「退屈」を感じると、すぐに気を紛らしてくれるものに頼ってしまいがちな今の世の中。
だが、退屈な時間を大切にすることが、興味を広げ、創造性を育み、息の長い幸福感を得る上でキーになるという。

※この記事は2018/05/11に公開されたものを再編集してお届けしています。

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イギリスの哲学者、数学者、歴史家で、1950 年にノーベル文学賞を受賞したバートランド・ラッセルは、1930 年に発表した著書『The Conquest of Happiness』 (邦訳は『幸福の獲得』『ラッセル幸福論』など複数あり)の中でこう述べている。
子どもが最も成長するのは、若い草花と同じで、同じ土壌でじゃまが入らない時。幼い頃に過度な旅や刺激を受け過ぎることは決して良くない。大人になる過程でとても大事な「退屈さ」に耐えられなくなってしまうから。
小さい頃に育むべきは「想像力」と「退屈をやり過ごす能力」というのがラッセルの主張だ。さもないと、退屈に耐えられない、内なる衝動が衰退していく凡人だらけの社会になってしまうと。

夏休みはしっかり頭を休ませるべき

子どもの教育分野における識者によると、この10年で学校授業は難易度・量ともにアップし、それにともなってカリキュラム外でやるべきことも増えている。夏休み中に勉強・復習することが大事だと思ってしまうが、夏休み中の過ごし方について識者の意見はこうだ。
ほとんどの教師は夏休みにそれほど多くの宿題を出しません。大人と同じで、子どもたちにも休息が必要ですから。子どもは子どもらしく、学校から離れて頭を休ませるべきです。能力・感情を育むには、だらだら過ごすこと、友だちとたっぷり遊ぶことが学校の勉強と同じくらい大切です。それでこそ健全な大人になれるのだと、大人の方が理解すべきなのです。

勉強から離れる時間が長くなるとせっかく学んだ知識を忘れてしまうのではと保護者は不安に思うかもしれないが…
大抵は学期が始まって、少し復習すれば思い出します。それでも思い出せないなら、問題は夏休みの過ごし方ではなく、そもそも知識がしっかり植え付けられてなかったのです。
デューク大学が175以上の研究をまとめたところ、宿題は少しの助けにはなるものの、特に小学生レベルではテストや成績に大きく関係しないことが分かっている。

退屈とは「不愉快な精神状態」

ケンタッキー州ルイビル大学哲学部で「退屈」を研究しているアンドレアス・エルピドロー助教授によると、私たちが退屈をネガティブに捉える理由はいくつかある。
「退屈」は心地良い状態ではありませんから、退屈感を和らげるため、人は自分にとって大切または面白いと思える状況を作り出さなければなりません。

ですが、これはいつでも可能なわけではありません。となると、退屈な状況に囚われたままになります。「退屈」をネガティブな精神状態とする私たちの感じ方は、哲学的、宗教的、文学的な考え方に起因するのかもしれません。

高い生産性や「忙しい状態」が良しとされるこの世の中ですから、退屈を避けるべきと考えるのは意外なことではなく、社会と生産的な方法で関わり合えなかったと考えられるのです。退屈を味わうことが少ないほど良しとされるのです。
ラッセルも記している。「先祖の時代と比べると、退屈することが減り、より退屈を恐れるようになった。退屈を感じるのは人間の自然な姿ではなく、精力的に刺激を追い求めれば回避できるものと考えるようになってしまった。」

ラッセルよりも前の時代、アイルランドの作家オスカー・ワイルドも述べている。「この世で最も難しく、何より知的な作業はまったく何もしないこと」だと。

携帯、パソコン、テレビ、学校、アクティビティ、やるべきことが溢れたこの世の中では、何もしないことこそが非常に難しいのだが。

退屈を感じた時こそクリエイティビティを伸ばすチャンス!

子どもたちの潜在能力を最大限に発揮させるには創造性やクリティカルシンキング(批判的思考)のスキルを育てる必要があるが、そのために必要なのは子どもたちが自分と向き合う時間だ。

大量の情報から離れ、効率的に動くことをやめ、ぼーっとリラックスし、自分のことや自分が欲するものを考える「退屈」する時間が。

カナダのウォータールー大学の認知神経科学者で「退屈」を研究しているジェームズ・ダンカートいわく、退屈とは「基本的な人間の感情で、動物でも味わうもの」。

「退屈の定義」について多くの学者の意見が一致するのは「刺激が足りず、安堵感を求めたくなる不愉快な精神状態」という点だ。

前述のエルピドロー助教授いわく「退屈とは自己調整のメカニズムがうまく働かず、今いる環境下のタスクに集中できない状態。退屈を回避するカギは自制心。自制心がしっかり働くほど退屈を感じることが減る。」

退屈は「体内アラーム」と考えることもできる。アラームが鳴ると、今の状態に満足できてないというサインで、何か違うことをしようという気にさせるもの。生かし方が分かっていてこそ「退屈」は価値あるものになるのだから、我々は日頃から自分のこと、好きなこと、自分にとって大切なものをしっかり把握しておく必要がある。

つまり、退屈はそれ自体に価値があり、必ずしも消極的なものではないのだ。刺激への欲望が満たされていないということなのだから、その欲望を満たせば退屈感は和らげられるのだ。そう、「退屈」はクリエイティブな状態でもあるのだ。
アインシュタインも言っている。「静かな生活の単調さと孤独が創造力をかき立てる」と。

「退屈」は創造力を育み、やる気を起こすのに重要。やるべきことがない状況になって初めて、そうでもないとやらなかったことに挑戦する。ということは、夏休みは子どもたちが新しい趣味を見つけ、のどかな風景を楽しみ、読みたい本を読み、友達や家族とたくさんの時間を過ごす絶好の機会なのだ。課題に追われるのではなく。

お腹が空くと食べ、疲れると眠るように、「退屈」してこそ子どもたちはクリエイティブ力を発揮できるのだ。日々の予定がぎっしり詰まっていると(それがたとえ面白いとされるアクティビティだとしても)、子どもたちからそのチャンスを奪うこととなり、自分の興味が向かう先を見つけられない。

「退屈」は幸福感を生むにも大切だ。

刺激が強すぎる生活は体力を消耗させ、楽しい生活を送ろうとさらに強い刺激を求め続ける。 ある程度の刺激は健康的だが、他のことと同じで大事なのはその量。少なすぎると病的な欲求を引き起こし、多すぎると極度の疲労感を生む。退屈に耐えるある種の力は幸せな生活に不可欠だ。(by バードランド・ラッセル)

子どもたち自身に退屈に対処させよ

退屈を感じるような心穏やかな時にこそ、子どもたちは自分の日々のこと、将来のこと、自分に必要なものに思いを馳せられる。これは個性を育む上でも役に立つ。

ヒマだ〜!子どもが不平をこぼすと罪悪感を抱くのは親の方、というのは現代ではよくあること。手っ取り早く解決するため、テレビやコンピューターをつける、ゲームをさせる、何か楽しい計画を立てることになるのだが、それによって子どもたちは自分の頭で考え、人として成長できる機会を逸しているのだ。

エルピドロー助教授は指摘する。
これまでの「退屈」の概念だと、子どもたちが面白がるアクティビティに参加させなければと考えられてきた。しかし大切なのは、子どもたちが自分なりの方法で退屈への対処方法を考え出すこと。親は子どもの関心が向く先を見つけ、育むことをサポートすればよいのです。

例えば、子どもたちを本屋に連れて行き、好きな本を選ばせる。虫眼鏡や木のボードなどシンプルなものを持たせて好き勝手に遊ばせるなど。高価なプレゼントをあげても、中身には見向きもせず包装紙にばかり夢中になっていたということ、ありませんでしたか?
「退屈」の意義を説明するのにエルピドロー助教授は「痛み」の概念を用いる。
「痛い」という感覚は身体に異変があったことを教えてくれ、我が身を守るため動き方を変えようと思わせるのでとても大事です。でないと、もっとひどいケガを負ってしまいますから。これと同じことが「退屈」にも言えます。退屈自体が楽しいのではなく、今の状況が満足いくものでないことを教えてくれ、新たなゴールを目指す気にさせるからこそ大事なのです。

『The Conquest of Happiness』
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Translated from Greek by Sophie Llewellyn Smith
Courtesy of Shedia / INSP.ngo

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