2018年7月20日、知的障害のある人たちの国際的なスポーツ組織「スペシャルオリンピックス」が50周年を迎えた。スペシャルオリンピックスを生んだ街・シカゴのストリートペーパー『Street Wise』が、その歴史を振り返る。

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Special Olympics 1972

ダウン症児のナンディがアラブ首長国連邦で生まれたとき、医師は「生涯、歩くことも話すことも自分でトイレに行くこともままならないだろう」と告げた。 しかし、9歳の時に家族とアメリカに移住し、「スペシャルオリンピックス 」に参加するようになってから、彼女の世界は大きく花開いた。彼女の日記にはこう綴られている。
オリンピックに出場するようになってから、私はひとりぼっちじゃなくなった。
陸上、ローラースケート、セーリング、アイスホッケー、バスケット…さまざまなスポーツの腕を磨き、自信をつけていった。視覚障害者でありながら、講演活動など自分のビジネスも手がけている。スペシャルオリンピックスのウェブサイトには、彼女の母親の言葉がある。
ナンディは、最悪の知らせを受けた家族が可能性を見つけるお手伝いをしてきました。「もう泣かないで。母は私のことを『神様からの恵み』と言ってくれました。あなたのお子さんもきっとそうなります。」ナンディがそう語りかけているのが聞こえてきます。

「スペシャルオリンピックス」がシカゴで誕生した背景

知的障害のある人たちの世界最大の国際スポーツ組織「スペシャルオリンピックス」は、今から50年前、米イリノイ州シカゴにあるソルジャー競技場で開催されたのが始まりだ。2016年までに、172カ国から570万人のアスリートと「ユニファイドスポーツ(*1)」メンバーが参加している。

*1 ユニファイドスポーツ:知的障害のある人と、知的障害がないが同程度の競技能力の人がチームを結成し、練習や試合を行うこと。スペシャルオリンピックス世界大会の公式種目として実施されている。

スペシャルオリンピックスを設立したのは、イリノイ州最高裁判所の判事でもあるアン・バーク(74)だ。この度、非営利団体「シカゴ・シティクラブ」で開催されたパネル討論会で彼女はこう述べた。
ここシカゴで生まれたアイデアにより、人種、肌の色、信条、宗教が異なる何百万もの人たちを奮い立たせてきました。もう、知的障害があることを恥ずかしがらなくてよいのです。
1965年、21歳だった彼女はシカゴ・パーク地区のウェスト・プルマン公園で体育教師をしていた頃のこと(*2)。この地区で、知的障害のある子どもたちに、徒競走、バトンの渡し方、ボールの扱い方、水泳、ダンス等を指導するパイロットプログラムが導入された。「このプロジェクトは世界を変える」バーク判事はすぐにそう思った。

*2 アン・バークの経歴:高校卒業後、体育教師をしていた際にスペシャルオリンピックスを共同で立ち上げる。その後、70年代になってから自らの子育て中に大学に戻り、80年代になってから弁護士として働き始めたという異例のキャリアの持ち主。

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Special Olympics
アメリカの公的機関としては初の試みでした。指導するうちに、どんな障害のある子どもたちでも普通の子と同じようにゴールを目指すのだとわかりました。学ぶこと、競争すること、勝つことが大好きで、本人にも家族にもポジティブな変化が見られるようになりました。スポーツで競うことで、やる気とポジティブさが生まれ、新しい自己イメージを持てるようになったのです。
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Special Olympics 2003

1967年、シカゴ・パーク地区の本部へ異動したバーク氏は、地区本部の会長と副会長から当該プログラムを市内全域で実施できるよう資金集めを命ぜられた。その2年前にこの地区に1万ドルの援助をしていた「ジョセフ・ケネディ・ジュニア財団」にあたってみたところ、財団の代表を務めるユニス・ケネディ・シュライバー(ケネディー大統領の妹)とワシントンD.C.で面会することになった。
もうビクビクでしたよ。
まだ23歳の自分がケネディ大統領の妹さんとお会いするのですから...。
でも、知的障害のある人たちが体を動かすこと、競争することのメリットを語り始めるや、そんな不安は消え去ったという。

一方のシュライバー氏も、財団理事長として同様の取り組みを行っていた。1960年には、兄のケネディ大統領に知的障害者への扱いについて問題提起。1962年には「サタデー・イブニングポスト」紙に、知的障害のある姉ローズマリーについて書いた記事を寄稿。同年、自宅の庭を開放して知的障害のある若者たちのサマーキャンプを開催、参加者一人ひとりにボランティアが付いた(補足:このデイキャンプがスペシャルオリンピックスの始まりとされている)。

バークからプログラム援助を打診されると、シュライバー氏はこれはシカゴのみならず全米50州とカナダも含めましょう、と言った。そして1968年3月、ケネディ財団からの2万5千ドルの出資をもとに、シカゴ・パーク地区とケネディ財団の共同事業として「スペシャルオリンピックス」が設立された。

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Special Olympics 1968

1968年7月20日の開会式、シュライバー氏は古代ローマの剣闘士の言葉を引用して宣誓した。
私たちは精一杯、力を出して勝利を目指します。たとえ勝てなくとも、勇気を与えてください。
第1回大会では200を超える競技が行われた(幅跳び、ソフトボール投げ、競泳、高跳び、短距離走、水球など)。 そして、シュライバー氏はその後も2年ごとの大会開催を約束した。

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Special Olympics 1991

知的障害のある「難民」にも参加してもらいたい

現在、知的障害のある人たちはアメリカ国内で650万人いる(スペシャルオリンピックス国際本部ウェブサイトより)。 低所得国ではさらに多く、1,000人あたり16.41人の割合だ。世界全体では2億人、およそ世界人口の1〜3%にあたる。

なるべく多くの人たちに参加してもらえるよう、運営委員会は 障害者の「できること」にフォーカスした30以上の競技種目を提供している。

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Special Olympics 2013

2016年版年次報告書の中で、スペシャルオリンピックス国際本部会長のティモシー・ペリー・シュライバー(ユニス・シュライバーの息子)とマリー・デイビスCEO はこう述べている。
世界中から知的障害のある人たちへの差別をなくし、私たち一人一人に宿る美しさと尊厳を全ての人に受け入れてもらうことを目指しています。

2016年、私たちは不寛容と「自分と異なるもの」を恐れる世界的危機の只中にいることが明らかになりました。武力衝突、選挙、そして学校でもそんな状況が見られ、地域内ですらいじめや誤解がはびこっています。これらを克服する取り組みは、より一層急務となっています。
2016年からは、知的障害のある難民にも参加を働きかけている。世界中の難民6,560万人のうち、約50万人は知的障害があるとされている。スペシャルオリンピックス委員会と国際人権団体「ヒューマンライツ・ウォッチ(Human Rights Watch)」は、この実態について「国連人権高等弁務官 (UNHCHR)」 に報告済みである。

知的障害がある人たちへの医療サポートも提供

「2016年版スペシャルオリンピックス年次報告書」には、アンディ少年の物語が紹介されている。当初は彼もダウン症児に多い、筋力が弱い子どもと思われていたが、母親が一緒に水中で遊ぶようになると、 4週間も経たないうちにクロールが泳げるまでに筋力が発達。わずか6歳でスペシャルオリンピックスに出場し、20年後には「全米マスターズ水泳大会」で、国内および世界記録保持者と競い合ったと。
僕にとって、ダウン症であることは全く問題ではありません。
アンディは言う。

知的障害のある者たちは、そうでない者たちと比べると「予防できる疾患」を防ぎきれないリスクが高い。医療従事者の多くが彼らとのコミュニケーションの取り方をわかっていないことが原因だ。この格差を埋めるべく、スペシャルオリンピックスは1997年から「ヘルシー・アスリート・プログラム(HAP)」の提供を開始、これまでに190万人に無料検診を実施してきた。世界135カ国、22万人以上の医療関係者が研修を受けている。

第29回ボツワナ大会では、聴覚訓練士と技術者からなる11名のチームが、アスリートたちの耳の中にあった果物の種や草などを取り除いた。ナイジェリア大会での検診では、とあるアスリートが目を細めて見ていることに気づいたスタッフが、その場で度付き眼鏡を与えた。プログラム開始以来、16万個以上の度付き眼鏡が提供されている。

シンガポールでは、知的障害のある未就学児童とその介護者たちの肥満および育児放棄を防ぐため、自宅でできるエクササイズトレーニング講座を実施した。インドでは、300人以上の歯科大学生がスペシャルオリンピックスのアスリートたちに無料の歯科検診を行った。

2016年、エジプトのシーシー大統領は、大統領邸にて、政治家、著名人、そしてスペシャルオリンピックス出場者たちとともにラマダン(断食)明けを祝った。大統領は、2004年からスペシャルオリンピックスに出場しているディナ・ガラルをスタッフとして雇用している。ディナの仕事は、イベントの情報収集や大統領のスケジュール管理サポートだ。

ザンビアのエスター・ルング大統領夫人も、スペシャルオリンピックスのアスリートたちとともに「国際障害者デー」を祝った。知的障害のある子どもたちへの差別は、子どもたちの不健康、低学歴、経済活動への不参加、貧困を助長するため、「こうした子どもたちが自分の夢を追いかけ、社会で才能を活かせるようになれば、より良い世界となるでしょう」と夫人は言う。

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Special Olympics 1993

精神疾患を含む障害のある人たちが自分の可能性を最大限に発揮できるよう、現在もたゆまぬ努力がなされているが、その大きな転機となったのは50年前、応援団もほぼいないなかで始まったスペシャルオリンピックスだ、とバーク判事は言う。
ソルジャー競技場のスタンド席には誰もおらず、私たちを支持してくれる人はいませんでした。ケネディ財団からの財政支援、そして当時の市長、労働組合、パーク地区なくしては開催できなかったでしょう。彼らを制止するものは何もありませんでした。

私たちは世界が変わるきっかけをつくったのです。 障害者のために、長期的な生活サポート、医療保険、雇用支援を継続すべきです。自分たちと同じ人間が平等に扱われていない状況を、黙って見過ごすわけにはいきません。 これこそ、私たちがこの世でやるべきこと。1968年にソルジャー競技場に足を踏み入れた時から、世界は変わり始めたのです。
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Special Olympics

<パネル討論会の他の参加者たち>

・アメリア・ヘルナンデス
第1回大会から出場。「50メートル走」に出場。「競争し、友達ができたことが一番楽しかった」と述べた。 何度も出場するうちに、もっとメダルを取りたいとの思いが強くなった。現在は、 障害者を支援するNPO「エル・バロール」(1973年設立)で働く。

・フランク・オリボ
スペシャルオリンピックスの長所は、友達とおしゃべりできること。左右の区別が難しい彼をコーチたちが助けてくれてありがたかった。 アイルランド遠征にも参加。

・ジェレミー・ジョンソン(13)
バスケットが大好きで、スペシャルオリンピックスには2年前から参加。「身体を動かし、社交的にもなり、もうひとりぼっちじゃないと思えるのがうれしい。」いつか世界大会に出場してみたいと述べた。

・進行役:ジェシカ・フランツ
シカゴの障害者福祉施設「Misericordia」で暮らし、現在はリサイクルセンターで働いている。テレビ番組「スペシャルオリンピックス・シカゴ」の司会も務める。スペシャルオリンピックスには100メートル走とソフトボール投げで出場、ホッケーでは金メダルを獲得。「自分に自信が持てるようになり、人生を変わった」と語った。

By Suzanne Hanney
Courtesy of StreetWise / INSP.ngo
photo:Special Olympics
スペシャルオリンピックス公式サイト

2018年9月22日(土)~24日(月・祝)3日間、愛知で「2018年第7回スペシャルオリンピックス日本夏季ナショナルゲーム・愛知」開催

2019年にアラブ首長国連邦のアブダビで開催されるスペシャルオリンピックス世界大会への日本選手団選考を兼ねて愛知で開催されます。
大会名称: 2018年第7回スペシャルオリンピックス日本夏季ナショナルゲーム・愛知
開催日程: 2018年9月22日(土)~24日(月・祝)3日間
開催地: 愛知県内各所 (名古屋市、豊田市、刈谷市、日進市、大治町)
http://www.son.or.jp/

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