保見ヶ丘ラテンアメリカセンター 7~8割が失業、いま試練のとき。

共生は摩擦の繰り返しの中から
 愛知県豊田市にある保見団地には、約4300人の日系ブラジル人が暮らしており、そのうち約7~8割の人が派遣切りで失業の憂き目にあったという。緊急食料援助を行うNPO法人「保見ヶ丘ラテンアメリカセンター」代表の野元弘幸さんに、その状況を聞いた。


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旺盛な助け合いで、 ホームレス不在。 反面、窮状が可視化されず

世界同時不況後、製造業で働く派遣労働者を中心に“派遣切り”が横行している。“派遣切り“と同時に住まいを失った人々が日比谷公園の「年越し派遣村」に殺到したことは記憶に新しいが、「派遣切り」の嵐は、日本人だけでなく、製造業の現場で働く日系ブラジル人をも直撃した。今回訪ねた保見団地では、4300人の日系ブラジル人の約7~8割が職を失ったといわれている。

「栄養失調ぎみの人や乳飲み子を抱えながら粉ミルクが買えない人が出てきたため、2月に緊急食料援助を開始しました。現時点(7月中旬)までに緊急援助を受けた世帯は900世帯に上ります」と話すのは、援助の中核を担う、NPO法人「保見ヶ丘ラテンアメリカセンター」代表の野元弘幸さん。今もお米やビスケットなどの配給が行われる土曜日には、150世帯ほどがセンター前に列をつくるという。

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名古屋の中心部から電車、バスを乗り継いで約1時間。トヨタ自動車の城下町、豊田市に位置する保見団地は日系ブラジル人が多いことで知られている。その数およそ4300人、豊田市に在住するブラジル人の約半数に及ぶ。保見団地内のスーパーでは、ブラジル料理の食材が豊富に並び、表記はポルトガル語と日本語の二言語表記。ブラジル人向けのレンタルビデオ店やスナックなどもある。保見団地に住むブラジル人たちの大半は、トヨタ自動車の下請け、孫請け会社で働いているという。


「ほとんどが派遣や業務請負といった間接雇用のため、非常に不安定です。賃金はピンハネ、過酷な労働条件のもとで働かされても賃金はきちんと支払われず、雇用保険や社会保険に加入していないところも少なくない。“派遣切り“されたため、雇用保険を申請しようと調べたら、会社が支払っていないことがわかったケースもあります。明らかな法律違反ですが、『景気がよくなったら真っ先に雇うから』と言われ、泣き寝入りしてしまっている人もいるんです」
“派遣切り“によって仕事と住まいを失った結果、ホームレス状態に陥ってしまったという話をよく聞くが、保見団地でそうした話を耳にすることはなかった。

ブラジル人は助け合い精神が非常に旺盛で、2DKの団地に家族4人で住んでいても、派遣切りされて寮を追い出された家族に1部屋提供したりする。日本人の感覚からすると考えられないかもしれませんが、大家族で育った彼らにはそれができてしまうんですね。だからホームレス状態にまでは至っていない。しかしそれゆえ、彼らの窮状が可視化されず、隠れたままになってしまっていると言うこともできるんです


子どもの成長につれ、 出稼ぎから定住へ

“派遣切り“された人の中には、失業保険で当座の生活を賄ってきた人もいるが、それもこの夏から秋にかけて切れてしまう人がほとんどだ。

 日系2世の谷口さん(仮名/41歳)もその1人。今は妻と2人、知人のアパートに居候している。1月に大手自動車会社の部品工場を解雇され、寮を追い出された。毎週ハローワークに通い、求人をチェックしているが、仕事はまったく見つからない。

「居候させてもらっている知人も2月以来失業中で、失業保険や貯金もない状態だったので、僕が家賃や生活費を払ってきましたが、このままの状態が続いて失業保険が切れてしまったら、共倒れしてしまいます」と谷口さんは言う。谷口さんはブラジル人の妻と2000年に来日。ブラジルでは、大学で学んだ金融の知識を活かし、銀行に勤めたこともあったが、経済悪化で仕事を失い、日本に来ることを選んだという。来日後は、製造業の派遣労働者として岐阜、愛知、石川でいずれも2~3年の契約で働いてきた。トヨタ、ソニー、コマツと誰もが知っているような大企業の下請け工場での仕事だった。

「ブラジルに帰った人もいるけれど、向こうだって不況の影響で仕事があるかわからない。どんな厳しい仕事でもいいから、僕は日本でがんばりたい」


(2009年8月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 248号より)

後編「日系ブラジル人が多く働く保見団地。「パウロ・フレイレ地域学校」と広がる支援」を読む