こんにちは。ビッグイシューオンラインの樋田です。

今回お届けするのは、殺人罪を犯し無期懲役になった元教え子を、20年以上にわたって訪問し続ける、メアリー・バウアーズ氏の記事。米国オレゴン州のストリート誌「Street Roots」が取材しました。

記事中で「鋼の強さをもつ」と形容されているバウアーズ先生。厳格でありながら、生徒を絶対に見捨てない教師像が目に浮かびます。教え子デイビッドの犯罪を防ぐことはできなかったものの、彼女との出会いによって、きっと何人もの生徒の人生が変わったのだろうな、と読みながら胸が熱くなりました。

米国の刑務所で実施されている大学の授業については、雑誌『ビッグイシュー日本版』288号(6月1日発行)の世界短信でも一例を紹介しています。ニューヨーク州の女性刑務所「タコニック更生施設」では、NPOの仲介でコロンビア大学の正規の授業が受けられるのだそうです。その効果は目覚ましく、受講生の出所後3年以内の再犯率は、一般の50%に比べ、2%以下に抑えられているとのことです。

Street roots maryfrancisbowers credit ben brink

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教師にとって、街でばったり教え子に出会い、近況を聴くのはうれしいことだ。しかし、無期懲役の刑に服している教え子に会いに刑務所まで何百マイルも車を走らせる教師はどれくらいいるだろうか。米国ポートランドのストリートペーパー「ストリート・ルーツ」は、大学教授を退職したメアリー・フランシス・バウアーズに話を聞いた。彼女は教え子が悪質な強姦と殺人の罪で投獄されて以来23年間、ずっとコンタクトし続けている。その動機と、なぜ彼女が米国がさらなる更生教育を必要と考えるかを聞く。(ストリート・ルーツ、米国)
- ビクトリア・ルイス

私は彼の母親でも、教師でもありません。私は彼の友人なのです。

メアリー・フランシス・バウアーズは小柄でエレガントな、元大学教授だ。ソフトな声と人を安心させる穏やかな雰囲気をまとっている。彼女は、元教え子が強姦と殺人の刑で投獄されて以来23年間、ずっと彼に電話をしたり、手紙を書いたり面会に行ったりしている。

メアリーがデイビッド(※仮名)を教えたのは、彼が8年生(日本の中学2年生にあたる)の時だった。「彼はこれまで、オレゴンにあるすべての凶悪犯罪者用刑務所で服役しました」彼女はポートランドでも最も厳しい状況下にある学校で何年も教え、12年前までは、ルイス・アンド・クラーク・カレッジで教育学の教授をしていた。 「私は彼の母親ではありません。彼には母親がいます。私は彼の教師でもありません。私は友人なのです」と、彼女は語った。

しかし、思い起こせば、最初から彼は問題児だった。「学校はよく休むし、ギャングのサインを使うし。内面は良い子だったけれど、いつも怒りをかかえていました」。メアリーはデイビッドの兄も教えたので、母親のことも知っていた。7人の子どもを育てる働き者の母親だ。メアリーは長年の経験から、問題を抱える子どもの親と接する時は、責めるよりも協力体制を築く方がよいと知っていた。そこで彼女は、デイビッドが休んだ日の穴埋めするために、放課後に補習を受けさせることを母親に提案し、同意を得た。

デイビッドは補習を受けにやって来た。やがてメアリーが机を拭くのを手伝ったり、話をしたりするようになった。「ラップ音楽についてどう思うか、と私に聞きました。彼は歌がうまく、創造性豊かな子でした。あの日から私たちは、机を拭きながら友人として話すようになりました」

デイビッドが高校へ進学すると、つながりは途絶えた。「彼から連絡がなくなりました。何か大きな問題があったのです。私は彼の暮らしぶりを知りませんでした。私の想像を越えるものだったようです」と、メアリーは語った。

そして彼の兄がギャング同士の銃撃戦で殺された。メアリーは葬儀に参列し、気がかりなことを目撃した。「デイビッドに近づいて、一度会いましょうと言いました。というのも彼はとても恐ろしい表情をしていたからです」

彼も会おうと言ったが、後日電話をしてきて、会えないと言った。それ以来彼からの連絡はなかった。ある日、学校に彼から手紙が届いた。彼はマルトノマ郡刑務所に拘留されていた。ちょうど18歳になったばかりだというのに、死刑になるかもしれないという状況にあった。彼の公選弁護人は、司法取引に応じて無期懲役を受け入れるよう助言していた。米国の刑事訴訟の97%以上がそうであるように、彼の場合も陪審裁判はなかった。

仮釈放が却下された時、彼の精神は粉々に壊れた

ほぼ四半世紀前のその日以来、メアリーは、今は41歳になる服役中のデイビッドに、週に1回の割合で、面会したり、手紙を書いたり、電話で話したりしている。

「彼はクリスマスの日に電話してきました。素敵なサプライズでした」。その前年のクリスマスに、彼女は面会に行っている。「彼は精神診療所に入っていました。私を見た時の彼の表情といったら、はるばる行った甲斐がありました」

時々、デイビッドが電話をかけられない時がある。独房にいる時だ。「刑務所にいると、特に大学の授業や仕事のない時など、受刑者たちは苛立ちをつのらせ、互いにいがみあいます。あまりに退屈だし、友達もいないからひどいことを考えます。誰かの食べ物の中にマスタベーションをしたり、つばを吐いたり、他の受刑者の監房へ入りこんで、お気に入りのグラスを盗んだり。そんなゲームでデイビッドは頭がおかしくなってしまったのです」

服役して20年が経った頃、デイビッドに仮釈放の話が持ち上がった。「彼は認められると思っていたのです。そのために一生懸命努力しました。授業に出席し、セラピーも受けました。刑務所が提供する授業をすべて受けました。」

しかし、仮釈放は却下されてしまう。メアリーが知っていた中学校の少年は消え去った。「彼の精神は粉々に壊れてしまいました。恐ろしい話をしたり、妄想を抱いたりするようになったのです」と、メアリーは当時を振り返る。

その頃、彼は3つの精神病を患っていると診断された。余りにも重篤だったので、メアリーでさえデイビッドと見分けがつかないほどだった。メアリーは、デイビッドが失われつつあるのを感じたが、それでも決して諦めなかった。

「人は私を見て、無害な人間だと思います。小柄で、白人ですから」と彼女は言う。しかし、この物静かで教養のある教育者は鋼の強さを持っていた。精神疾患の治療施設で感情や行動に重大な問題を抱える子どもたちを教える時も、市内の学校でギャングになりたがっている若者たちに向き合う時も、彼女はいつもどこまでを許容すべきかをわきまえていた。

「教師は、タフな面を持っていなければできません。誰かが物事の境界線について伝える「大人」の役目を引き受けないといけないのです」と、メアリーは語った。彼女はデイビッドを見放すつもりはなかった。「ある日、私は言いました。『デイビッド、聞いている?』 彼は笑い始めました。『何の話をしょうか』 『メアリー、ベニスの話をしよう。ベニスへ行ったことはある?』『ええ、あるわよ』と私。こんなふうでした。そして私たちは以前のようにまた、いろんなことについての話をするようになったんです」

「カレッジ・インサイド」刑務所内で受けられる2年間の大学コース

2人の “いろんな話”は南北戦争やミステリー作家にまで及んだ。2人とも本が大好きだ。「彼には知的好奇心があります。文学や歴史が好きで、(刑務所内で)そういう授業があるたびに、彼は出席していました」

デイビッドと友人として交流を続けるなかで、メアリーは、オレゴン州立刑務所で行われる教育プログラムの数が減っていることに気づいた。彼が現在いる施設では、受けられる授業が全くない。

オレゴン州の一部の刑務所では、大学の授業を受けることができる。セイラムにあるチェメケタ・コミュニティ・カレッジが運営している「カレッジ・インサイド」というプログラムのおかげだ。一般教養、ビジネス、自動車技術などの2年間のコースを3ヵ所の刑務所で提供している。授業水準はカレッジと同じだ。

「教師はみな、キャンパスの学生にも、インサイド(刑務所内)の学生にも、同じことを要求します。実際、何人かの教師は、学生が大変勉強熱心なので、より高度な内容を要求することもあると話しています」と、プログラムの責任者、ナンシー・グリーンは語った。

更生教育は効果がある。インサイド受講生の再犯率は3.8%。州全体の平均は26%だ。しかし、受刑者が一生外に出ない場合、なぜ教育を受けさせるのだろう。彼らが2度と社会に戻らないなら、いったい何の意味があるのか。社会が最悪の人間とみなした無期懲役の受刑者に、大学卒業の資格という長期的目標を与え、彼らを精神的に救済することは、単なる贅沢だと受け取られる。塀の外の多くの市民でさえ手に入れられない贅沢だと。煎じ詰めれば、刑務所の主目的とは何か、懲罰を与えることか、それともリハビリをすることかどちらなのか、という問題に行きつくかもしれない。

受刑者に対する態度について、「私たちアメリカ人はカルヴァン主義的(神の全能と慈悲による救いを強調する、ジャン・カルヴァンとその弟子たちによる神学体系)です。罪を犯した者が刑務所にいるのは当然の報いであり、そこにいるべきだ、と考えるのです」と、メアリーは言う。

しかし、現実主義者のメアリーは、刑務所のあり方に対する議論のその先を考えている。釈放される望みもない終身刑の者にさえ学びの機会が与えられるなら、刑務所全体の雰囲気はかなり良くなるということを、彼女は知っているのだ。

物事にどう対処するのかは、自分で決められる。刑務所の中にいようと外にいようと

「彼らには、心を満たすものが必要です」。受刑者の間では、いさかいが絶えないことについて彼女は言う。「ドラマがある、とは、彼らの生活の中に何かアクション(出来事)があるということなんです」

メアリーの人生もドラマに満ちたものだった。今でこそ、人から尊敬される学者で、芸術作品を収集したり、旅行を楽しんだり、文章を書いたりしているが、子ども時代は苦労続きだった。「私は暴力的な家庭環境で育ちました。貧乏で子だくさん。大学へ行くなんて、問題外でした」

しかし、通っていたカトリック系の学校が、彼女に逃げ場を与えてくれた。「修道女である先生が私に、大きくなったら何になりたいか、尋ねました。私は先生たちのようになりたかった」。彼女にとって、教師は人生の模範であった。「私もできるかぎり善いことをしよう、と」

とは言え、終身刑という現実は厳しい。それでもメアリーは、他の人たちのように目をそらすことはない。

「刑務所にいる人たちは別の世界に暮らしています。大きな出来事やハプニングだけをとりあげた作り物のテレビ番組とは違うのです。人を無感覚にさせる毎日が続き、年月が過ぎて行きます。いつ傷つけられるかわからない中で、どうやって毎朝起きて、生きていけるでしょう。刑務所内では、強姦されることもあるのです」

デイビッドの生活状況を受け入れるのに、メアリーは今も苦悩している。「知り合いの聖職者と話したことも一度あります」。その聖職者は刑務所の内実をよく知っており、知識も深く、善良な人物だ。しかし彼は、デイビッドの釈放を望まずにはいられない彼女の気持ちをただ、なだめようとしたそうだ。その時メアリーが話したかったのは、誰もが見捨てた人を気にかけたり、忘れまいとしたり、放り出さないことの精神性についてだったのに。

刑務所での暮らしの単調さ、退屈、挑発、絶望がデイビッドを圧倒しそうになると、メアリーは、友人なら誰でもすることをする。彼に真実を語るのだ。「私は彼に、しっかりしなければだめ、と言います」

刑務所の中にいようと外にいようと、物事にどう対処するかは自分次第。内なる強さを育てることはできます。私たち一人ひとりに、道はあるのです」

INSPのご厚意による/Street Roots





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