ケニアのマサイマラ保護区(※1)で小型飛行機を自ら操縦し、ゾウの密猟対策や野生動物の保護に奔走する滝田明日香さん。象牙・銃器の探知犬、密猟者の追跡犬とともに保護活動をしている、3年ぶりに観光客が戻ってきたこと、引退した追跡犬と探知犬の2頭についてのレポートが届いた。


※1 ケニア南西部の国立保護区。タンザニア側のセレンゲティ国立公園と生態系を一にする。

久しぶりの野生動物の治療の後
まさかの「コロナ陽性」に

本誌436号(2022・8・1「ケニア便り」23)で報告したが、6月のある日、ツァボ国立公園でケニア野生動物公社によるゾウのトランスロケーション(※2)を終え、その足で親しい友人でもある野生動物獣医のリモ先生と一緒に車で帰った。久しぶりの野生動物の治療に満足して、それは楽しい道中だった。

※2 野生動物を麻酔で眠らせて移動するオペレーションのこと。この時は畑の作物を荒らす象を、他の保護区に移動させた。

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6月、ゾウのトランスロケーション

 翌日にはナイロビに着き、ケニア野生動物公社の本部で輸入された麻酔銃の手続きなどに1日を費やし、その次の日はマラコンサーバンシーのオフィスで溜まった仕事をした。その夕方、泊めてもらっていた友人の家に戻ったのだが、突然、足首の関節が痛くなって、寒気がし始めた。一晩寝れば体調が良くなるだろうと思い、その夜はガタガタ震えながら早めに寝た。しかし、朝になっても熱はないのに体調は良くならない。おまけに咳まで出てくる始末。

 友人に病院に行って薬をもらってくるように言われ、近くの病院まで送ってもらった。長い時間待たされたのに、結局は咳止めや痛み止めしかもらえず、次の日に血液検査やコロナ検査の結果を聞くように言われた。痛み止めで関節の痛みは少しマシになったが、咳は一向に止まらない。そして翌日、病院に電話をすると、まさかの「コロナ陽性」。

 それまでケニアではずっと法律で、家の外ではマスクをつけるようにと規制されていて、1ヵ月前に、コロナ禍以来初めてマスクを外していいことになった矢先のことだった。そして、去年は妊娠中だったこともあって、むやみに外出することは避けていたし、新生児にコロナをうつしては怖いので、人混みを避けた生活を3年ほどしてきた。

 そんな中、ツァボのトランスロケーションが終わった後、コロナ禍になって以来初めての外食を楽しんだのだった。そして、見事にリモ先生と同時にコロナに感染してしまった。彼もツァボからナイロビに行って、自宅で発病したらしいと聞いた。私はその後、10日間ずっと体調が悪かったので、隔離生活を続け、陰性になるまで赤ちゃんのいる自宅には戻れなかった。

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隔離生活を送った部屋

7月はヌーの大群が移動の時
ヨーロッパからサファリ客増加

 7月の観光ハイシーズンは、この3年間の中で観光客の数が一番多かった。数年間ずっと〝監禁生活〟を送っていたヨーロッパの人々が、規制が緩くなったことでサファリにやって来たのである。ヌーの大群の移動時期がやってくると、観光客を乗せて走るサファリカーの数も一気に増え出した。

 ゲートで保護区内に入る車をサーチする仕事をしている探知犬もハンドラー(犬の調教師)も、やっと仕事に復帰できて大喜びである。この数年ずっと保護区内がガラガラな状態を見てきたので、忙しく観光客を乗せた車が行き交う姿を見るのは新鮮だった。

 しかし、8月と9月は、立て続けにマラコンサーバンシーのドッグユニットから引退した2頭の犬が老衰で天国に行った。8月、私が最初に訓練した追跡犬のアナはナイロビ郊外の大きな農家で優しい家族に迎えられて暮らしていたが、同じく引退した追跡犬であった娘のナエクに見守られながら息を引き取った。大きな敷地を自由に走り回り、おいしいご飯をいっぱい食べて、現役の時はスリムな追跡犬だったアナはすっかり、ぽっちゃりなおばあちゃん犬になっていた。私にとっては、初めて追跡犬の繁殖に成功し子犬訓練をした思い出深い雌犬である。追跡中に鼻を地面近くにピッタリつけて真面目に追跡する彼女の素晴らしいトラッキングスタイルは、その子孫に継がれている。

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追跡犬のアナ


元探知犬ガービーが行方不明に
なぜか数日間、違う犬のように

 そして、9月中旬には、ケニア海岸地方の家で引退生活をエンジョイしていた探知犬のガービーが老衰で天国に行った。ビーチに面している家で毎日海に自由に通える生活は、泳ぐのが大好きだったレトリバーのガービーにとって最高な日々だったと思う。ガービーの引退後の生活にはおもしろい裏話がある。じつは彼はその家からしょっちゅう逃亡していたというのである。

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探知犬のガービー

 突然ビーチから消えて何日も徘徊することがあったので、もしかしたら認知症の気があったのかもしれないが、中でも驚くようなことがあった。飼い主から「またガービーが戻ってこない」と連絡があった時、すでに1週間も行方不明になっていた。彼女はあらゆる場所を探して、見つけてくれた人にはお礼をしますという宣伝紙まで配っていたのだ。結局、ガービーはその後ずっと行方不明で、1ヵ月たってようやく家に戻ってきた。

 飼い主は大喜びで「ガービーが戻ってきた!」と連絡をくれたのだが、戻ってくるまでの間、ガービーがどのような生活をしていたかを聞いて驚いた。なんでもガービーは、家の目の前の海で泳いでいる時、ビーチを歩いていた人について行ったらしい。もともと、とてもフレンドリーな犬だったガービー、何㎞も続くビーチを歩いているうちに、老犬でもあるのでどうやって家に帰るかわからなくなったのかもしれない。その後、数人が、ガービーらしい犬と人が一緒に歩いている姿を目撃している。飼い主はいろいろな情報を集めて、決してガービー探しをあきらめなかった。

 どうやら、最終的には隣町のビーチを歩いていたラスタ(※3)のビーチボーイに付いていってしまったことがわかった。飼い主が1ヵ月かけてやっと、そのビーチボーイの住んでいる場所を突き止めてガービーを見つけ出したのだが、その時のガービーの状態がなんか普通じゃなかったらしい。

※3 ラスタファリ。ジャマイカを中心として発達した宗教的社会運動。アフリカに出自をもつ人々の地位向上を希求する。

 いつもはハイパーで多動なガービーなのだが、帰ってから数日ずっとゴロゴロ昼寝しては食べてばっかりだというのだ。目も半分ぐらいしか開いていなくて常に眠そうな表情で、すっかり温厚な性格になったという。「そ、それはラスタの吸っていたマリファナの煙を吸っていたのでは……?」と私が言うと、飼い主も「私もそう思う、1ヵ月近くマリファナを吸う生活をしていたんだと思う」と。
 その後、またハイパーなガービーに戻るのだが、その数日間はすっかり違う犬になっていたそうだ。老後をいろいろエンジョイしたガービー、天国でも楽しい日々を過ごしてほしい。


 (文と写真 滝田明日香)



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「アフリカゾウの涙」では、みなさまからの募金のおかげで、ゾウ密猟対策や保護活動のための、象牙・銃器の探知犬、密猟者の追跡犬の訓練、小型飛行機(バットホーク機)の購入、機体のメンテナンスや免許の維持などが可能になっています。本当にありがとうございます。引き続きのご支援をどうぞよろしくお願いします。寄付いただいた方はお手数ですが、メールでinfo@taelephants.org(アフリカゾウの涙)まで、その旨お知らせください。
山脇愛理(アフリカゾウの涙  代表理事)
三菱UFJ銀行 渋谷支店 普通 1108896
トクヒ)アフリカゾウノナミダ


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以上、ビッグイシュー日本版443号より「滝田明日香のケニア便りvol.24」を転載。

たきた・あすか

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1975年生まれ。米国の大学で動物学を学んだ後、ケニアのナイロビ大学獣医学科に編入、2005年獣医に。現在はマサイマラ国立保護区の「マラコンサーバンシー」に勤務。追跡犬・象牙探知犬ユニットの運営など、密猟対策に力を入れている。南ア育ちの友人、山脇愛理さんとともにNPO法人「アフリカゾウの涙」を立ち上げた。 https://www.taelephants.org/


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▼滝田あすかさんの「ケニア便り」は年4回程度掲載。
本誌75号(07年7月)のインタビュー登場以来、連載「ノーンギッシュの日々」(07年9月15日号~15年8月15日号)現在「ケニア便り」(15年10月15日号~)を本誌に年数回連載しています。











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