森山まり子さんが語る「日本の奥山が荒廃した4つの理由」

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国策が奥山を荒廃へ。一番の被害者は動物、 農家は第2次被害者

日本の暮らしや文明を支えてきた奥山荒廃の原因は4つと、森山さんは話す。

1つは、戦後の拡大造林。「国が林業に乗り出して、奥山をスギの畑にしようと考えた。しかし、人工林は間伐など手を入れ続けなければ維持できない。そのために林野庁は一時すごい数の人を雇い入れ、人件費がかさんで3兆8千億円の赤字をつくって破綻した」

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森山さんによると、落ち葉が腐ってできる腐葉土は、1年で1ミリ。何百年もかけてできた30センチぐらいの表土で山は覆われて、それで安定した森になっている。ところが、スギだけヒノキだけを植樹すると、苗木の根が小さく長さも一定なので離層ができ、台風や大雨になれば、表層なだれを起こす。そして赤土だけになると、広葉樹に植林転換しようにも、もう山に養分がない。

「物事には間に合う時期、手遅れの時期があります」。森山さんたちが焦っているのは、表土が落ちる前に樹種の転換をしたいからだ。広葉樹の根は地上の3倍といわれている。この根で、山が崩れるのを止めてしまいたいのだ。

2つ目は、国土総合開発という名の観光開発。「人間が入らないように、祖先が神様の住むところとして保全していた奥山を国立公園とし、1つの山にいくつものスキー場をつくって、一大レジャー産業の拠点にしようとした。海外の国立公園は、草1本抜いてはいけない、石1個持って帰ってはいけない保全地域。でも日本の国立公園法には『人間が利用するために』と書いてある。日本の国立公園はレジャーランドです」

3つ目は、大規模林道という名の道路。「林業にまったく使わないのに、林道と名づけると建設許可が出る。土建業でもうけようとした人たちによって、たとえば、人間がほとんどいないクマの生息地に、税金を使って立体の高速道路ができている」

4つ目は、地球温暖化や酸性雨。「日本海側から、奥山の実のなる木が猛スピードで枯れています。99%ベジタリアンといわれるツキノワグマはもはや生き残れません」

現場主義を徹底して、奥山を歩き続ける森山さんたちが見る森は今、どんな様子なのだろうか?

「とにかく山が荒れて動物はエサを求めて、人里にどんどん下りてきます。農作物をやられて農家が悲鳴をあげている。それなのに、国は『動物が人間をなめだした』『山のものより農作物の方がおいしいと味をしめだした』『動物の増えすぎ』と、国策の失敗を動物のせいにして、森をつくっているクマ、サル、シカ、イノシシに有害獣のレッテルを貼る。一番の被害者は生息地を失った動物。農家は第2次被害者です。で、国は新しい法律(鳥獣被害防止特措法)をつくり、第2次被害者に第1次被害者を殺させて、この件をやりすごそうとしています」

「日本が21世紀も生き残りたかったら、昔のように人間は奥山から一歩後退して、奥山を野生鳥獣の聖域に戻すことです」。

それ以外の山は、和歌山の林業家の家訓にあるように、一番大事な尾根筋を自然の森のまま置いておいて、谷筋の3割ぐらいにスギなどをパッチ状に植林し、一度伐ったら次は天然更新させて次に移動する。「私たちの祖先がしてきたのは持続可能な林業だったんです」と森山さんは話す。

2年で1244ヘクタール買い取る奥山保全トラスト。 水がなければ人は生きられない

06年、熊森協会は協会内にNPO法人「奥山保全トラスト」を立ち上げ、クマの棲む原生林を買い取り始めた。原生林を永久に手つかずのまま保全するのが目的だ。「原生林はいろんな生き物からなる生命体。いったん消してしまうと、もう2度と戻せないんです」

産廃業者による不法投棄などを定期的にチェックするという条件つきで買えるのは、熊森協会の本部か支部がある地域。支部は現在、全国に20府県にあり、その活動を担うのは、クマの棲む森を守りたいと願う一般の市民たちである。06年から2年間で、篤志家や市民の寄付により、何億円もかけて1244haの原生林を買収。最近、石川県で22 ha購入し、合計1266haの森はトラスト地となった。

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「というのは、林野庁が最後に残されたわずかな原生林を猛スピードで伐っていると聞いたからです。林野庁が植えたスギはすでに材として育っていますが、安い外材が入ってきて、日本のスギは今1本1000円。伐って運び出すのに約8000円もかかるので赤字になる。一方、原生林のトチやケヤキの巨木は、1本およそ100万円で売れる。近い将来この国から原生林がなくなると言われ、焦っています」

奥山保全トラストが買い取った原生林は「どこもコンコンと信じられないぐらいの水が湧いています」。しかも見事に熊の生息地と重なっていた。

「かつて、日本の人々は森とともに生きていました。材木だけじゃなく、紙、衣服、食器、薬、炭やたきぎ、山菜、きのこ、木の実に至るまで森から得て暮らしていた。しかし1960年代にエネルギー革命が起き、燃料も身の回りのものも石油製品に代わって、人々はもはや山から何も恩恵を受けていないような錯覚を起こしてしまったんです。しかし、21世紀になっても水だけは森からじゃないと手に入らない。コンピュータがなくても人は生きていけるけれど、水が飲めなくなったら人は死にます。森=植物+動物。水が湧き出す森は、動物と植物をセットにして残さないといけない。クマなどの大型動物が棲む森ほど保水力が高い。これが私たちの主張なんです」

水源地

この17年間、森山さんは活動をやめたいと思ったことは一度もなかった。 「活動する前は1人の人間ってまったく無力だと思ってたんです。本気の一人は決して無力ではないことをわからせてくれた17年間でした」

日本熊森協会には、森山さんとともに17年間も活動をしてきた元中学生や20代の若い後継者たちがいる。森山さんが彼らのことを話すとき、その笑顔に希望と信頼があふれ出た。

Minana加工

(水越洋子)

Photo:中西真誠

>森山まり子

日本熊森協会会長。1948年兵庫県尼崎市生まれ。兵庫県立神戸高校から大阪教育大学に進み、物理を専攻。2003年春までの31年間、公立小・中学校理科教師を務める。92年に、尼崎市立武庫東中学校の生徒たちと、絶滅寸前兵庫県野生ツキノワグマの保護に立ち上がる。そして、祖先が残してくれた豊かな森を失い、クマだけではなく日本文明が滅びようとしていることに気づく。97年、実践自然保護団体日本熊森協会を結成。クマをシンボルに、大型野生動物たちの造る保水力抜群の最高に豊かな森を、子や孫、そして、全生物に残すため奔走している。西宮市在住。