身体の骨が折れやすい特質のある身体を抱えながら、子どもを連れ、電動、手動の車いすを持ってニュージーランドに避難した福島市生まれの女性がいる。安積遊歩さんがその人だ。「震災が起きて原発が爆発した時、『私たちのような障害のある人が真っ先に被害を受ける』と思いましたね。だからニュージーランドへの避難は当然のことでした」。その後、2014年2月に帰国し、現在は札幌市に避難している。
ニュージーランドに避難した当時を語る安積遊歩さん(札幌市で)
差別や虐待は幼少期から。学校や病院は安全な場所ではなかった
安積さんが、瞬時にそう決断した背景には何があったのだろうか?
話は幼少期にまで戻る。当時は医師が患者の意見を聞くことはほとんどなく、幾度も検査やレントゲン撮影、男性ホルモンの注射をされたという。幼かった安積さんは薄暗いレントゲン室が怖くて、毎回、「やめて、やめて」と泣き続けた。養護学校から普通校に転校すると、「骨の弱い子に来られちゃ迷惑だ」と校長に言われた。安積さんにとって、「学校や病院は時に、差別や虐待が〝正義〟になる場所。私にとってまったく安全な所ではなかった」。
話は幼少期にまで戻る。当時は医師が患者の意見を聞くことはほとんどなく、幾度も検査やレントゲン撮影、男性ホルモンの注射をされたという。幼かった安積さんは薄暗いレントゲン室が怖くて、毎回、「やめて、やめて」と泣き続けた。養護学校から普通校に転校すると、「骨の弱い子に来られちゃ迷惑だ」と校長に言われた。安積さんにとって、「学校や病院は時に、差別や虐待が〝正義〟になる場所。私にとってまったく安全な所ではなかった」。
その後、22歳で福島市での自立生活を始め、脳性まひのパートナーと暮らし始める。この頃、脱原発の活動をしていた高木仁三郎さんの講演を聞き、三春町の武藤類子さん(福島原発告訴団長)とも出会い、脱原発運動に少しずつかかわり始めた。
1983年28歳の時、民間企業の支援を受け、米国で自立生活のリーダーシップ・トレーニング研修を半年間にわたって受けた。「米国に行って初めて、自分は自分のままでいいんだとわかりました。日本では主張してもなかなか認められないことに生きづらさを感じてきましたが、米国は『人と違うことが当たり前』の社会でした」
帰国後、新しいパートナーと出会い、結婚を決意する。しかし、相手の親や兄弟に猛反対され、「車いすに乗っていると、家事や育児が満足にできない。稲刈りや農作業ができない女は嫁でも妻でもない」と言われた。そこで、安積さんは女性問題の本を読み漁り、ジェンダー問題に気づく。
許せなかった、原発事故直後の女子中学生を含む駅伝
深く息が吸える原発がない国へ
86年、ソ連でチェルノブイリ原発事故が起きる。事故後、大勢の人の命が失われ、放射線被曝による胎児への影響に対する危惧や差別が吹き荒れた。「自分もそこにいたらどうなっていたか……」。安積さんは11ヵ国の政府に手紙を書いた。「地震の多い日本での原発政策は、世界を滅ぼしかねない。日本政府に外圧をかけてほしい」。すると、ニュージーランド、オーストラリア、カナダの3ヵ国からビジネスライクながらも返事が来た。
その後、新たなパートナーと事実婚での暮らしを始め、長女の宇宙さんを出産。99年の年末から10日間、原発に誤作動が起きると言われていた「2000年問題」を恐れて、安積さんはニュージーランドに避難する。「腹の底から深く息が吸え、原発を持たない国の自然の美しさ、安全さに心から感動しました」
そして忘れられない11年3月11日。都内で家族と暮らしていた安積さんは、原発事故を知ってすぐに娘と友人と再びニュージーランドに避難。現地にいる間は、娘がインターネットでニュースを収集した。「震災直後、福島市内で女子中学生を含む駅伝をやりましたね。若い女性の安全を考えず、許せない気持ちでした」
娘の宇宙さんは現地の大学で勉強を続ける。この間、一人日本に残って放射能測定活動に取り組んでいたパートナーとは、娘の進学を機にそれぞれの道を歩むことになった。
日本に帰国した後は、講演会や執筆活動を通じて、女性や障害のある人への差別、優性思想、そして環境問題などを提起し続けている。「この原発事故では、政府も東電も誰も責任を取っていません。原発立地自体が差別ですが、事故後は出生前診断が広がり、障害のある人や子どもたちへの差別がさらに激しくなってきています。その問題をこれからも訴えていきたい」と話す。
(写真と文/藍原寛子)
あいはら・ひろこ 福島県福島市生まれ。ジャーナリスト。被災地の現状の取材を中心に、国内外のニュース報道・取材・リサーチ・翻訳・編集などを行う。 https://www.facebook.com/hirokoaihara |
*2018年12月15日発売の349号より「被災地から」を転載しました。
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