徴兵から逃れ出国したウクライナ人男性「仕事もない、家もない。でも帰れない」

戦時下のウクライナでは、戦闘要員の対象年齢となる18〜60歳の男性は、原則として出国が認められていない。しかし今回、徴兵を逃れ、ドイツに滞在中の男性アルテム(仮名、33歳)に『ヒンツ&クンスト』誌(ドイツ・ハンブルク)が話を聞くことができた。

数年前にロシアの攻撃を受け、キーウに逃れてきた

ドイツの首都ベルリンーー キーウから1万キロ以上離れたこの街のカフェで、パーカー姿に帽子とマフラーを巻いたアルテムが席につく。「ドイツの春はウクライナより過ごしやすいって聞いてたんだけど」とぎこちない笑みを浮かべる。アルテムと祖父母は、数年前にロシアの攻撃を受けた東部ドネツクからキーウに逃れてきた。新しい生活を始めたキーウでアルテムは妻と出会い、結婚した。妻も、2014年にドネツクからキーウに逃れてきたのだった。

つい最近までウクライナの首都キーウに住んでいたアルテム。ウクライナ政府は、戦闘に加わらず国外に逃げ出す男性を犯罪者扱いにすると発表している。実際、逮捕され、軍に引き渡された男性たちの話がたびたび伝えられている。恐らくアルテムも帰国する日が来れば、何らかの代償は避けられないだろう。

今回ベルリンに来たのは数週間前だが、実は今年の1月にもこの街に暮らす母と一緒に新年を祝うべくこの街を訪ねている。交通の便もよく、快適に過ごせたので、ウクライナに戻る時には少し切ない気持ちになったくらいだ。わずか数週間後に、再びこの街に来ることになろうとは思ってもいなかった。

今や“ベルリン在住”となったアルテムが、国を離れた経緯を語ってくれた。国を脱出するという不安定きわまりない状況の中で、今、彼が痛感しているのは、自分とウクライナを結びつけるものは何もないという、これまで抱いたことのない感情だという。

最初の爆撃で逃げることを決意

ロシアがウクライナに侵攻を始めた2月24日、アルテムと妻は午前5時に最初の爆発音を聞き、すぐに逃げることにした。祖父母に電話をかけて呼び寄せ、40分後には荷物をまとめ車に乗り込み、西に向かって車を走らせた。4人は車の中でニュースの第一報を聞いた。

ゼレンスキー大統領が、18〜60歳の男性市民の出国を禁じる「国民総動員令」に署名した。家族は逃げられても、自分はウクライナ国内に残らなければならない、とアルテムは理解した。まずは、妻だけ車で国境を越え、アルテムは祖父母を安全な場所に連れて行き、そこからベルリンに移動できるよう手配した。

西部の国境近くの町で一人で夜を明かすことになったアルテムは、眠れずにいた。国境の向こう側にいた妻も、車の中で一人で夜を明かした。「彼女だけ先に進むこともできたんだけど、やっぱり僕と一緒じゃないといやだと言い出して……」。妻は再び車で国境を越えて戻り、アルテムと合流。「だけど僕が男だから、宿を探すのは簡単じゃなかった」という。

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(イメージ)ウクライナとポーランドの高速道路上の車の列、国境検問所の近く/Larisa Stefanuyk

「逃亡者」として居場所のない日々

約3週間、宿を確保できないときは車の中で夜を明かしたことも。旅好きのアルテムも、「もう車中泊は当分ごめんだよ」と苦笑する。宿で一緒になった男性も数人いた。皆おびえた様子で、部屋からあまり出てこなかった。そんな彼らを見て、自分が国から身を隠す立場にあり、もう国に受け入れてもらえないのかもと実感した、とアルテムは話す。

その週、アルテムは弁護士だという男性と出会った。その人から、法的な状況はウクライナ政府が主張するほど明確でないと聞いた。「彼の言い分が正しいかどうかは分からなかったけど、EU圏内に入るには正式なスタンプが必要なことは分かっていました」と話す。ある日、アルテムは“抜け道”となるある場所を知った。国境の向こう側の職員が、彼と妻の入国書類の記入を手伝ってくれ、パスポートに出国スタンプを押してくれ、最低限の身の安全は保証された。

逃亡に理解を示す国外の人々

道中、「なぜ国に残らないのか」「なぜ国を守ろうとしないのか」と聞かれたのでは、と疑問に思う人もいるだろう。だが、ルーマニアで会った人たちも、ベルリンでお世話になったAirbnbのホストからも詮索されることはなく、むしろ理解を示してくれた、とアルテムは話す。なぜ逃げてきたのか、今話しているようなことも一度も聞かれなかったという。

「僕はずっと前から戦闘に加わりたくないという立場を取ってきました。軍には訓練された人たちがたくさんいて、僕なんかが入ったところで役に立たないでしょう。自分は、国が戦闘への準備を整えられるように、働いて税金を納めてきました。これからもそういうかたちでウクライナを、そして自分の家族を支えていきたい。僕がいなかったら、家族はどうなるのか……。これが、僕なりの最善の支援の方法なんです」。

もちろん彼も、祖国の人たちや友人たちを思い、胸を痛めている。取材が始まって1時間が経つが、アルテムはまだコーヒーに口をつけていない。カップを手にしたかと思うと、すぐに何か考えごとをしているようだ。こんな考えを持つのは自分だけでない。多くの友人も同じように国を離れたいと考え、何人かは実際にやり遂げただろう。

祖国にも逃亡先にもない「居場所」

そもそも国外に逃げるのではなく、ウクライナ西部のどこかにとどまる手もあっただろう。だが、西側に向かう車の中で侵攻開始のニュースを聞いたときに感じた、“もうこの国に自分の居場所はない”との思いがついてまわるという。戦争が終わっても帰れるかどうかわからないし、今や帰りたいかどうかもわからない。

ただ、ベルリンでの生活はすべてにおいて、キーウよりも事が進むのが遅いと感じている。銀行のカード発行に2週間かかり、ドイツ語の講座もすぐには始まらない。「仕事もなく、家もない生活は初めてです」というアルテムは、もうすぐシャワーの時間だからと席を立ち、ベルリンの雑踏へと消えていった。

By Anna-Elisa Jacob
Translated from German by Naomi Bruce
Courtesy of Hinz&Kunzt / International Network of Street Papers








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