前編を読む

どんぐりの粉も私の食欲をそそらなかった。どんぐりは、ポリフェノールの一種であるタンニンを豊富に含むスーパーフードだ。ソフィーが教えてくれた食べ方では、まずローストし、それから、乳鉢と乳棒でどろどろになるまですりつぶす。ペースト状になったどんぐりをストッキングに入れて、流水にさらす。「それでもまだ苦味が残っているかも」。「それだけ手をかけてもまだ苦いの?」。そう泣き言を言った私は、便利な現代生活にすっかり甘やかされた怠惰な欧米人そのままだった。

ありがたいことに、ソフィーは野生食以外のものを一切認めない原理主義者ではなかった。「オリーブオイルやバター、塩を入れるのがポイントなの。きのこだって、味つけしなければたいしておいしくないのよ。炒め物や煮込み料理に使ってはじめて風味が引き立つきのこもあるし」。楽しそうに話しながら、ソフィーは薄暗い森へと進んでいく。

「おっと!こっちにもあったわ」。急いでソフィーのところに向かうと、菌床を傷めないようにマイタケを根元から切り取っているところだった——菌床を傷めないのは野生のきのこを採集するときの鉄則だ。マイタケはメロンほどの大きさで、4人分の料理2食分はありそうだ。おまけに、木の裏側に同じくらいのサイズのマイタケがもうひとつ見つかった。そのオークの木は、「森の雌鳥」の巣だったのだ。

次に私が叫び声をあげた。「私がみつけた最初のマイタケよ!」。マイタケはちょうど食べごろだった。成長しすぎると、水分が抜けてやわらかくするのに何時間もかかるのだ。

マイタケ

収穫はマイタケだけではなかった。ムラサキシメジに、ほのかな紫色をしたウラムラサキ。どちらもいい香りがする。

「キツネタケは、子どもたちのキノコ狩りにぴったりね。いい風味づけにもなるのよ」

だが、あいにく「ビーフステーキ」は見あたらなかった。英語でビーフステーキマッシュルームと呼ばれるカンゾウタケは、「見た目は赤くてぶあついタン(舌肉)のようで、木の枝から垂れさがって生えるのよ」とソフィーが教えてくれた。タンのように見えるキノコをいくつか見つけた私はにんまりとして指さしたが、ソフィーは「それは猛毒」と答えて肩をすくめた。

今年は、きのこの様子が例年とは違うようだ。その日はさらに、マイタケが二つ、傘の裏側に美しい光沢のある肉厚の立派なヒラタケも見つかった。おまけに通常なら9月末には姿を消している、イロガワリキイロハツまで。

ワイルドロケットとタンポポは サラダ、マイタケはリゾットに



家に戻る道すがら、一面にしげるローズマリーの何本かの小枝をちぎりとった。ローズヒップに、皮がしわしわになった野生リンゴ、ワイルドロケット、それにタンポポの葉っぱだって、立派なごちそうになのだ。

タンポポ

ワイルドロケットとタンポポの葉に、スーパーで買ったレタスとオーガニックのニンジンをあわせ、それに採集中に出会った、北ロンドンで八百屋を営む年配のギリシア人からもらった野生のクルミをくだいて混ぜた。ドレッシングは、レモン汁とオイルをベースに、少量のザクロジュースとシーソルトを少々。ディナーの完成までもう少しだ。マイタケは一部を小房にわけて、パルメザンチーズとパセリをかけた伝統的なスタイルのリゾットに。45分かけてゆっくり煮れば、鶏の胸肉のような歯ごたえになる。本物の鶏肉もほんの少し加えてみたが、マイタケの風味の足元にも及ばなかった。

実際のところ5食分になるほど大量のマイタケがあったので、採集仲間の一人を招待すると、別の市内の公園でとったというスモモの一種のスローベリーを漬けこんだリキュールを手土産に持って来てくれた。残ったマイタケは、後日、ローリエとタイムをきかせたオリーブオイルで素揚げにしたり、チリとガーリックで味つけをしたパスタにした。最後に残ったマイタケのかけらはバターで炒め、トーストにのせてたいらげた。

夫がお返しにと、シナモンとクローブを入れたレモン汁で煮て、カスタードクリームをからめたマルメロとリンゴのデザートをつくってくれた。どちらも、近所の木から熟して落ちたものだ。自然の恵みを存分に満喫した1日だった。

 (The Big Issue/Daemienne Sheehan)