたのを確認。その後も続く余震で、大きな不安を抱いていることがわかった。
「元気な人や自力で家の外に出てこられる人は、車に相乗りして避難することができた。車いすの人は2階、5階などばらばらの階にいて、自力で避難することができなかった。デイサービスの職員が来て避難できた人もいたけれど、復興公営住宅には高齢者が多いため、車いすの人や病気の人を連れ出すことができなかった棟もあった」
復興公営住宅へは、移れる人から順番に入居したために、足の悪い人や車いすの人でも上層階に入居した人がいる。また、入居者の年齢層が高いので、お互いに助け合いながら避難することを困難にしている。
地震の後、避難住民の安否確認に走った木幡さん
避難時には道路渋滞
要支援者の情報を共有できず
復興公営住宅は、上層階に避難すれば津波を避けられるという想定で「津波避難ビル」になっているが、実際には、足腰や体が不自由な人は、玄関先に出ることすらままならない。建物の中に取り残された場合、食料や医薬品不足で、生命の危機に瀕する可能性がある。
「復興公営住宅への入居の際、なぜ若い世帯と高齢者世帯を一緒に入居させないのかと指摘する声があったが、この不安が的中した。今回は短時間で避難解除になったからよかったが、問題は解決していない」と木幡さんは言う。
いわき市内では、沿岸部から内陸部に避難する車で道路渋滞が発生した。徒歩で高いところに避難できればいいが、高齢者が短時間で移動し避難するには車が必要になる。しかし、その解決方法は見えていない。
いわき市の災害対策本部(危機管理課)も新たな課題と直面することになった。同市には浜通り(※)の被災自治体からの避難者が多く生活している。避難元の自治体ごとに、避難の際に支援が必要な障害のある人、難病の人など「避難行動要支援者」を把握しているが、今回の避難では、その情報をお互いに共有できていなかった。いわき市では11月5日に総合防災訓練を実施したが、復興公営住宅が建つ下神白地区は対象に含まれておらず、本来は訓練の段階で抽出されるべき「復興公営住宅の避難の問題」が認識されなかった。
同市は「自治体が持っている要支援者情報の共有については残念ながら話が進んでいない。車の渋滞の問題も含め、検討課題が残った」と話す。
木幡さんは言う。「原発事故後、高齢者だけの世帯、単身世帯、老々介護が増えた。復興公営住宅に移ってから、知っている人だけでも8人が脳梗塞や心筋梗塞、がんなどで亡くなった。みんな心のケアが必要なんです」。課題を抱えたまま、余震の心配も消えない。
※ 福島県の東部に位置する海沿いの地域
(文と写真 あいはら ひろこ)
あいはら・ひろこ
福島県福島市生まれ。ジャーナリスト。被災地の現状の取材を中心に、国内外のニュース報道・取材・リサーチ・翻訳・編集などを行う。