成田空港から飛行機を乗り継いで2日。2018年12月上旬、ニュージーランド北島の北部にある人口約5万2千人の町・ファンガレイを訪ねた。11年5月末に一家で移り住んだ福島市出身のチェイヴ理美さんが町の小さな空港まで出迎えてくれた。「山があって、町があって、福島に風景が似ているでしょう?」と理美さん。緑の山並みや、のんびりとした雰囲気が、確かに福島にとても似ている。
福島で知り合い結婚。震災前は充実した毎日
「ニュージーランドに着いた時、自然に涙が流れていました。ああ、安心して空気が吸える……っていう安堵感。まったくの無意識でしたけど」と理美さんは振り返る。
現在は、福島で知り合い結婚したニュージーランド人の夫・グレアムさん、福島で生まれた長男のユアンくん(14歳)と次男のジョナくん(12歳)、そしてファンガレイで生まれた三男ロナン鉄郎くん(6歳)の5人暮らし。
(写真左から)ユアンくん、ジョナくん、夫のグレアムさん、理美さん、ロナン鉄郎くん
(写真左から)ユアンくん、ジョナくん、夫のグレアムさん、理美さん、ロナン鉄郎くん
震災前、福島での生活は充実していた。理美さんはマレーシア勤務の経験もある日本語教師で、グレアムさんはALT(外国語指導教師)だった。福島市に住んでいたが、双葉町、桑折町で暮らした時期もあり、友人も多かった。理美さんは友人と絵本を題材にして菓子や布小物を作るワークショップ「エホンノコ プロジェクト」の活動もしていた。
そのイベントを翌日に控えた11年3月11日。友人との昼食中に突然、大きな地震が襲った。急いでユアンくんを迎えに小学校へ。校庭に避難した児童はみな、泣きじゃくっていた。帰宅すると電気、ガスは通っていた。自身が幼稚園児の時に起きた宮城県沖地震の体験がよみがえり、「早く水を確保しないと」と風呂やバケツ、ペットボトルなどに次々と水を貯め、パンを焼き、ご飯を炊いた。スーパーやガソリンスタンドに並び、物資やガソリンも確保した。
11年4月下旬には放射能汚染が大きな問題に。子どもの教育、健康面を考えた
ところが翌12日以降の原発爆発から状況は一変。「原発の危険性は知っていましたけど、まさか爆発するとは」。当時、飯舘村では毎時40マイクロシーベルト超、福島市も毎時20マイクロシーベルト超の放射線量が測定されたというニュースが放送された。理美さんとグレアムさんは、川俣町の避難所にいる双葉町の友人たちを訪ねて励まし、日用品などを届け続けた。「衝撃だったのは、避難してきた子どもたちが体操着姿、上履きのままだったこと。どんなにか不安で怖かっただろうと思いました」
4月下旬には、子育て中の友人の間で放射能汚染が大きな問題になってきた。子どもたちへの影響はどうなのか? 避難した方がよいのか? それとも大丈夫なのか? 実は理美さん一家は、震災前から子どもの教育や夫の母との同居を考えて、「来年はニュージーランドに行こう」と決めていた。しかし震災後、「こんな状況のまま行っていいのか」とためらいが強くなった。
「あの頃は放射能の話題しかなくて。放射能をめぐって、人間関係が壊れて……。それが嫌で、最初は不安をあおられているような感じもしました。ただ、有名な専門家が来て『安全ですよ、大丈夫ですよ』と言い始めたところ、信頼できる友人が『あの専門家の話は信頼できない』とキッパリ言い、それが最終的な決断につながった気がします。子どもの教育もあるけど、健康への影響も考えての移住です」
福島から来たことで、子どもがいじめられるのではないかと心配もしたが、それ以前に福島への関心が少なくて拍子抜けした。現地では手作り品を販売して福島への募金活動を一人で始め、そこで知り合った人に体験を話した。英語教師をしている女性や、先住民のマオリ族の人たちが福島のことを知り、気遣ってくれたのがうれしかったという。「聞いてくれる人はいるんだと思いました」
今も子どもたちとの出会いのシーンを思い出す。「こんにちは。福島から来ました」という筆者のあいさつに、ジョナくんは「ぼくもです」。ここにも「福島の人」がいるのだと思った。
(写真と文/藍原寛子)
あいはら・ひろこ 福島県福島市生まれ。ジャーナリスト。被災地の現状の取材を中心に、国内外のニュース報道・取材・リサーチ・翻訳・編集などを行う。 https://www.facebook.com/hirokoaihara |
*2019年1月15日発売の『ビッグイシュー日本版』351号より「被災地から」を転載しました。
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