中部アフリカに位置するコンゴ民主共和国では、1990年代から紛争が続き、約600万人が殺され、奪略や強姦が横行している。地元の人々の分裂を目的とした性的暴行がまかり通る中、そのおぞましい被害を受けてきた女性たち7万人以上の治療と社会復帰サポートに力を注いできたのが、産婦人科医で人権活動家のデニ・ムクウェゲだ。スウェーデンの『ファクトゥム』誌が話を聞いた。

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Credit: Lisa Thanner デニス・ムクウェゲはパンジ病院で花々と有刺鉄線で囲まれた中で暮らしている。

コンゴ民主共和国のブカヴにあるパンジ病院。敷地内の人目につかない場所に座ったデニ・ムクウェゲ医師は、その言葉に大きな力とエネルギーを込めつつも、こちらが一語たりとも聞き落とさないようにするためか、落ち着いた口調で語る。「レイプされた多くの少女たち(大抵は武装集団から)は、自分が何をされたのかわからないまま、ここにやって来ます。ましてや、これから自分の身に起こることなど知るよしもありません」

「12歳やそこらの少女たちは、自分が母親になるなんて理解できません。その態度やふるまいを見れば、一目瞭然です。彼女たちは子どもなのです。彼女たちにできるかぎり第二のトラウマを与えないための支援に取り組んでいます」

ムクウェゲが話しているのは、パンジ病院が提供しているホリスティック(包括的)なマタニティケアだ。レイプされた子どもへの身体的・心理的な治療は、医者としても「悪夢」だ。これからも生き続けたいと思えるよう彼女たちを精神的に支え、中絶が可能な時期を過ぎてしまった者には出産をサポートする。苛酷な仕事だが、心に傷を負った彼女たちが、父親を知らずに生まれてきた子どもと絆を形成していく姿を見られたときは、少し救われる気持ちになるという。

ムクウェゲは半自伝的著書『The Power of Women: A doctor's journey of hope and healing』(2021年11月刊行、未邦訳)の中で、女性や少女に対する暴力行為は長年の間にエスカレートし、虐待行為はいっそう残忍になってきたと書いている。自身が押しつぶされそうになり、この仕事を続けられるだろうかと――何度も――自問した。が、性的暴行を生き延びた自分の患者たちから力をもらってきたとも。

「足を引きずって病院にたどり着く彼女たちが見せる強さや勇敢さに称賛の思いがあります。だからこの仕事を続けられています。性器をむごたらしく扱われ、もう二度と性行為をすることも、家族をつくることもできなくなった彼女たちが生き続けるのに、私があきらめるわけにはいきません」

そんな女性たちを治療し、社会復帰させてきた努力と、社会のあり方を変える闘いを続けてきたムクウェゲは、2018年のノーベル平和賞をはじめ、数々の賞に輝いてきた。世界各地から届く寄付が彼の活動を支えてきたが、それだけでは問題は解決できない。

女性の出産が最も危険な国で女性を守る理由

コンゴ民主共和国は、戦争の「武器」として性的暴行がはびこる以前から、女性が出産で命を落とす可能性が高い、最も危険な国のひとつだった*1。

*1 妊娠・出産で命を落とすのは日本では出生10万人あたり5人だが、コンゴ民主共和国では473人。(参照)。そんななかパンジ病院では年間3500人の新生児が産まれ、99.1%の生存率(妊婦死亡率0.19%)と驚異的な実績を上げている(参照)。

しかし、女性の権利のために闘う一人の男性として、ムクウェゲは今でも自分は「独り」だと感じている。「なぜこんな活動をしているのか」と疑問を投げかけられることも少なくない。ヨーロッパで開催される国連の宴の場でもそんな場面に遭遇するという。ムクウェゲの答えはいつも同じ、かつシンプルだ。「私が女性を守るのは、女性は私と平等な存在で、女性の権利は人権だからです」

自身がフェミニストの活動家になったのは「偶然」とムクウェゲは語る。長年の挑戦の中で、希望と絶望のはざまで引き裂かれ、眠れない夜も幾度もあった。だがムクウェゲ――そしてパンジ病院――は、未来を見据えて前進することに焦点を当ててきた。

パンジ病院のホリスティックな治療モデルは、医学的・心理的な治療だけでなく、患者たちへの社会経済的かつ法的サポートまでを含む。ムクウェゲの発信により、国外でもよく知られるようになっている。世界中で本が出版され、尊敬を集め、耳を傾けられてきた。「ホリスティックなマタニティケアが違いを生むことは明らかです。実際にトラウマを和らげ、母子ともに合併症を減らし、出産にともなう死亡率を激減させていますから」

男性が出産に立ち会う意義

その一方で、男性の伝統や態度を変えていこうとする彼の取り組みはまだあまり実を結んでいない、と認める。25年前、ムクウェゲがラメラという山村にある病院で産科医として働き出した頃、妊婦に「夫はどこにいるのだ」と聞いたところ、妻が苦しんでいる場に居合わせたくないという答えが主流だった。

「子どもが生まれる場に男性も立ち会うべきということを理解してもらおうと長年努力してきました」とムクウェゲは話す。「文化的なふるまいは、『こうしなさい』と言うだけではなかなか変えられませんから、厳しい道のりでした。でも新しいプログラムにより、変化は可能だということが分かってきました」

ヨーロッパでも50年前は今とでは状況が大きく違いましたよね、とムクウェゲは続ける。それが今では、男性と女性が一緒に出産を経験することのメリットがしっかり共有されています。なので、この国でも変化をもたらせるはずだと。

ムクウェゲが現在期待を寄せているのは、建設中の5つの分娩室だ。この部屋ができれば、妊婦たちがより安全な環境でリラックスして過ごせる。国内の他の病院にもこのケアモデルを拡大していきたいと考えている。「女性の出産の場に男性が立ち会うようにすれば、2〜3人以上の子どもを産みたくないと言う女性の思いなども理解できるようになるでしょう」とムクウェゲ*2。

*2 コンゴ民主共和国の平均出生数は6.6人。

パンジ病院のリノベーション計画

数々の困難、苦闘、喜びを乗り越えてきたムクウェゲは現在67歳だが、「自分がいなくなった日にこの病院がどうなるかは心配していません。一緒に働いている、頼りになるスタッフがたくさんいますから」と語る。当初は3人しかいなかったスタッフも、現在は医師(男女含む)、助産師、看護師、一般スタッフが60名近くいるし、経験も知見も大いに深めてきた。

それよりも懸念しているのは、病院の建物の維持だという。パンジ病院は1999年、第二次コンゴ内戦中に建てられた時のままで、拡大させてきた支援規模に見合っていない。今、期待しているのが、母子ユニットの新設プロジェクトだ。実現可能性についての調査を終え、現在は資金を募っている段階だ*3。この新ユニットの建設が、病院の長期開発計画の第1ステージになればと願っている。この準備を整えられたら、ムクウェゲは「自分の務めを終えた」と思えるのだろう。

*3 このプロジェクトには、スウェーデンの建築会社「ホワイト・アーキテクテール」のデザインチームや、長年コンゴ民主共和国で助産師アドバイザーを務めてきたヨーテボリ大学のマリー・ベルグ教授なども関わっている。

指導者不足に苛まれているコンゴ民主共和国の状況について、ムクウェゲは「人権に関していうと、それはもうひどい状況です」と言う。「女性の権利はないも同然で、あまりにも簡単に人々が殺されています」。ムクウェゲ自身、何度も暗殺されかけた過去がある。2012年には、自宅に侵入してきた犯人に娘たちを人質にとられ、警備員と友人が殺害された。数ヶ月間、家族で国外に身を隠したが、帰国を待ちわびる国民の声に押され、2013年初めに自国に戻った。現在は、国連による24時間体制の武装警備がついた病棟での生活を強いられている。

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Credit: Lisa Thanner ブカヴ中心地に立てられたデニス・ムクウェゲの看板。
政府の敵とみなされ、脅威にさらされ、国内を自由に動き回れないが、国民には絶大なる人気がある。


ノーベル平和賞を受賞したデニス・ムクウェゲは自国では自由に動き回れないかもしれない。だが、コンゴ民主共和国の女性たちを支援し、世界各地でジェンダーの平等を訴える活動までは阻止できないだろう。

パンジ財団
  
https://panzifoundation.org

By Malin Clausson
Translated from Swedish via Translators without Borders
Courtesy of Faktum / International Network of Street Papers

映画『女を修理する男』




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