カシミアが草原を単純化、裸地化-変わるモンゴル2000年の草原
長い時の流れの中で家畜や人間たちとともに生きていくすべを身につけてきたモンゴルに根を張る植物たち。だが今、草原は危機的状況にあると藤田昇さんは語る。
動物に食べられることで多様性が生まれた
360度、見渡す限り緑の草原に青い空。ぽっかり浮かぶ雲たちが、草を食む牛たちとゲル周辺で営まれる人々の生活を優しく見つめている。モンゴルの草原は、今日も風に吹かれながら、柔らかな太陽の光を満喫している。
草原を代表するイネ科草本と草食大型哺乳類は、白亜紀(およそ1億4000万年前から6500万年前)に同時に進化してきたといわれる。人類がヤギやヒツジを家畜化して以来、草原は牧畜によって広がってきた。
「草原の植物は食べられることに適した進化をしてきました。動物に食べられないと、大型植物のヨシ、ススキが優占してしまって、多様性が生まれないんです。食べられることでその優占が抑えられて、植物間の光をめぐっての競争もやわらぎ、いろんな草が生えられるようになるんですね」と藤田昇さんは語る。
では、具体的に食べられることにどう適応してきたのだろうか。例えば、イネ・スゲ・ネギたち。これらの植物は葉の基部に生長点があるので、葉の先を食べられても成長できるだけでなく、葉の基部にも光が当たるようになり、光合成が活発になる。
一方、アザミやイバラのようにトゲを持ったり、イラクサのように蟻酸を分泌したりして、身を守る植物たちもいる。タンポポやオオバコなどは大型草食動物が地表すれすれの植物は食べない点に目をつけ、地面すれすれに葉を出す。
また、同じ植物でも、森林と草原とでは異なった進化を遂げてきた。
「森林の植物は草食大型哺乳類に食べられることに適応して進化していないので、例えば日本の里山などでは、増えすぎたシカに食べつくされる植物も見られます。逆に、草原の場合は家畜に食べられることによって、生物多様性と生産性とを保ってきたんです」
モンゴルに根を張る植物たちは、2000年という時の流れの中で、家畜や人間たちとともに生きていくすべを身につけてきたのだ。
遊牧から定住式へ、市場経済化で首都集中
だが、そんなモンゴルの草原に最近異変が起こり始めているという。91年のソビエト連邦解体の波をもろに受けたこの国は、92年に社会主義を完全に放棄し、民主化への道を歩み始めた。
そして待っていたのが市場経済の導入。家畜も遊牧民の私有財産とみなされ、一家族に100頭ずつ渡されたが、市場経済でまず必要なのは現金収入だった。
「遊牧民が一番現金収入を得やすいのが、カシミアとなるヤギの毛ですね」と語る藤田さん。
寒暖の差が激しく厳しい環境で育つカシミアヤギは、剛毛に覆われているが、その下に生えている1頭から150〜200g程度しか取れない産毛がカシミアの原毛となる。その光沢と軽さ、肌触りのよさは世界中の人をとりこにするが、セーター1枚編むのになんと4頭分の毛が必要になる。
「ヤギの場合は食べ方が激しく、樹木も食べるし、植物が少ないと地面から根こそぎ食べる。結果的に、摂食圧が強くなりすぎて(オーバーグレージング)、裸地化したり、抵抗力の強い植物(グレージング耐性植物)しか育たない単純な草原になってしまいます」。
そうしてアルカリ化した土壌は、なかなかもとの状態には戻らず、下手をすればそのまま二度と遊牧には使えなくなる可能性もあるという。
市場経済は、人々の暮らしをも変えた。
「カシミアの場合は地方にも買いつけに来てくれますが、乳製品、肉を売る場合、流通が発達していないので、都市の周りに遊牧民も住み始めるようになりました。結果、モンゴルの人口260万人のうち、首都のウランバートルに140万〜150万人くらいの人が住んでいるのではないかといわれています」
季節単位で家畜とともに居住地を移動する遊牧生活が、牧場で家畜を飼うようなかたちの定住式に移行しつつある。家畜が同じ場所で継続的、集中的に草を食べると、これもまた単純な草原になってしまう。
今、生物の多様性を失いつつあるモンゴルの草原は、急激な市場経済の波に飲まれ、遊牧という独自の文化を手放しつつある人々の暮らしを反映しているようだ。藤田さんは言う。
「生物多様性を守っていくと一口に言っても、それぞれの土地や環境によって条件が違うんですね。文化もそうですが、自然も一つのものさしだけで全部が全部計れるわけではない。国際的な基準は必要なのかもしれませんが、その地が持つものをうまく生かしていかないと、自然は荒れてしまうのではないでしょうか」
(八鍬加容子)
プロフィール写真:中西真誠
写真提供:藤田昇さん
ふじた・のぼる
京都大学生態学研究センター・助教。1998年からモンゴルを調査。草原の生物多様性と生産に対する家畜の効果、過放牧による土壌のアルカリ化、遊牧による移動性と草原の持続的利用の関係を研究する一方、NPOモンゴルエコフォーラム理事として自然環境の保全をめざしている。
(2007年12月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第83号)