病院にかかる時に気にすることといえば、アクセスや待ち時間の長さ、保険の適用範囲といったことだろうか。だがトランスジェンダー(生まれもった性別と自認の性が一致しない人)やノンバイナリー(身体的な性に関係なく、男性・女性といった枠組みを当てはめない人)の場合は、「ジェンダーに関する差別を受けるのでは」との心配が加わる。 健康保険証にある名前や性別が見た目と違うことで治療を拒否される恐れがあり、ときには命を落とすこともあるのだ*1。現状と対策について、ミシガン大学ソーシャルワーク准教授のシャンナ・K・カッタリが解説する。
*1 95年8月、ワシントンD.C.で車の事故に遭ったトランスジェンダーの女性タイラ・ハンターが治療を拒否されたために死亡。
トランプ政権下で激しく揺れる「ジェンダー」の扱い
「性別」は出生時の生殖器に基づいてあてがわれるもので、「ジェンダー」とは本人が自認する性をいう。米国国勢調査にも全国・州レベルのさまざまなデータ収集にも「ジェンダーアイデンティティ」を問う項目は設けられていないため、人口のどれくらいの人たちがトランスジェンダーやノンバイナリーにあたるのか実際のところは予測しがたい。だがある調査では、米国成人の約0.6%がトランスジェンダー、ノンバイナリー、ジェンダークィア、アジェンダ―など男女という二択に限定されない「ジェンダー・エクスパンシブ(gender expansive)」 にあたるとされている*2。最近はこうしたジェンダーアイデンティティを成人する前に自覚する傾向があり、 高校生では0.7〜3.8%とされている(調査による)。
*2 参照:https://williamsinstitute.law.ucla.edu/publications/trans-adults-united-states/
トランプ政権下にある米政府では、ジェンダーの定義からトランスジェンダーやインターセックス(男性と女性の生理学的性質を両方とも有するなど、性の発達が先天的に非定型的な人。医学的には「性分化疾患」といわれる)を完全に除外することも真剣に検討されているという*3 。そんなことになれば、彼ら彼女らの医療アクセスにさらなる問題が起こるのは間違いない。
*3 その後、トランプ政権はオバマ時代に設けられたトランスジェンダー差別禁止規定を覆す決定をした(2020年6月10日)。しかし、ニューヨーク連邦地方裁判所はその決定を差し止める判断を下した(8月17日)。
「トランスジェンダー恐怖症」が引き起こす差別は医療の現場でも
トランスジェンダーやノンバイナリーの人たちは、そうではない人たちよりも多くの困難を日常的に体験している。仕事や住まいに関する差別もあれば、パートナーから暴力を受けている率も高い*4。医療の現場で壁に直面していることを示す科学的エビデンスも相次ぎ報告されている。ほとんどの差別は、こうした人たちへの異常なまでの嫌悪感や恐怖心、いわゆる「トランスジェンダー恐怖症」からきている。
*4 DVは異性愛者間だけの問題ではなく、LGBTQのパートナー間でもより高い割合で起きている(特に、どちらかがトランスジェンダーの場合に発生率が高い)。二人の関係性を他の人にばらすと脅す、関係性がばれたくないから警察通報やサポートを求めることをしない、などの傾向もある。
参照:Domestic Violence and the LGBTQ Community
「医療現場における差別」についての調査・取り組みも研究者のあいだですすめられている。例えば、トランスジェンダーとノンバイナリーの人たちの約5分の1が医者や病院にかかろうとした際に、そうでない人と同等の治療を拒否されていたことが分かった。
差別にもさまざまなかたちがある。患者が抱える健康上の問題をジェンダーアイデンティティと関連づけたがる医療従事者もいるかもしれない。例えば、○○になるのはホルモン治療を受けたからだとか、△△はトランスジェンダーであることからきている等と。こうした問題は「骨折した腕症候群(broken arm syndrome)*5」とも呼ばれる。他にも、治療を拒否される、ひどい言葉や嫌がらせを言われる可能性もある。
*5 骨折のようにあきらかにジェンダーと無関係な症状でも、医療従事者がジェンダーに原因があるのではと結びつけてしまうことを表した造語。LGBT向けのオンライン新聞『Pink News』で初めて使われた。
トランスジェンダーやノンバイナリーのなかでも有色人種や障害のある人は特に差別を受けやすい。これは医療機関だけでなく、メンタルヘルス支援施設、DV(ドメスティックバイオレンス)相談施設、薬物治療プログラム、性暴力被害者サポートセンターなどでも同じこと。実際、複数の障害がある人(身体障害、情緒障害、学習障害など)がこれら4つの場所で差別を受ける可能性は、障害のない人たちより3倍以上高いという調査結果もある。
「受け入れられている」と感じられる医療を
社会的偏見やスティグマ(社会的汚名)にさらされることで疎外感を感じてしまうトランスジェンダーやノンバイナリーの人たち。うつ病を患う、自殺願望を抱く割合も高くなりがちで(シスジェンダーより3倍以上とする調査もある*6)、実際に自殺を試みる人の割合もかなり多かった。その原因はトランスジェンダーであることそのものではなく、社会に受け入れてもらえない、偏見にさらされ、ひどい扱いを受けていることが引き起こしていると考えられる。
こうした人たちの逆境力や心の健康を育むために、医療提供側にもできることがあるのではないか。ある調査では、トランスジェンダーやノンバイナリーの人たちが “自分たちは受け入れられている”と感じられるプライマリケアを受けられている場合、うつ症状や自殺願望を抱く割合が低下することが示された。そうした包摂的医療にアクセスできている人でうつ症状があると回答した人は38%だったのに対し、アクセスできていない人たちは約54%だったのだ。
医療従事者がLGBT患者ならではのニーズを理解できる対策が必要
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医療の現場で働くスタッフが、トランスジェンダーやノンバイナリーの人たちにもっと落ち着いた気持ちで臨めるよう、医学部や看護学校でも、ソーシャルワーカーやカウンセラーのトレーニングプログラムでも、より具体的な取り組みを実施すべきである。「性別」と「ジェンダー」の違いを理解するという基本的なことから、トランスジェンダーやノンバイナリーの人たちがよく使う言葉について、「彼」や「彼女」といった代名詞の正しい使い分けについて、彼ら彼女らにとっての最良のヘルスケアとはどういったものなのかまで。こうした点にフォーカスしたトレーニングの提供が差別軽減につながり、ひいては彼ら彼女らの心身の健康を改善することにもなるだろう。
「大切な人」がはじき出されないターミナルケアを
末期がんの人たちなどが人生最後の日々をできるだけ自分らしく過ごせるようサポートするターミナルケア・緩和ケアにおいても、こうした「性的指向」や「性自認」が差別を引き起こしうる。スウォンジー大学で「ヘルスケアの法律と倫理」の講師ポール・ジョセフの主張もあわせて紹介したい。
例えば、患者と医療スタッフのコミュニケーションが十分でないことから、患者のパートナーに厳しい目が向けられることが考えられる。自身の性的アイデンティティが原因で数々のつらい経験をしてきたケースが多いため、ターミナルケアの医療スタッフに対しても自身の性的アイデンティティやパートナーとの関係性を隠し通す可能性がある。となると、人生最後の日々から“大切な人”が除外されることも考えられる。
LGBT向けの緩和ケアに関する訓練を提供すべき
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緩和ケアを受ける人たちの多くは、今、自分にとって大切な人たちに囲まれたいと思うもの。自身のパートナーが現場スタッフに受け入れられることはとても重要な点である。例えば、性転換手術を受けた患者であっても、元の性で結婚した過去があるかもしれないし、子や孫がいるかもしれない。現在のパートナー、以前の配偶者や子どもたちなど、患者のこれまでの人生に関わってきた人たちに医療スタッフが適切に対処できるようにしていかなけばならない。
英国では、緩和ケアにおいて性的マイノリティの人たちが直面する問題の多くは、98年に制定された「人権法」で解決が可能だ。その第3条には「何人も拷問や非人道的又は品位を傷つけるような扱いや処罰を受けてはならない」と、第8条には「プライバシーの権利、性的アイデンティティが尊重される権利、私生活に関する情報をコントロールする権利の保護」と記されている。そして裁判所は、この内容はターミナルケアも対象となると判断した。すなわち、ターミナルケアにおいて自分の希望や思いが配慮されていないと感じた場合、法的な救済もあり得るということだ。
トランスジェンダーやノンバイナリーのかなりの割合の人たちが医療を受ける際に差別を受けている
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性的マイノリティの人たちが最適な医療ならびにターミナルケアを受けられるよう、医療従事者の訓練を改良していくことが重要だ。性の多様性を受け入れる、守秘義務を守るなど、この点に特化した訓練を提供していくべきだろう。そうした訓練を受けることで、彼ら彼女らを取り巻く状況を理解でき、ニーズにも適切に対応していけるだろう。
※ こちらは『The Conversation』掲載記事(2018年10月23日)を著者の承諾のもとに翻訳・転載しています。著者 : Shanna K. Kattari Assistant Professor of Social Work, University of Michigan
緩和ケアについては『The Conversation』掲載記事(2020年5月21日)を参照しています。著者: Paul Joseph Lecturer in Health Care Law and Ethics, Swansea University
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THE BIG ISSUE JAPAN392号
特集:アップデートしたい「LGBT」
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