東京電力福島第一原発のALPS処理汚染水の海洋放出が2023年8月、福島県漁業協同組合連合会が反対する中で強行された。その中で、相馬郡新地町の漁民、小野春雄さん(72歳)は、今年3月の放出差し止め訴訟の原告となり、意見陳述も行った。
第1回の海洋放出から9ヵ月経った今年5月、小野さんは差し止めに向けて1ミリもあきらめてはいなかった。
漁船が停泊する釣師浜漁港。港施設も津波で壊れ、その後再建された
海と暮らしが一体だった釣師浜
津波で集落は壊滅、日常も壊れた
小野さんが生まれ育った相馬郡新地町の釣師浜地区は、その名の通り漁師町で、人も暮らしも、震災まではすべてが海と一体だった。それが、津波で流された。現地は今、防災公園や緑地、道路ばかりで民家は見えない。
津波で壊滅的な被害を受け、現在は防災公園などが造られた釣師浜地区
震災後に釣師浜地区に建ったホテルを待ち合わせ場所に指定した小野さんは、潮と魚たちと汗の匂いをその小柄な身体からたぎらせて、ロビーに現れた。自分の〝海〟を連れてきたのだ。それは当然のことだ。「もう55年以上も船方(漁民)やってっから」と小野さん。両親とも漁師の家の出身で、幼い頃から浜で遊び、祖父が手漕ぎの木造船でワカメ漁へと沖へ向かい陸へ帰ってくるその姿を見て育った。中学生で船の無線の免許を取り、卒業後は当然のように漁船の「乗り子」に。「船方」の自分と海との間に、家族ぐるみの漁と豊かな海の恵み、「板子一枚下は地獄」(※)の危険と背中合わせの命があった。
小野さんの船「観音丸」の前で、船方の暮らし、海の偉大さ、ALPS処理汚染水の海洋放出問題を語る小野さん
ところが津波で集落は壊滅。漁船を守るため沖に出た弟・常吉さん(当時57歳)、そして叔父夫婦、叔母、いとこの子の5人を津波で亡くした。船方として海の脅威は理解していても、やはり強烈な悲しみが押し寄せてきた。原発事故と放射能の影響で、土曜日を除く毎日だった漁生活は震災直後は再開の目処も立たず、ずっと続くと思っていた日常も、すべて壊れた。自分の今後が見えなくなり、小野さんは心身ともに不調を来した。
息子が生まれるたびに海で水垢離
旅働きせずに、漁で稼いだ
だが、心身に沁み込んだ海の生活と、震災前の記憶が、小野さんを少しずつ元気にしてくれた。釣師浜では、子どもが生まれた翌朝、父親は「水垢離」といって、海に入って身体を清め、子どもが健康に育つよう祈る。小野さんの父親も、そして自分も3人の息子が生まれるたびに水垢離をした。海を見れば津波で亡くなった親族が浮かんでつらいが、子どもの誕生の喜びの思い出にも重なる。その息子3人も今、船方となった。
震災前は、まだ暗い午前2時に出港し、明け方の午前5時か6時に港に戻って水揚げをした。漁の後は、自分の船「観音丸」のそばが家族の「食卓」で、潮の香りの中で近くの食堂からとった弁当をみんなで広げた。仲間の漁民たちが「寒い」と言って船を出さなかった極寒の日も、小野さんは船を出し、揚がった魚がその場で凍るほど過酷な寒さを合羽1枚でしのいだ。水揚げゼロの日もあれば、逆に100万円になった日もあった。良い日も悪い日も、船方の一日はその日その日で完結し、翌日には、また同じように別の一日、別の漁がやってきた。
船方になって数年後のまだ若い頃、意を決して「陸船頭(家計を仕切る)」の母親に新しい船がほしい、と言った。母親は借金してプラスチックの動力船を買ってくれた。祖父らはワカメ漁のない冬は「旅働き」(出稼ぎ)に出ていたが、自分はたくさん魚を捕って借金を返し、旅働きせずとも生活を豊かにしたい、と懸命に漁を続けた。がんばれば技術も上がり、水揚げが増し、港でも有名な漁師一家になった。水揚げに比例して、船は大きく立派になっていった。現在の「観音丸」は9艘目になる。
海はごみ箱じゃない
裁判の原告として声を上げ続ける
2012年から試験操業が始まり、月10日は船に乗れるようになった小野さんだったが、ALPS処理汚染水海洋放出の問題が突然起きる。小野さんは「もう年だから」と自分に言い聞かせようとしたが、「人間は海に恵みをもらって生きている。それなのに人間が作ったトリチウムを含んだ核ごみであるALPS処理汚染水を流していいのか。海はごみ箱じゃない。一回流したら取り除けない。『海洋放出は原発廃炉に役立つ』というが、実際には明確に廃炉が見えてきたわけでもない」と憤りが湧いた。
そもそも原発から出る汚染水を増やさないための対策があるという研究報告を知り、「他の選択肢があるのに、金をかけて海水を流すためのパイプを沖に作って流す。誰も喜ばないことをなぜやるのか」と、できる対策の検討が十分に尽くされずに放出された問題も指摘する。
こうした憤り、疑問から、小野さんはメディアの取材も受け、裁判の原告にもなり、声を上げ続けている。ある時、SNSで小野さんを批判するような書き込みが流れている、と息子が教えてくれた。「おれは、悪いことをしているわけじゃない。先祖が守った海を我々が今守らなければ。言わなければ、おれが亡くなった後で、子孫たちに『なんであの当時、いろいろなことをやらなかったんだ』と言われる。だから今、言っておかなければならないんだ。船方で反対する奴がおれ一人ぐらいいてもいい」と小野さんは語る。
差し止め訴訟で意見陳述を終え、その思いを語る小野さん
「船方やってて、いつも不思議なんだ。山なら山菜を取ってしまえばそこから収穫はできない。それが、海はつながっていて、今日その漁場で漁をしても、明日はどっかから魚が来て、また獲れる。これが海の恵み、豊かさなんだ。海がなかったら人間は生きていけないでしょ。船方を55年以上やっていて、海は偉大だなあ、宝物だなあって、本当にずーっと思ってんの。だからおれは海を離れることなんてできない。今の政治家は50年、100年後には誰もいないし、責任も取らない。先祖たちが何十年もやってきた漁業がなくなることだって考えられる」。汚染される海の痛みを代弁するように、話し続ける。
小野さんは最近、人間ドックで超早期の胃
がんと診断され、近く内視鏡による切除手術を受ける。「おれは健診をしっかり受けて100歳まで元気に生きる。生きて廃炉を見届けてやる」。その声にも身体にも、海がくれた不屈の精神が宿っている。(文と写真 藍原寛子)
がんと診断され、近く内視鏡による切除手術を受ける。「おれは健診をしっかり受けて100歳まで元気に生きる。生きて廃炉を見届けてやる」。その声にも身体にも、海がくれた不屈の精神が宿っている。(文と写真 藍原寛子)
あいはら・ひろこ 福島県福島市生まれ。ジャーナリスト。被災地の現状の取材を中心に、国内外のニュース報道・取材・リサーチ・翻訳・編集などを行う。 https://www.facebook.com/hirokoaihara |
*2024年6月15日発売の『ビッグイシュー日本版』481号より「ふくしまから」を転載しました。
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