今もなお、多くの人にその死が惜しまれている猫のボブ。その影響を受けて誕生した日本の「ボブハウス」は、住まいを失った人たちがペットを手放すことなく、共に暮らしていくことを可能にしている。
他界して1年が経っても、多くの人々の生活によい影響を与え続けている猫のボブ。
英国版ビッグイシューの元販売者でストリートミュージシャンだったジェームズ・ボーエンが、薬物依存から抜け出すのを助けたこの猫の話は、書籍化されてベストセラーとなり、映画も大ヒット。ボブは世界中で熱心なファンを獲得した。
映画『ボブという名の猫』 予告編
それは一人の男性とその飼い猫の物語ではあったが、大勢の人が共感しうるものだった。彼らの話は、ホームレス問題をはじめとする社会の大きな課題に光を当て、同じようなトラウマを抱える人たちに対する見方を変えたのである。
猫好きの国として知られている日本で、ボブの人気は絶大だった。ジェームズとボブが映画「ボブという名の猫 幸せのハイタッチ」のプロモーションで日本に来た時、彼らは大勢の人々に囲まれた。『ビッグイシュー日本版』でボブが表紙になった号は早々に売り切れるだけでなく、ビッグイシュー英国版の表紙を飾る時はいつでも、遠く離れた日本からも大量の注文が届いたという。
2017年、来日したジェームズとボブはビッグイシュー日本版の販売者と交流した
しかし、ボブが日本で人気だったのは、ボブが「とりわけ可愛かったから」という理由だけではない。実際、ボブは日本に素晴らしいものを遺していたのである。東京から石川忍がレポートする。
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直美さん(仮名)が2020年5月に住まいを失った時、彼女は2匹の飼い猫マーとニイを東京の動物保護施設に預けるしかなかった。
日本政府は、その前の月に新型コロナウイルス対策として緊急事態宣言を発出。不要不急の外出が制限され、多くの店に休業要請が出される中で、接客業界で働く人たちが受けた影響は大きく、直美さんもその一人だった。
行く場所を失った彼女が、支援団体に助けを求めた時、所持金はわずか1,000円だったという。
当時、東京都では、緊急事態宣言下で住まいを失った人に対してホテルの部屋を提供していたが、ペット同伴は許されていなかった。しかし直美さんには、そこに行く以外に選択肢がないように思えた。
「猫たちに会いに施設に行けるのは週一回だけでした」と彼女はいう。「ケージに入れておくのは嫌だったけど、仕方がなかったんです」。
そんな直美さんと猫たちを、再び一緒に暮らせるように結びつけたのが「ボブハウス」と呼ばれるシェルターだった。
「ボブハウス」で飼い主と一緒に暮らせるようになったペットたち。左上は直美さんのマーちゃん。
このシェルターを作ったのは、ボブの物語に心を動かされた稲葉剛。生活困窮者を支援する一般社団法人つくろい東京ファンド代表理事で、認定NPO法人ビッグイシュー基金共同代表でもある。
「ボブが亡くなったというニュースを聞いた数日後に、Twitterで『ボブハウスを開く』と宣言しました」と稲葉はいう。「生活困窮者の支援活動に20年以上携わっていますが、自分がしてきたことはボブの足元にも及びません」。
稲葉によると、これまで生活に困窮したことがなかった人たちがコロナ禍によって住まいを失っているという。そうした中には、かつてはペットを飼う余裕のあった人たちもいる。しかし、ペットと共に入居できるシェルターが東京にはなかった。
住まいを失った人々が、都内の自治体職員から受けられるのは、「施設ファースト型」の支援だと稲葉は言う。つまり、彼らが公的支援を求めた時には、多くの場合、相部屋の施設を紹介される。そうした施設のルールの下では、動物と暮らすことなどほぼ論外なのである。
「住まいを失った人の中には、ペットを処分するように言われたり、世話を誰かに頼むように言われたりする人もいます」と稲葉はいう。
また、ペットと住める手頃な家賃のアパートを東京で見つけるのは容易ではない。経済的に難しい状況にある人にとってはなおさらだ。
ある大手不動産サイトによると、東京23区内で賃貸に出されている物件は約106万戸あり(2021年5月末時点)、その約20%がペット可物件であるが、5.5万円以下の物件を検索すると、その割合はわずか1%となる。
この家賃は、生活に困窮する単身世帯向けに政府が提供する住宅扶助限度額を超えている上、そもそもペット可物件は敷金が高くなるのが一般的だ。
こうした中、ボブハウスのような取り組みはとりわけ重要な意味を持つ。当初、個室2部屋でスタートしたボブハウスは、現在4つの部屋を提供している。2020年7月のオープン以来、20代から40代までの5人がボブハウスを利用した。
そのうち、直美さんを含めた2人は、賃貸住宅の初期費用を補助する民間の支援プログラムを利用して、既に一般のペット可物件に移ることができた。 直美さんは現在、パートタイムの仕事をしながらより安定した仕事を探している。もしボブハウスがなかったら…と彼女はいう。
「自分の将来はお先真っ暗だと思って、もう死ぬしかないとか思ったこともあったんですけど、今は猫もいるし東京で頑張っていこうと思えます」と直美さんはいう。「ボブハウスがあってよかった」。
ボブハウスの今後の入居者たちも、ジェームズとボブの物語を知ることになるだろう。猫のボブは今後も同じような境遇で同じような経験を持つ人たちの記憶に残り、これから先もずっと彼らに希望を与え続けていく。
※この記事は 2021年6月14日に英国版ビッグイシューのサイトで紹介された記事の日本語版です。
取材・文 石川忍
1978年東京生まれ。立教大学卒、立命館大学大学院博士前期課程修了。
(公財)フォーリン・プレスセンターにて外国メディア向けの取材コーディネーターを務めた後、 2014年にフリーの日英翻訳者、ライターとして独立。
NHKの海外向け英語放送「NHKワールドJAPAN」の英文記事作成、字幕翻訳、国内向け二か国語ニュース原稿の英訳を手掛けるほか、海外向け日本旅行情報サイトJapan Travelなどに英語で記事を執筆。
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(『ビッグイシュー日本版』316号は現在PDF版で購入可能)
書籍『ボブが遺してくれた最高のギフト』
著者:ジェームズ・ボーエン 稲垣みどり 訳
定価:本体1,600円+税
出版元:辰巳出版株式会社
http://www.tg-net.co.jp/item/4777827151.html?isAZ=true
▼稲葉による「ボブハウス」のご紹介
**新型コロナウイルス感染症拡大に伴う緊急企画第6弾**
2021年6月4日(金)~2021年8月31日(火)まで受付。
販売者からの購入が難しい方は、ぜひご検討ください。
https://www.bigissue.jp/2021/06/19544/
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ビッグイシューはホームレスの人々の「救済」ではなく、「仕事」を提供し自立を応援するビジネスです。1冊450円の雑誌を売ると半分以上の230円が彼らの収入となります。