生涯被曝、住民帰還区域で推計調査
飯舘村、今後70年で30~183ミリシーベルト
3月31日から4月1日にかけて、原発事故後に指定された「居住制限区域」「避難解除準備区域」が、浪江町、飯舘村、川俣町山木屋、富岡町で解除された。震災から6年間、避難先の仮設住宅や借り上げアパートなどで暮らしていた被災者の中には、この指定解除に伴って、再び本来の自宅に戻り、生活を始めた人がいる。
国際環境NGO「グリーンピース・ジャパン」は2月、これまで住民6000人が避難していた飯舘村で、除染作業後の屋外、屋内での測定調査結果を発表。村の中心部か山間部かという立地条件によって異なるものの、帰還した場合には、2017年3月以降、70年間の生涯被曝は累積30~183ミリシーベルトになる可能性がある、という結果になった。
飯舘村で放射能を測定する調査員
写真提供:グリーンピース・ジャパン
調査は15年、16年に7軒の民家とその周辺で行った。ドローンの上空撮影をもとに、水田や山林、宅地を10から15のゾーンに分け、各ゾーンを格子状の200から400のポイントに細分化。地表から高さ1メートルで測定器を持って歩き、測定器をGPSでつないで1秒ごとの線量から敷地の平均線量を出し、放射能レベルの低下を考慮し推計した。
また、民家の屋内も調査。国は、屋内の放射線は建物に遮られて屋外の40%と試算している。屋外平均値は0・7マイクロシーベルトだったため、国の試算に沿うと、屋内は年間2・5ミリシーベルトになると予想された。しかし、台所、トイレ、居間などに個人線量計(ガラスバッジ)を設置して測ると、線量は年間5・1~10・4ミリシーベルトと、予想値の2~4倍程度上回った。
屋内を調査するヤン・ヴァンダ・プッタさん
写真提供:グリーンピース・ジャパン
調査に当たったグリーンピース・ベルギーのヤン・ヴァンダ・プッタさんは「飯舘村で現在、毎時1マイクロシーベルトの地点は年間追加被曝約5ミリシーベルトが予想され、政府が長期目標とする年間被曝1ミリシーベルトの5倍。ここが1ミリシーベルトまで下がるにはあと50年はかかる推計。しかも戻った住民は被曝し続けることになり、異議がある」と語った。この減衰予測は、飯舘村の100軒以上を調査している今中哲二氏の先行調査と同様の理論を検証の上、採用した。
今後、除染は「面」から「スポット」へ健康無視の帰還政策との批判も
日本政府は年に1回、航空機モニタリングと、地上からの測定という二段構えで土壌測定を行った。除染の後、年間積算線量20ミリを下回った地域では住民を帰還させると決めた。同時に17年4月からは、これまでの大規模な「面的除染」は「完了」したとして今後は行わず、局地的に線量が高いところが見つかれば、地元の自治体と協議して除染していく「スポット除染」へと縮小・移行する。
「ふくいち周辺環境放射線モニタリングプロジェクト」の小澤洋一さんは土壌測定や除染の不十分さや住民の不安から、浜通りの南相馬市で避難指定が解除された地域を中心に、地元の人たちで民家の測定などを行っていると言う。「土壌汚染も含めてしっかり測っていけば、放射線労働者の被曝防護を義務づけられている放射線管理区域以上のところや、チェルノブイリ事故後の避難区域レベルクラスの地点はどんどん出てくる。そういうことが十分に住民に知らされていないし、議論されていない」という。
グリーンピース・ジャパンの報告では、調査結果にもとづき、「除染の効果は限定的」であり、「日本政府は、 生涯被曝線量の潜在的なリスクを含む科学に基づいた分析をしない、福島の人々の健康を無視したままの帰還政策を続けてはならない」とレポートで批判している(※)。
世界でも初めて、原発事故後の放射能汚染地域を大規模に除染し、その後に再度、帰還・居住させるという政策を取った日本政府。この調査の結果で、住民の被曝が避けられないことと、除染が万能ではないことが改めて明らかになった。
人間が生きるベースの大地が汚染された今、被曝の影響を多角的に測定し、汚染が深刻であれば、国が責任をもって、より影響の少ないところに避難させる――という根本的な対策も選択肢も示されないまま、戻った住民の生活が各地で始められている。
(あいはら ひろこ)
あいはら・ひろこ
福島県福島市生まれ。ジャーナリスト。被災地の現状の取材を中心に、国内外のニュース報道・取材・リサーチ・翻訳・編集などを行う。