世界中がコロナ対策に苦闘しているなか、台風シーズンが到来した。日本の避難所は世界的に見ても何十年と進化がないと批判されがちだが、アジアの最貧国の一つとされるバングラデシュは災害対策で着実な進化を遂げている。
※以下は2020/08/07に公開した記事を加筆・修正した記事です。
---
バングラデシュは過去のサイクロンでは数多くの犠牲者を出してきた。1970年11月に起きた人類史上最悪ともいわれるサイクロン・ボーラでは約30-50万人もが犠牲になったと推定されている*。1985年には約11,000人、1991年には約14万人が犠牲となった。近年では、2007年のサイクロン・シダーで3,400人超、2009年のサイクロン・アリアで約190人の死者が出た。
*当時の国名は東パキスタン、人口は約6400万人。参照:The Bhola Cyclone
そして2020年5月20日、バングラデシュをサイクロン・アンファンが直撃した。バングラデシュでは21年ぶり、観測史上2度目のスーパーサイクロンに発達。4,000平方キロメートル超の土地が浸水し、家屋・干拓地・堤防・道路・電柱・携帯電話の中継塔・橋・地下水路が激しく破壊され、その損失額は政府予測で約15億ドル相当とも言われている*。多くの農地や養魚場も塩害を受けた。31人の犠牲者は出た。しかし、かつてのように何千人もの命が奪われる事態は回避されたのだ。
*参照:https://www.bbc.com/news/world-asia-india-52749935
2020年6月3日、サイクロン・アンファンで浸水したパトゥアカリ地区チャリパラ村
Photo:Md. Johirul Islam
バングラデシュはいかにして犠牲者の数を抑えることができたのか。「予測」「警報」「避難」の徹底に加え、もう一つ大きな要素となったのが「ローカル・アクション」、地域レベルでの取り組みの充実だ。被害に遭いやすい状況下に置かれている住民たち自らが参加・率先し、その地域ならではの事情と外部のアイデアや手法を融合させてさまざまな取り組みが展開されている。
サイクロン・アンファンが直撃したサトキラ地区シャムナガル
Photo:Taifur Rahman, HMBD Foundation, Bangladesh
地元住民を巻き込んだ取り組みで「脆弱性」を「強靭性」へ
バングラデシュは長い年月をかけて、サイクロンへの「脆弱性」を取り除く努力を積み重ねてきた。例えば、1970年当時は42ヵ所しかなかった避難所は数千ヵ所にまで増え、特にこのコロナ禍では対人距離を確保できるよう、前年度の3倍にあたる12,000ヵ所超の避難所を政府が用意、計500万人近くを収容できるようにした*。*避難所の数を増やすだけでなく、避難所へのアクセスを改善したことも大きい。一部地域では、腰高の沼地を渡らなければ避難所にたどり着けず、避難の阻害要因となっていたが、米国赤十字社などの支援で舗装道路が設けられ、避難しやすくなった。
また、警告メッセージを発する上でも、地域の事情に合わせて徒歩、バイク、自転車、ボート、人力車などを使って戸別訪問やメガホンで伝える等、さまざまなシステムが機能しており、住民に早い段階で避難の必要性を伝える仕組みが整えられている。学校でも訓練を実施、警報に応じてどう対処すべきかを人々がよく理解している*。住民対象のシミュレーション訓練も何度も実施してきた。
*赤十字社が沿岸部の住民向けに提供している応急処置訓練。13歳の子どもたちも止血の方法や骨折した時の姿勢の取り方などを理解している。 https://www.instagram.com/p/B1E5Nr0Bx9x/
暴風雨による農業やインフラへのダメージを軽減すべく、数多くの輪中(わじゅう)*整備にも投資してきた。当局と関連組織、そして地域リーダーが協力し、河川の水位管理や、マングローブを群生させるなど自然ベースの取り組みを実践。隣国インドでは1970年代以降に治水事業としてガンジス川にファラッカダムが建設されたが、これによる高潮、降雨、淡水の減少に対処する上でもこうした対策が役立っている。
*集落を水害から守るために周囲を囲んだ堤防のこと。
バングラデシュ政府とバングラデシュ赤新月社が共同で実施している「サイクロン対策プログラム(Cyclone Preparedness Program)」もこれまでに7万件近く実施されている。当プログラムのスタッフは203名、ボランティア登録者数は49,365名にも上る。
パトゥアカリ地区カラパラ郡の沿岸部にあるパシュールブニア村とノワパラ村で2013年から2016年にかけて実施されたプログラムのスローガンは「脆弱性を強靭性に変革させる」。地元の人たちがこうした取り組みに関わるのは初めてのことだった。
洪水に強い管井戸を新設し、仮設トイレを洪水時の水位より高くなるよう底上げ、衛生や救急について学び、安全器具を配布、早期警戒・避難体制を強化させてきた。こうした活動を継続するため、地元ボランティアたちへのトレーニングも実施している。
また、メイン以外の生計手段を持つことも促進され、世帯レベルでのビジネスや商店経営が奨励された。野菜や米を作って売る、キルトや縫い物の工芸品作り、牛を飼って牛乳や肉を売る、カモや鶏、魚の養殖を始める人々が増えた。いざというときにメインの生計手段が打撃を受けても、他で収入を得られるようにしておくのだ。
Monoar Rahman Rony / Pixabay
こうした取り組みはサイクロン対策として有効なだけでなく、人々の暮らしぶりや地域内の人間関係、健康、そして安全性の向上にもつながっている。プログラム終了直後に行った我々の試算によると、1ドルの投資を行なうことで、収入の向上や地域活動の活性化といったかたちで約5倍の効果を生み出していることが確認された。
しかし、本当の効果検証は実際の災害発生時に委ねられる。
プログラム終了の3週間後、2016年5月21日にサイクロン・ロアヌが最大瞬間風速88km/時でバングラデシュ南岸地域を襲った。「警報」と「避難」を首尾よくやり遂げたパシュールブニア村とノワパラ村では、死傷者ゼロ*、人々の生業にも大きな影響は生じず、給水施設や仮設トイレも機能し続けた。
*バングラデシュ全体では死亡者26人。
そして今回のアンファン襲来でも、同様の成功事例が報告されている。特に今回はすさまじいサイクロンであったにもかかわらず、人的被害は少なく、早くも村の再建が始まっている。これまでのところ、外部の援助に頼りきることなく、主には自助努力によってすすめられている。もちろん破壊された村の復旧は簡単なことではないが、過去の惨劇と比べると状況ははるかに良い。
1970年の大災害からこのレベルの災害リスク軽減・対応に至るまで、50年近くを要したこととなる。バングラデシュは他にも多くの危険性を抱えており(気候変動、海抜上昇、地震、地滑り等)、世界最大級の難民ロヒンギャの対応にも追われている。やるべきことはまだまだあるし、今後も死傷者の減少傾向を維持できるかどうかはまだ分からない。しかし、今日までのバングラデシュの努力には、国家レベルのものから地域レベルのものまで、自然災害の脅威にさらされている他の地域が学び、実践していくべきヒントがあるだろう。
著者
Ilan Kelman
Professor of Disasters and Health, UCL
Bayes Ahmed
Lecturer in Risk and Disaster Science, UCL
※ こちらは『The Conversation』の元記事(2020年6月5日掲載)を著者の承諾のもとに翻訳・転載しています。
関連記事
・「垂れ流しSNS」に終わりを告げるー災害状況の把握や救助、寄付獲得に使用できる可能性について
*ビッグイシュー・オンラインのサポーターになってくださいませんか?
ビッグイシューの活動の認知・理解を広めるためのWebメディア「ビッグイシュー・オンライン」。
上記の記事は『The Conversation』の記事です。もっとたくさん翻訳して皆さんにお伝えしたく、月々500円からの「オンラインサポーター」を募集しています。
ビッグイシュー・オンラインサポーターについて
あわせて読みたい
THE BIG ISSUE JAPAN456号特集:「抗震力」究極の地震対策
https://www.bigissue.jp/backnumber/456/
過去記事を検索して読む
ビッグイシューについて
ビッグイシューは1991年ロンドンで生まれ、日本では2003年9月に創刊したストリートペーパーです。
ビッグイシューはホームレスの人々の「救済」ではなく、「仕事」を提供し自立を応援するビジネスです。1冊450円の雑誌を売ると半分以上の230円が彼らの収入となります。