オノ・ヨーコと言えばジョン・レノンの妻、平和活動家として広く知られているが、幼少期より日本とアメリカを行き来して育ち、大学で音楽と詩を学んだ前衛芸術家だ。彼女の詩がジョン・レノンにインスピレーションをもたらし、「イマジン」が生まれたと言われている。


マッチを擦って、火が消えるまで見つめなさい。

セントラルパークの池の
真ん中に行きなさい。
あなたの宝石をぜんぶ投げこみなさい。

叫びなさい。
一、風にむかって
二、壁にむかって
三、空にむかって

オノ・ヨーコが1950〜60年代に打ち出したこれら奇抜な行為は、人を元気づける、とっぴなアート的構想の到来となった。今日さまざまな分野で取り入れられている「セルフケア」の精神を思わせるものであると説く、ニューヨーク大学音楽学部のブリジット・コーエン教授による『The Conversation』寄稿記事を紹介しよう。

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オノ・ヨーコにとっては独創的な行為が生き抜く手段だった。Susan Wood/Getty Images

オノ・ヨーコにとってのセルフケアとは

自分自身の心や体の健康を大切にする「セルフケア」。その起源は、医学研究や1960〜70年代の黒人解放運動など多岐にわたる。ここ数十年でその注目度は高まり、美容業界やフィットネス業界も、積極的にマーケティング戦略に取り入れている。

しかし、オノ・ヨーコにとってのセルフケアは、スパでトリートメントを満喫するといったものではなく、心に集中し、行動するエネルギーを集め、想像力と外の世界をつなぎ、自身を力づけることだった。そのために、ユーモアや遊びを通して思考を刺激するということを試みた。

作曲家シュテファン・ヴォルペとの出会い

ジョン・レノンとの結婚ばかりが注目され、オノ・ヨーコ自身の作品や経歴は見過ごされがちだ。筆者は、ドイツ生まれのユダヤ人作曲家シュテファン・ヴォルペ(1902-1972)について研究していた際に、その関連資料の中に混ざっていた彼女の詩を偶然目にしたのだが、当時は彼女の経歴や思想について何も知らなかったに等しい。

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シュテファン・ヴォルペ。Archiv der Akademie der Künste, Berlin, CC BY-NC-SA

10代のヴォルペは、第一次大戦後のベルリンで路上生活を送った後に、進歩的な芸術教育を行うバウハウスで学んだ。そこで、ソーシャルワーカーで心理療法士のシュタイフ・ボルンシュタインらが提唱するアートセラピーの概念を学んだ。1933年にナチスが政権を握ると、ユダヤ人のヴォルペは亡命を余儀なくされた。娘(後にピアニストとして活躍したカタリーナ・ウォルプ)をスイスの児童養護施設に預けるなど、家族とは離ればなれとなった。第二次大戦が終わると、ヴォルペはそれまでの音楽教育を生かし、作曲にいそしんだ。それは、恐ろしいほどの制約やとてつもない喪失感の真っただ中にあって、何かが始まることの素晴らしさを提示する想像的な行為だった。

オノ・ヨーコが、30歳以上も年上のヴォルペや、彼の3人目の妻で詩人のヒルダ・モーリーと親しくなったのは1957年ごろのこと。ヴォルペたちが暮らすニューヨークのモーニングサイド・ハイツでお茶を飲みながら、「ふたりが醸し出す知的で温かみのあるヨーロッパ的な雰囲気」を楽しみ、「ヴォルペの作品がとても複雑で精密で、それでいて感情豊かであることを知って驚いた。当時の作曲家で無調音楽をあれほど見事に表現した人を他に知らない」とエッセイに綴っている*1。

*1参照:IMAGINE PEACE-My memory of Stefan Wolpe by Yoko Ono

疎開中に生み出した想像力を駆使した儀式的行為

オノ・ヨーコがアーティストになりたいとの思いを自覚したのは、1945年、東京が大空襲に見舞われ、家族で長野の寒村に疎開しているときだった。ヴォルペが保管していた彼女の詩には、こんなふうに描かれている。
the snow swallowed the sunset
the bright sadness has ended
only insane fingers frozen remained lying
infinitely
in the field
like landed fishes


雪が夕日を飲み込んだ
明るい悲しみは終わった
凍った狂気の指だけが
野原に限りなく
横たわっている
水揚げされた魚のように
雪に覆われた土地の飢え、恐怖、そして美しさを想起させる詩は、祖国ドイツを去らなければならなかったヴォルペの人生と不思議なほど重なるように筆者には感じられる。

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両親と2歳のオノ・ヨーコ(1935年撮影)Michael Ochs Archives/Getty Images

食べ物や住む場所もままならなかった日々について、オノ・ヨーコはインタビューの中でこう語っている。「寝そべって、(納屋の)屋根にあいた穴から空を見上げ、弟と一緒に空想の献立を考えることで生き延びた」。絶望的な状況を生き抜くには想像力が欠かせないと痛感し、「正気を保つために新しい儀式的行為が必要だった」とも述べている。

ヴォルペと出会った頃のオノ・ヨーコは、当時の女性としては型破りな芸術の道を選んだことで、両親と疎遠になっていた。ヴォルペとの交流を深め、詩を共作するようになったが、それらはまさに「想像的な儀式的行為」であり、自身にとっても、亡命者であるヴォルペにとっても、「セルフケア」となったのだろう。ヴォルペ夫妻はオノ・ヨーコがタイプライターで打った詩を大切に保管、自宅が激しい火災に見舞われたときにも無事救い出した。

儀式的行為の一般公開と代表作『グレープフルーツ』

オノ・ヨーコはその後も自分を立ち直らせる儀式的行為に傾倒し、アーティストとしての基盤を形成していった。献立を想像すれば、空腹を忘れられる。空に向かって叫べば、激しい感情をかたちにできる。マッチを擦って消えていく火を見つめれば、心が穏やかになる......。

当初、その行為はひとりで行う個人的なものだったが、やがて、そうした儀式を一般に公開し、新しいアートのかたちを生みだしていった。自ら「インストラクション・ピース」と呼ぶこの行為によって、60年代のパフォーマンスアートやコンセプチュアルアートの先駆者となった。日本人の女性アーティスト、また平和活動家として、ジェンダーや人種的偏見に直面しながらも、“生き抜くための芸術”という精神が彼女を支えた。

1964年に、わずか500部限定で出版された著書『グレープフルーツ』*2は、セルフケアとしてアートを捉え直したオノ・ヨーコの代表作だ。
想像しなさい。
千の太陽が
いっぺんに空にあるところを。
一時間かがやかせなさい。
それから少しずつ太陽たちを
空へ溶けこませなさい。
ツナ・サンドウィッチをひとつ作り
食べなさい。


すべてが命令形で書かれ、外の世界に対する認識、想像力、行動をどう捉え直すべきかを導く。心を集中させるもの、幻覚的なもの、ユーモアのあるもの、さまざまな命令が記されている。突拍子がなく、ウィットに富んだものも多いが、彼女のアートに宿る精神は、「サンドウィッチを食べよ」という命令も含め、至ってまじめである。

*2 その後、1970年に英語版が世界発売。33人の写真家による写真作品を加えた新装版『グレープフルーツ・ジュース』が、1993年講談社より出版されている。

今の時代にあるべきセルフケアとは

米国心理学会によると、「成人の32%が強いストレスを感じている」ため「何を食べるか、何を着るかといった簡単な判断がしづらくなっている」という。その割合は、経済的不安やその他の生活苦に直面しやすい有色人種や若年層でより高い。こうした事実を踏まえると、いったいセルフケアとは何なのか、それはアートとどう関係してくるのかを考え直すことが必要ではないだろうか。

このコロナ禍で、アートセラピーに関する議論や試みが増えているのも当然の流れだろう。たとえば、「大人のぬり絵」や「エモーション・ホイール」(感情を色分けして図に表す)などのアプローチは、オノ・ヨーコの作品を展示する美術館の世界とほど遠いものに感じられるかもしれないが、視座を変えれば、オノ・ヨーコのアートに宿る精神と不思議なほど近いともいえる。

政治的混乱や経済的不安の時代にあって、日々の生活で取り入れやすいアートのあり方は、精神を保ち、たくましく生きるうえで役立つだろう。そして、想像もしなかった方法で過去の苦しみとつながることができるだろう。そんな世界との関わり方を取り入れることで、日々を健やかに過ごしやすくなり、未来への素晴らしいビジョンを得ることができるかもしれない。

By Brigid Cohen
Courtesy of The Conversation / International Network of Street Papers



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