「スポーツに政治を持ち込むな」「スポーツ選手は粛々とプレーしてろ」そう主張する声も少なくない。だがこれは、いつも通りスポーツ観戦できれば、自分の知らない誰かが死のうと構わないということなのか。多くの命が理不尽に奪われている現状に、おかしいという気持ちは湧かないのだろうか。選手たちは好きでスポーツに政治を持ち込んでいるわけではない。「あきらかにおかしいこと」を変えようと、穏便に訴えても一向に変わらない現状に業を煮やし、より強くアピールできる手段を行使しているのだ。

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2020年8月23日、ウィスコンシン州ケノーシャで黒人男性のジェイコブ・ブレイクが背後から警官に銃撃された。この事件への抗議を示し、8月26日、米プロバスケットボール(NBA)のミルウォーキー・バックス(同じくウィスコンシン州拠点)の選手らはプレーオフをボイコット。この行動は黒人アスリートたちによる抗議運動の方向性を根本から変えるものとなった、ペンシルベニア州立大学准教授で黒人アスリートの抗議活動に関する研究者アブラハム・I・カーンの寄稿記事を紹介する。

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NBAの選手たちが試合をボイコットし、アスリートによる抗議活動は新たな段階に上がった。
Joe Murphy/NBAE via Getty Images

昨今のアスリートたちは社会問題に対する人々の“意識を高め”、“関心を呼ぶ” ためにスポーツの場を利用することが増えている、メディアではそう語られがちだ。しかし、人々の問題意識には限界があるし、こうした黒人差別を起因とする事件が起きても、いわゆる「構造的な変革」に結びつくことはまれだ。

ミルウォーキー・バックスの抗議に続き、多くの選手が試合拒否を表明したが、それは一部のコメンテーターが言ったように“問題意識を表明する” といったものではない。彼らが行ったことは、事実上の「ストライキ」だ。自分たちが経済的にも多大なる影響力を持っていることを世界に見せつけたのだ。

アスリートの抗議活動は2012年から加速

筆者が「黒人アスリートによる抗議運動」の研究を始めた10年ほど前は、運動は減少傾向にあると思われた。マイケル・ジョーダンやタイガー・ウッズは当時「マーケティングの神様」と崇められ、スポーツ界はグローバル資本主義の金満な世界に取り込まれていった。リスクを避けたいスポンサー企業と高額な広告契約を結んだ黒人アスリートたちを、富を約束される代わりに良心を売ってしまったと批判する者たちもいた。

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1997年、ニューヨーク市のナイキタウンにて自身がデザインしたアパレルの発表を見るマイケル・ジョーダン
AP Photo/Kathy Willens


しかし2012年頃から、流れが変わり始めた。フロリダ州で17歳の黒人少年トレイヴォン・マーティンが路上で自警団員の男に殺害された事件を受け、NBAマイアミ・ヒートの選手たちが抗議の象徴となったパーカーを着た写真を拡散したのだ*1 。



その2年後、アスリートの抗議活動はさらに加速する。発端は、NBAロサンゼルス・クリッパーズの選手らが、チームオーナーのドナルド・スターリングによる人種差別的発言に抗議の意を示したこと。ニューヨーク市警察によるエリック・ガーナー殺害*2 が起きると、NBAのスター選手たちは “息ができない(I Can’t Breathe)”と書かれた抗議Tシャツを着てウォームアップに参加した。



ミズーリ州ファーガソンでマイケル・ブラウン*3 が殺害された際には、全米フットボールリーグ(NFL)のセントルイス・ラムズの選手5人が、両手を挙げた「撃たないで」のポーズでスタジアムに入場、事件への関心を促した。スポーツチャンネル「ヴァイス・スポーツ」は、2014年を「アスリート抗議活動の年」と呼んだ。



2016年、NFLのコリン・キャパニック選手は警察の残虐行為に抗議し、国歌斉唱中に(起立を拒んで)ひざまずく行動に出て、この姿はその後、抗議活動を象徴するものとなっていった。



2020年夏、ジョージ・フロイド*4 の殺害に抗議してNFLのトップスター選手らが#BlackLivesMatter の動画を撮影。NFLコミッショナーのロジャー・グッデルは、キャパニック選手が事実上フットボール界から追放されたことに見て見ぬふりをしてきたが、この期に及んで「もっと早く選手の声に耳を傾けるべきだった」と認めた。



*1 人種差別主義者は、殺害された少年が着ていたパーカーが「黒人ギャングの典型スタイルだ」として、殺されたのは自業自得との論陣を張ったことから、マーティンが着ていたパーカーが抗議活動の象徴となった。

*2:2014年7月、ニューヨーク州でアフリカ系米国人男性エリック・ガーナーが警官から腕で首を絞められ死亡した事件。ニューヨーク市警察(NYPD)は、絞め技をかけた警官を解雇したが、ガーナー氏が死に際に口にした言葉「息ができない」は後に、警察による残虐行為への抗議スローガンとなった。

*3:2014年8月、アフリカ系米国人のマイケル・ブラウン(18)がコンビニエンスストアから出てきたところを窃盗容疑により警官に射殺された。丸腰のブラウンに対して10発を発砲した警官の残虐性に非難が高まり、その後の暴動や略奪に発展した。

*4:2020年5月、アフリカ系米国人男性ジョージ・フロイドが米国ミネアポリス近郊で、警察官の不適切な拘束方法によって死亡した。

国旗掲揚で起立を拒むがムーブメントに

抗議するアスリートたちはTwitter や InstagramなどのSNSや、Tシャツを使っている。もちろんこれらの方法にも大きな力があるが、さらにやれることがある。プロスポーツリーグは、スポンサーや広告主、TV放送網と強い関係性があるのだから、もっと大きな影響力を行使することができるのだ。 プロスポーツ界では、グッデルのような「コミッショナー」の立場にある者たちが絶大な力を持っている。スポーツ界を背後から采配し、アスリートのメッセージをスポーツ界全体の声として発信することもできるのだから。

しかし2017年、この「力」が皮肉な使われ方をした出来事があった。トランプ大統領が「国歌斉唱の際に起立しなかったNFLの選手は解雇すべき」と発言したが、NFLダラス・カウボーイの選手たちは国歌斉唱の際に全員でひざまずいて連帯を表明したいと求めた。トランプ支持を公言しているチームオーナーのジェリー・ジョーンズは、抗議活動には賛同するが国歌斉唱中にやってはならないと判断。結果、選手たちとジョーンズは腕を組んで登場、共にひざまずいたが、国旗掲揚が始まると全員で立ち上がったのだ。

FotografieLink_iStock
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抗議するアスリートとスポンサー企業の力関係

アスリートとリーグ側で、どちらがより大きな影響力と注目度を持っているかを張り合うこともできよう。だが、ナイキがアメフトのコリン・キャパニック選手とブランド契約を結んだときのように、企業との関係性が危険なものになる恐れがある。

国歌斉唱で起立を拒むムーブメントの筆頭でもあったキャパニック選手を起用したこの広告は、保守派の間で「アメリカへの背信」と捉えられ炎上、ナイキ製品の不買運動に発展したのだ(一時、株価は3.2%下落)*5。キャパニック選手のナイキ広告には「何かを信じるんだ、すべてを犠牲にしても」とある。軍隊か警察のキャッチフレーズにも使えそうなこの文句によって、企業が発信するメッセージには(銃事件のことなどを明言していなくても)政治的な論争をヒートアップさせる効果があることを見せつけた。



*5 しかしその後、ミレニアム世代を中心に広告を支持する動きが高まり、ナイキ社の株価は史上最高値を更新。18年度の売上高は前年を大きく超え、同社に大きな利益をもたらした。
参照:Nike’s Kaepernick ad is what happens when capitalism and activism collide 


社会正義を語る広告にアスリートが登場することもあるだろう。しかし広告におけるアスリートの究極的な存在意義は「製品を売る」ことであり、アスリート本人が得られる対価以上の価値を企業にもたらすケースも少なくない。

企業がどのようなメッセージを発信するかは、企業の道義的な責務などではなく、「大衆の心情」や「株主の利益」によって決まる。ある企業がツイッターのアイコンを「Black Lives Matter(黒人の命を大切に)」に変更したとしても、何も発信しない、あるいは真逆の行動を取ったときより売り上げが伸びることを市場が保証してくれるわけではない。また当然のことながら、企業が自社ポリシーに反するメッセージを発信などできるはずがない。アスリートの抗議活動と企業との力関係というのは、脆くて壊れやすいものなのだ。

経済的圧力をかけた争いへ発展した今

ミルウォーキー・バックスの試合ボイコットがこの半世紀のアスリートによる抗議活動の中でも最も衝撃的な出来事となったのは、人々の意識を喚起したからでも対話を促したからでもない。労働者としての最も基本的な政治力である「ストライキ権」をアスリートが行使したからだ。プロアスリートたちは試合を退場することで、自分たちの持てる力を活用したのだ。黒人アスリートの経験について研究した社会学者ハリー・エドワーズが著書『The Revolt of the Black Athlete*6』(1969)の中で、「スポーツ界には白人男性の経済的、宗教的とも言える介入(で莫大な利益を上げている現実)がある。これを利用することで得られる力がある」と述べたように。

*6 2018年に50周年版が発行されたほど、今でも読まれるべき研究とされている。

TシャツやTVコマーシャルを見て司法長官や州副知事に抗議の電話をする人などいないだろうが、「試合ストライキ」による影響力はけた違いだ。プロの世界ではないが、2015年にもストライキの力が強く働いたことがあった。ミズーリ大学のフットボール選手らが人種差別への抗議ストを宣言すると、その36時間以内に大学の学長が解雇されたのだ。

ミルウォーキー・バックスの選手たちの退場を、主要メディアは「ボイコット」と説明し、リーグ側は「試合延期」と発表した。しかし、こういった文言では「スポーツビジネス」や「人種」の問題を提起したアスリートたちに襲いかかる脅威を見えなくしてしまう。黒人アスリートたちは労働者としての力を行動で示すことで、観衆を楽しませること、チームの金持ちオーナーのために稼いでやることを断固として拒否したのだ。

そして2020年は、警官による暴力行為と全米に広がった抗議デモ一色の夏となった。ジェイコブ・ブレイクの銃撃事件を受けて、アスリートたちは「説得」では効果がないという現実を目の当たりにし、自分たちの「影響力」を行使することにしたのだ。これは「傾聴」で解決するような争いではなく、「直接の経済的圧力」を必要とする争いなのだ、とアスリートたちは言う。

抗議としての試合ボイコットが、野球やフットボール、サッカー、そしてテニスにまで広がるのを見てみたい気もする。“アスリート労働者” たちによる共同体が出現したと捉えるべきなのかもしれない。

試合というショーを取りやめるアスリートたち

アスリートによるストライキが次にどこで起こるかは分からない。NBAは試合再開を発表し、NFLと同選手協会は「いつ何時、いかなる場所においても、人種差別と不平等があれば、我々はこれを断固として非難する」との共同声明を発表した。

この声明は、企業が労働者との共通利害を見出そうとしても、ほとんどの場合「本件に関する対話は困難に終わった」という結果に終わることを思い起こさせる。企業は対話が大好きだ。労働者の政治活動を「対話」の問題に矮小化させ、社会の変革スピードを妨げる嫌いがある。しかしスポーツ組織は、労働者であるアスリートたちがプレーを拒めば、迅速に行動を取る傾向にある。

人種間対立を煽りたがる大統領の下で政治情勢は二極化しているが、そんな中で道徳的な信念をもって挑戦するというのは、毒で汚された井戸に落ちる涙のしずくのようでもある。しかし、ミルウォーキー・バックスが取った行動は、新しいかたちの抗議活動の到来を告げた。抗議活動の場が広がったとか、主張がより説得力を増したとか、そういう意味での新しさではなく、「試合」というショーを意図して取りやめるという新しさである。

真の政治を成し遂げるため、アスリートたちが“労働者”としての力を活用し始めている。

著者
Abraham I. Khan
Assistant Professor of African American Studies and Communication Arts & Sciences, Pennsylvania State University

※ こちらは『The Conversation』掲載記事(2020年8月29日)を著者の承諾のもとに翻訳・転載しています。

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