認定NPO法人育て上げネットでは、少年院などの矯正施設を経た少年たちの自立をサポートする活動も行っています。サポートする側の少年たちへの理解を深めるため、「矯正施設スタディツアー」として少年院・女子少年院の見学ツアーを行っています。
※今回は、そのスタディツアーで配布される資料冊子「あなたの支えを必要としている若者がここにいます」から、一部記事を抜粋します。
まえがき
認定NPO法人育て上げネット理事長 工藤 啓
矯正施設に足を運んだとき、少し体がこわばっていました。心のどこかで「彼らは凶悪な少年だ」と思っていたのかもしれません。
しかし、何度も足を運ぶなかで、過去に犯した罪の扱いを考えるのは私たちの役割ではなく、彼らが社会とつながり、安定的かつ自立的な生活を送るために尽力することが、若者の自立を支援する、私たちの使命であると確信していきました。
「がんばる力」の格差は応援する人と質で埋められるはず……。
応援する人が増えれば、彼らの「がんばる力」を引き出すことができるのだと思います。
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山村修司(仮名)さんのケース
山村修司(仮名)さんは、現在19歳。児童養護施設出身。中学校卒業後、高校に進学するも中退。窃盗やひったくり、カツアゲで、16歳までに四回、少年鑑別所に入っている。「大人は敵だ」と思っていたけれど、信頼する人に出会うことができた。
はっきり言って遊ぶ金欲しさでした。当時はお金がなければ盗めばいいと思ってた。お金がなくなる。困ると盗む。この繰り返しです。フツウだったら、お金がなければ働くんでしょうけれど、そのときは「働く」なんて考えもしなかった。最初のうちは何度鑑別所に入っても、まったく反省していませんでした。「ただいま!」と鑑別所の人に言ったことがあるくらい、舐めきっていました。
でも、そんな生活にも疲れていました。四回目に鑑別所に入ったとき、「自分はこのままでいいのか」と、自分の将来のことを考えはじめました。当時つきあっていた彼女にひどく怒られたこともあるし、ずっと面倒を見てきてもらった児童養護施設の先生からも「何やってんの!」と言われたし……。鑑別所では時間だけはたくさんあるから、ずっと考え続けました。自分が悪いことをしてしまうのはお金がないからだ。悪いことをしないでお金を得るためには働くしかない。そんなふうに思えるようになってきたんです。
ちょうどそんなとき、たちかわ若者サポートステーションの井村(育て上げネット・若者支援事業部長)さんに出会いました。そのとき、井村さんは鑑別所に講演に来ていただけなんですけれど、「仕事の支援をしています」という話をしてくれました。何もできない16歳の自分がどうやって仕事を見つければいいのかと考えていた時期だったので、講演が終わったあとに話しかけました。こんなふうに支援してくれる場所があるなんて、オレは全然知らなかった……そんなことを井村さんに言いました。すると、「鑑別所を出たら、たちかわ若者サポートステーションにおいで」と誘ってくれました。
今、思うと、この四回目の鑑別所で、更生への道を模索するようになったんだと思うんです。鑑別所の人も親身になってくれ、いろいろな話をしてくれました。
考えてみれば、それまで自分の周りには、自分みたいな考え方をする人間しかいなかったんです。「別に、仕事なんかしなくていいでしょ」と思っているヤツばかりでした。自分たちだけの狭い世界しか知らなかったんだと思うんです。井村さんや鑑別所の人は、自分とは正反対の世界の人だったので、好奇心で話を聞くことができた。自分とは逆の世界の話を聞くことができたのがよかったんでしょうね。
オレはずっと、大人は敵だと思っていました。オレにとって親は関わりたくもない存在だし、尊敬できる大人なんてどこにもいなかった。自分に向き合ってくれた大人は、児童養護施設の先生だけ。児童養護施設の先生は自分にとって「親」であり、「家族」だった。家族以外の大人はみんな敵だと思っていたんです。それ以外の大人は、オレの考えを聞いてくれないし、聞いてくれたとしても否定してばかりだったから……。
でも、井村さんや鑑別所の人と話すことができて、大人も自分の味方になってくれるんだと思いました。
信頼できる大人もいると感じたんです。
頼れる先輩から言われたひと言。
「手に職をつければなんだってできる」。
鑑別所を出たら、すぐにたちかわ若者サポートステーションに行きました。井村さんは自分のことを覚えていてくれました。「仕事がしたい」というオレのために一緒に仕事を探してくれて……。二人でいろんなところへ行きましたね。ホントに感謝しています。やっと決まった山村さんの就職先は、内装工事の会社だった。
最初は何も考えていませんでした。仕事をやって、給料が入ったら遊びに行く……ただそれだけの毎日です。
でも、そのうちに、できなかったことができるようになったり、ほめられたりすることがあって、「何コレ、すっげぇ楽しいじゃん!」と思うようになっていきました。
七つ年上で、オレにすごく目をかけてくれた先輩がいたんですが、その先輩が言うんです。「一生、内装の仕事をやっていくことはないんだぞ」。オレはなんでそんなことを言われるかわからなかったけれど、先輩は「お前ぐらいの年だったら、なんでも手に職をつけることができる」と言うわけです。「辞めるにしても、内装の職を身につけてからだったら、職の幅も広がる」と先輩は教えてくれました。若くても働けない人間は雇ってもらえない。でも、手に職さえあれば、どこにでも行ける。世界中どこででもやっていけるかもしれない。
そう思いはじめました。
先輩の下について少しずつ内装の仕事を覚えていった山村さんだったが、そんな折、過去の犯罪で再逮捕されてしまう。
少年院に行くことが決まったとき、内装の会社の先輩に電話しました。最初は申し訳なくて、何も言えませんでした。先輩は「今日、仕事に来なかったけどどうしたの? なんか声が暗いじゃん」と言ってくれて、やっと少年院に入らなければならないことを伝えました。そしたら、「まだなんか悪いことやってるの?」「更生しろよ!」と言ってくれたんです。せっかく内装の仕事で楽しく働いていたのに、いろいろな人を裏切ることになってしまって、申し訳なかったと思っています。
少年院には一年半いることになりました。
過去のツケがこんなふうに出てきてしまったわけです。このときに、今まで自分がしてきたことを心の底から後悔しました。はじめて「悪い友だちと手を切ろう」と決心しました。
仕事を転々としているとどんどんやる気がなくなってしまう。
少年院にいるときから仕事先を決めていたので、少年院を出た次の日から、すぐに働きはじめました。「働きたい」という気持ちも強かったんですが、そのときは悪い友だちと手を切ることだけを考えていました。昔の仲間はみんな、自分と同時期に少年院に入ってしまっていたので、それをいいことにいっさい連絡を取らないようにしました。今は連絡先も知りません。
まず働いたのは、土木の仕事でした。会社には関係ないところでいざこさがあって、ケンカしてしまいました。殴られて顎の骨が折れて、入院したりしている間に辞めてしまいました。
次に勤めたのは木造解体の仕事です。児童養護施設のときの友だちから誘われたので、一緒にやることにしました。でも、これは、仕事の量とお金の比率が見合うものではありませんでした。一日中汗水たらして働いて、帰ってきたら疲れて寝るしかないくらいなのに、一日七千円です。通勤費は出ないのに往復二千円もかかって、メシ代やら何やらを引いていくと、手元には三千円くらいしか残らない。三千円だと、月に二五日間働いても、七万五千円ですよ。これでどうやって生活するんだよと思いました。だから、一カ月で辞めましたね。
施設の友だちに誘われて、次は派遣の仕事をしました。足場の解体や土木作業などの仕事ですが、派遣ですから、自分たちは“コマ”として扱われるだけでした。今日はここへ行ってコレをやれ、明日はあそこへ行ってアレをやれ……。毎日、違う現場で違う仕事をする。これじゃいつまで経っても、なんにも覚えられません。
ただいいように使われて終わるだけ。自分は「手に職をつけたい」と思っているのに、こんなことやっていても意味がないと思いました。
こんなふうに仕事を転々としていると、どんどんやる気がなくなってしまうんです。仕事をしていても楽しくもないし、もらえる給料も少ない。いったい、オレ、何やっているんだろうと思いました。でも、保護観察期間中だったので、とりあえずは働かなくてはならない。だから、イヤイヤ働いていた感じですね。
偶然の出会いからやっと納得できる仕事に巡りあった。
山村さんは、次に勤めた土木作業の現場で、現在勤めている会社の人と出会う。次に働いた土木作業の仕事も、つなぎのような気持ちでした。
土木作業の現場にはいろいろな会社の人たちが来ています。あるとき、防水をやっている会社の人から道具を借りたことがありました。そのときにその会社の人に「お前、何歳?」と話しかけてもらいました。仕事が楽しいかどうか聞かれたので、「全然楽しくないっス。つなぎですから……」と言うと、親方を紹介してくれました。実は、その会社の人たちはみんなキビキビしているし、楽しそうに働いていて、ちょっとうらやましかったんですね。だから、親方に「ウチに来てみる?」と言われたときは、すぐに「お願いします!」と答えていました。親方は、誘ったときにすぐに行動できるかどうかを見ていたようです。
今は、そこの防水工事の会社で働いています。「やっと手に職をつけられる仕事が見つかった」……そんな感じですね。
防水工事は、簡単に言うと、マンションのベランダ側や玄関側に、水が入らないようにするものです。大きな会社じゃないんで従業員は五人だけ。家族的な雰囲気です。
親方は昔気質(かたぎ)の人なので、怒られたりもするし、悔しい思いもするけれど、「今のうちにここで学べ!」と言ってくれています。今は一人暮らしをしていますが、アパートの手配もしてくれて、保証人にもなってもらったし、もう頭が上がらないです。
働きはじめてやっと四カ月が経ちましたが、自分は不器用なんで、ていねいに仕事ができなくて悩んだりもしています。
でも、教え方がうまいんですよね。前の会社だったら、絶対に罵声が飛んできたと思うようなときでも、声を荒げられたりしたことはありません。オレがなかなかうまくいかなくて作業が遅くなっていても、「初心者だから仕方がない」と見守ってくれています。——初心者なんだから、頭ごなしに怒ってもただ焦らせるだけだ。まずは仕事に慣れさせよう。こいつを一人前にしなくてはならない——そんなふうに考えてくれているみたいです。
親方や先輩は、仕事を教えてくれるときと、教えてくれないときがあります。「自分で考えろ!」と言われるときはたいてい見ていればわかることだったり、何度も教えてもらったことだったりしますから、自分も必死で考えます。それ以外のときは、ていねいに教えてくれますね。そういう教えられ方が自分には合っているみたいです。
給料は少ないなと思うこともあるけれど、実際にもらえるだけの仕事をしていないのでしょうがないですね。
先輩たちは、オレの三倍のスピードでやっているので、実際に三倍近い給料をもらっています。本当に実力次第の職人仕事なんだと思います。
冬は朝が寒いのでつらいですけれど、仕事は楽しいです。もちろん、イヤなこともあります。でも、今は親方や先輩、井村さんなど、たくさん相談できる人がいます。だから、その辺は恵まれていると思います。
とはいえ、自分は間違っていないと思っているのに、「間違ってるんだよ!」と頭ごなしに言われると、やっぱり頭に来ます。先輩に「オレ、なんであんなふうに言われなきゃいけないんですか? 言い返してもいいんですかね」と怒りながら言ったこともありますけれど、先輩は冷静でした。自分も言い返そうとして親方に止められたことがあったこと。もし、言い返したりしたら、会社に居づらくなること。怒鳴られたからと言って怒鳴り返してばかりいたら、いつまで経っても成長できないことを教えてくれました。「手を出す前にオレに 言え」と言ってくれたりもします。やっぱり周りに相談できる人がいると、すごく楽ですね。
今後も、この会社で一人前になるまでは働き続けたいと思います。早い人で一年ぐらいで一人前になれるそうです。養護施設の先生もすごく喜んでくれています。
嘆いているばかりじゃはじまらない。
自分から動き出して欲しい。
少年鑑別所や少年院を経た人は仕事に就くことが難しい。思うように働けない状況のなか、「どうしたらいいのかすらわからない」と言う人も少なくない。そんな人に向けて、山村さんからメッセージをもらった。「自分の周りの人はまったく自分を助けてくれない」と嘆くのは勝手だけど、そういう人は単に面倒くさがっているだけじゃないですか? 「親が助けてくれない」「世間体が悪い」と言っているだけでは何も変わらない。「自分から何か動いてみたのか」と言いたいですね。
自分の場合は、自分から動き出すことによって、井村さんを見つけることができた。納得のいく会社を見つけることができた。
だから、「お前は何かやったのか」と、まず聞くでしょうね。「面接は行ったの?」「自分で探したの?」「ハローワークやサポステには行ったの?」……そんなふうに聞いちゃいますね。
自分から動かないと、それはただ逃げているヤツと同じだと思いますね。
自分も十六、七歳のときは「なんでオレのことを誰も助けてくれないんだよ」と思ったことがあります。でも、他人から見たら、そんなのは自己満足なんですよね。
だから、オレはまず頭を坊主にして、格好もいつもはジャージだったけどきちんとした服を着るようにして、できるだけ敬語を使うようにしたし、ハローワークにも行きました。
履歴書だって、どんなに教えてもらっても書くのは自分だし、面接を受けるのも自分なんだから、良さそうな求人を見つけたら、自分から進んで電話しなくちゃダメですよね。
自分で動かないんだったら、あとは知らないです。
人にあれこれ言われるのがイヤだったら、無人島に行くしかないです。自分もよく「無人島に行け!」と言われていました(笑)。
少年鑑別所や少年院にいた経歴があると、就職しづらい場合もある。山村さんはその点についてどう思っているのだろう?
「就職しづらい」ということをあまり意識しませんでした。少年院にいたことのあるオレを受け入れられないのだったら、それは仕方ないというスタンスでした。
受け入れられなかったこともありますよ、もちろん。
面接のときに、「少年院かぁ……」と面と向かってイヤな顔をされたこともあります。でも、それは自分が罪を犯してしまったことなので仕方ない。そこで怒ったってどうしようもないし、グチっていてもなんにもならない。だったら、受け入れてくれるところを探したほうが早いんですよ。
隠しながら仕事をすることもできますけれど、自分は嘘が下手なので、わりと正直に言ってしまうほうです。
正直に告白して受け入れてくれるのなら、そこからは嘘のない関係になれるので、自分にとっては楽でした。
「どこも受け入れてくれない」と思いはじめると動けなくなってしまうので、あまり考えすぎないほうがいいと思います。
今となっては少年院に入ったことはよかったと思いはじめています。少年院に入って、昔の自分と今の自分を比較することができた。今までのような生活をしていたら、次は刑務所だと思いました。「また、こんなところに来たくない」とはっきり決心することができましたね。
--抜粋ここまで
この冊子は、育て上げネットが2014 年に出版した書籍『働くってなんですか?』の〈番外編〉を改訂したものです。
少年鑑別所・少年院を経た若者が働き続けるようになるまでの道のり、働いてから感じたこと・わかったことをインタビューしています。矯正施設を経た青年の「働く」について関心を持っていただければと思います。>>『働くってなんですか?』
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山村さんをサポートしていた井村さんからのメッセージ
少年院を退院した若者を支援したときのこと。あるとき、少年院に迎えにいった少年は、家族の迎えもなく、ほとんど何も持たず、外に出てきました。
彼の大好きなラーメンを一緒に食べて身の上話を聞き、履歴書と面接を指導。就活用のスーツを貸し出しました。
一緒に街を歩いているとき、チラシを配っている人がいました。たまたま彼はもらえなかったのですが、彼は、「僕は怖そうですか? 目つきは悪いですか?」とまじめな顔で聞きます。社会への不安を隠せないようでした。
ある若者からは突然電話がありました。
「洗濯機をもらえるあてがなくなりました…」
少年院を仮退院した彼から連絡があるのは、自分なりにがんばって、それでもうまくいかずに困窮したときです。家族からの応援がないなか、職に就き、一人暮らしをはじめてすぐの連絡でした。「ほかに困っていることはない?」と返すと、小さな声で「インスタント食品を送ってもらえませんか? 鍋はあります」と。
誰の後ろ盾もなくひとりでがんばる心細さ。
まだまだ幼いと言える年齢なのに、すべてを一人でやらなくてはいけません。頼れる人がいないのです。私たちは、せめて彼らの支えになりたい…そう思います。
誰の後ろ盾もなく、一人でがんばる少年を応援していて感じるのは、就職だけでなくさまざまなことがうまくいかない姿です。困難が起こるたびに応援していますが、私たちでは力になれないこともあります。そんなとき、応援団がたくさんいれば、私たちではできないことを手伝ってもらえるかもしれません。
みんながチームになり、彼らを支えることができれば、彼らは社会で自立できる……そう感じています。
認定NPO法人育て上げネット
若年支援事業部 部長 井村 良英
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