各国の政府はGDP(国内総生産)の数字を重視しがちだ。しかしたとえば森を伐採し環境が破壊されても、戦争のための武器を販売して死者が増えようともGDPの数字は上がるということは、残念ながら重視されていない。つまり、GDPという指標は、「お金の動いた総量」を示すだけで、決して地球全体や人々の幸せ度を示すものではないのだ。
GDPは「お金が動いた」ということしか示さない。
それがいいことに使われようと悪いことに使われようと。
経済学者サイモン・ クズネッツがGDPという指標を考え出した頃、タシ・コールマン博士は当初GDPを重要なものとして捉え、いかにすべてを漏らさずに全体を把握するか、ひとつひとつの産業、ひとつひとつ分野ごとに総生産というのを見極めて、それが全体としてひとつの経済がどういう状況にあるか示そうとしてきた。
しかし、コールマン博士は次第にGDPには大きな欠陥があることに気づくようになる。
まだ木が切られていない森、魚が取られていない海。母から子への授乳や、親による子どもの養護。地域活動やボランティア。そういった「経済行為とは関係のないこと」は、GDPの中に“価値”として存在していないのだ。
一方で、戦争、病人が増えて薬が売れ病院が繁盛すること、タバコなどの体に悪い商品が売れることは、経済行為としてGDPが上がる。
また貧乏な人がより貧しくなり、富裕層にお金が集まる状態-巨額が富裕層間でのみ流通し、格差が広がれば広がるほど、GDPは上がり続ける。
お金がいいことに使われていても、悪いことに使われていても、GDPには関係ないことなのだ。
「“だからといってGDPの何が悪いんだ”と言う人がいるかもしれません。GDPという指標を設計した人が意図した点においては、確かにGDPは素晴らしい働きをするわけです。GDPという道具が悪いわけではない。問題はその道具というのは、ある目的を持っているわけだけれども、その目的以外のことはできないということなんです。
つまり、GDPが測る経済行為が人々に幸せをもたらすのか、不幸をもたらすのか、害をもたらすのか、益をもたらすのか、という点になると、GDPはまったく機能しなくなるということなんです。でもそれはGDPとう指標のせいではないんです。」とコールマン博士は言う。
「それなのに、世界中の政府はGDPと言う道具を使い、GDPによって測れないこと、つまり私たちが今、幸せかどうか、私たちの状態がいい状態であるかどうかまでも測ったつもりになっているのではないでしょうか。」
実はGDPを考案したサイモン・ クズネッツは、GDPが計測できるものは限られており、私たちの状態が幸せかどうか、社会が健全かどうかを測るものではないと警告していた。しかし、世界の大半の人はその事実を見て見ぬふりし続けている。
様々な心ある経済学者たちも、GDPが測ることのできなかった「社会の健全さ」「社会の幸福度」をどうすれば判断し、測ることができるのかを考えてきた。しかし博士には「自分たちの社会が幸せだという指標があるのなら、なぜどの政府も使ってないのか」が長く疑問だった。
環境のこと、コミュニティの活力、平和…社会の持つ様々な側面を測る指標が「GPI」
自然環境や民主主義も含めて国民の幸福度を測るのが「GNH」。
GDPに代わる指標として、1995年に米国アメリカのNGO「リディファイニング・プログレス」によって開発された指標:GPI(※)では、森の状態がどうであるか、海や川、そこに暮らす漁民の状態、土壌が健全であるかどうか、コミュニティの活力、平和に保たれているかどうか、といった社会が持っている様々な側面が、そこに総合的に反映されている。
また、ブータンはGNH(Gross National Happiness、国民総幸福度)という指標を採用している。GNHは4つの大きな柱からなっている。
1つめに自然界が健全であって、生態系が健全であること、2番目は経済が公正で、持続可能であること、3番目が民主的な政治が行われているかどうかということ、4番目は伝統的な文化が維持されているか。それらの4つの柱の中に組み込まれた各項目が、人々の幸せに役立っているか、どうかを測っている。
※ブータンの1人当たりの国民総所得は1,920米ドル(世界銀行,2010年)であるにもかかわらず,国勢調査(2005年)ではブータン国民の約97%が「幸せ」と回答。(外務省ホームページより)また上記4本柱のもと,9つの分野にわたり「家族は互いに助け合っているか」「睡眠時間」「植林したか」「医療機関までの距離」など「幸福度」に影響すると考えられる72の指標が策定され、その指標のスコアをあげるために必要な政策が取られている。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol79/index.html より
そして2012年、ブータン政府は、首相が国連でこの指標を世界中が採用するべきだと訴えた。新しい経済では、自然界の健全さが指標の中に組み込まれるべきだとした。
「そうやって数値化することが、政治家をはじめとする多くの人々に注意を喚起するために必要なのです」と博士は言う。
しかしNGO「リディファイニング・プログレス」がGPIを提唱しても、ブータンがGNHを提案しても、世界はまともにとりあおうとしなかった。GDPの在り方で経済の恩恵を受けている人たちが「いや、その考え方を基準とされるのでは困る」と抵抗したからだ。
化石燃料に依存しているインド政府がその例だ。隣国ブータンの自然エネルギーにシフトする提案を認めようとしなかった。
真実を示すのでは不十分。
一人ひとりが事実をもとに判断し、行動で示すとき
コールマン博士はスウェーデンの16歳の少女、グレタ・トゥンベリさんを“英雄”だという。
グレタという少女は、「世界中の大人たちが温室効果ガスを減らさないのであれば、私たちは学校に行かない」と訴えた。「それをしないと未来が破壊されるのに、どうして勉強をする必要があるのか」と。
その訴えは次第に人々を巻き込み、2019年3月には世界120か国で100万人の若者たちが「学校ストライキ」に参加した。
参考記事:子供たちのストは彼女から始まった─グレタ・トゥンベリを知っていますか? (外部サイト)
「一人ひとり、自分ができる場所でできることをやっていきましょう。これが種まきなんです。持続可能とは何なのか。それを一人ひとりが実現していく。そのうえで、グレタのような行動を起こしていかなければならない。」とコールマン博士は訴えた。
**質疑応答**
Q:貧困の中では安価なものしか手が届かないことが多いが、安価なものは環境に悪いものが多く、持続不可能なサイクルから抜け出しにくいのではないか
博士:自分でもできそうな小さなことから始めたらどうでしょうか。
たとえば、小さなことで言えば、プラスティックです。プラスティックのごみがあふれているおかげで、たくさんの生物が絶滅しています。だから、少しでもプラスティックを自分のまわりから、暮らしから減らしていく。
自分のやっていることが小さすぎると考えないでください。過少評価しないでください。
仏陀の教えの中心には、寛容ということがありますよね。人に与えることの重要性を説いています。私たちはその考えからずいぶん離れてしまっているように感じます。
※会では「プラスティックを一切使わないと子どもたちや若者が訴える、ということもできる」という案も出た。
Q:GPIの指標を浸透させていくために何ができるか。
博士:地域のレベルでGPIの活用するという手があると思います。
政府としては壁がありうまくいかないことでも、地域の自治体とか組合みたいなレベルであれば、官僚主義などに阻まれることなく取り組むことはできるのではないかと思います。
トリクルダウンならぬ、トリクルアップです。
もちろん、上から変えられる力を持っている人がいるなら、上下から変えていくのがよいでしょうね。
Q:GPIやGNPといった考え方に無関心な人たちにどう語ればよいのか
博士:どうやって無関心な人たちにアプローチするか。お金が好きな人たちとコミュニケートするためには、彼らの使う言語を使う必要があると思います。
きれいな空気のところに住んでいればかからないのに、大気汚染されている場所ではこれだけの対応費用がかかるとか。お金の価値しか信じられない人には、悲しいやり方ですがコストを突きつけるという手もあるでしょう。
写真提供:ナマケモノ倶楽部