インタビュー2/3 「環境問題は、姿を変えた人口問題。高見邦雄さんが語る「環境破壊と貧困の悪循環」」を読む
自然林の発見、そして荒れた大地に植物園誕生
緑の地球ネットワークの活動は、砂漠化した大地にいくつもの希望を生み出している。小学校付属果樹園は短期・中期的な希望を、マツの植樹は長期的な希望を、そして遠い未来に希望をともしているのが、荒れた大地に誕生した「植物園」だ。
「植物園というと、私なんかはレクリエーションの場だと思っていたんですけど、私たちの代表の立花吉茂さんによると、世界で最初にできた研究所が植物園だというんですね。工業化以前のことです。で、本気で緑化に取り組むなら、そこに植物園をつくって、その地域で育つ植物を集め、緑化の道筋を見つけなさいと言われたんです」
この計画のスタート時点で、大発見があった。地元の技術者に候補地探しと植生調査を頼んだところ、山の奥に自然林が見つかったのだ。これが高見さんたちの緑化に対する考え方を大きく変えたという。
「それまで見たのははげ山ばかりで、ほんとに森林が成立するのか、確証がなかった。この自然林を見たことで、森林が成立する自然の条件があるという確信をもてたんですね。そしてこの自然林は、ナラ、シナノキ、カエデなどの落葉広葉樹が中心で、種類もかなり多い。これらの樹種がこの地方の本来の主人公なんですね」
「今はどこでも広大な面積にマツを植えています。水不足の痩せた土地に育つのはパイオニアのマツしかないのです。でも、マツは育つにつれ、枯れ葉や枯れ枝を落し、土を肥やしていきます。それはマツにとっては困った環境で、やがて退場の時がやってきます。その時に選手交代するのが、主人公となる落葉広葉樹なのです」
100年の使用権を確保。1年で50センチの成長に希望
その自然林から遠くないところに、86ヘクタールの一山の100年間の使用権を確保した。99年のことだ。もちろんそこははげ山。なんとそれに「自然植物園」の名を冠したのだという。付近の村と協定を結び、放牧や柴刈りをしないようにしてもらった。管理棟を建て、常駐者をおき、周囲の自然林から集めた種を使って、100種類を超す樹木の苗を育てては、植え広げてきた。
「信じられないほどの成長ぶりなんです。最大のものは樹高12メートル、胸高直径20センチにもなっています。写真に撮るとこんもりとして、日本の森林と変わらないようにみえます。でも、たった10年で、こんなになるはずがないでしょ。秘密があるんですよ。実は、それまで10年くらいの間隔で、付近の村からやってくる人によって、柴刈りされていたんですね。地上部は伐られるけど、根は残っています。だから成長が速い。ナラやシラカンバは種子をつけ始め、周囲に小さな苗が自然に生えています」
08年の春から20メートル四方の調査区を2つ設定し、その中の樹木に番号札をつけ、成長記録を始めた。
「胸高直径4・5センチ以上の比較的大きなものについてみると、1年間で樹高は50センチ弱、胸高直径は0・3センチ余り伸びています。すごいのは林床です。たくさんの落ち葉がたまり、腐葉土ができます。土が肥えますから、当然樹木の生育もよくなります。すると落ち葉の量も増えますね。ここでもいい循環が始まるわけです」
「すでにいい結果が出ているんですけど、本当の値打ちが出るのは50年後、100年後で、もう宝物といっていいでしょうね。気の遠くなるような話ですけど、こういうものは誰かがどこかで始めないとできないんです」
また、新しいプロジェクトとして、木炭と菌根菌の循環利用も始める。育苗の際や果樹園の土に木炭を入れて、植物の成長を早める試験的な取り組みだ。
「黄土高原の土は、粒子が小さくて通気性が悪いので、木炭を入れるととても効果があります。木炭のそういう利用法はバイオチャーといって、日本や欧米などでも始まっていますが、中国で成功すれば大きな意味があると思うのです」
大地に木を植え、人の心にも木を植える
この活動がスタートした頃、日本の専門家から「素人は勇敢だな。だが黄土高原では木は育たんよ」と言われたことがある。困難や失敗を乗り越えて、少しずつ前進し、日本の専門家や現地の人びとの奮闘で、いくつものユニークな拠点も建設してきた。こうした緑の地球ネットワークの活動は、国際協力の貴重な成功例として国内外から高く評価されている。
18年もの間、この事業を支えてきたのは何だったのだろうか?
「こういう活動は始めるのは簡単なんです。何人かが集まり、『やろう』と言えば、できてしまう。大変なのは続けることです。やめたいと思ったことも、しょっちゅうでした。もう無理じゃないかという場面で、いろんな人の助けがあった。だから続けてこられたんですね」
緑化プロジェクトが成功するためには、3つの条件が必要だという。水や温度、土壌といった「自然の条件」、関係する県や郷など政府の支持を得る「社会的な関係」、プロジェクトを推進する村にリーダーがいるかどうかという「人的要素」の3つだ。しかし、そのなかでも一番重要なのが、「人的な要素」なのだという。
「3つともそろっている村は自分たちでちゃんとやっています。私たちが協力する村は、3つの条件のうち1つか2つ、あるいは3つとも欠けている村なんです。その時に、みんなを引っ張ってくれるリーダーがいれば、他の条件が欠けていても何とかなる。人にかかっているんですね。そういう意味では、私たちは中国側の人に恵まれました。スタート時こそ苦労しましたが、現地でこの事業を専門に担当する事務所が設置され、そこで事業計画の立案や実施、その後の管理も責任をもってやってもらえた。どこの国のどの分野の協力であっても、成否を分ける鍵はカウンターパートだと思いますね」
また、見えない壁もあった。大同は日中戦争時の激戦地。深刻な被害を受けた農村では、反日感情が非常に強かった。植林の記念碑に泥で「打倒日本!」と書きなぐられたこともあった。
「私自身、『日本鬼子!』と罵られたこともあります。そういうことを乗り越えることができたのも、緑化という同じ目的をもって、いっしょに汗を流してきたからなんです。緑の地球ネットワークは当初から、日本人のボランティアツアーを派遣しているんですが、土にも触ったことのない都会の学生なんかが大同に来て、農家に泊まり、土を掘って一緒に汗を流す。たくさんの市民が参加してくれる。そういう姿を見て、村の人たちも少しずつ気持ちがやわらいでいったんだと思います。
中国には、「木を育てるには10年、人を育てるには100年」という古い言葉がある。緑の地球ネットワークの活動は、大地に木を植えるだけでなく、人の心にも木を植え続けているのかもしれない。
(稗田和博)
(プロフィール)
たかみ・くにお
1948年、鳥取県生まれ。70年、東京大学中退。その後、日中の民間交流活動に従事。92年、NGO「緑の地球ネットワーク」の設立に参加し、94年から事務局長を務める。1年の3分の1を中国・山西省の農村で過ごし、植林活動を行う。著書の『ぼくらの村にアンズが実った 中国・植林プロジェクトの10年』(日本経済新聞社)は中国版、韓国版も出ている。
認定NPO法人緑の地球ネットワーク
TEL 06・6576・6181
(2010年1月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第134号より転載)