薬物依存症に苦しむ人々に農業を中心としたさまざまな仕事を提供することで、依存症からの回復を手助けするドイツの「フレッケンビュール農場」。
自身も当事者の一人で、役員のロルフ・シュテルクがこのユニークな回復施設について語った。
 

有機農業で薬物と縁を切る。セラピーに代わる“普通の仕事”

ドイツ西部、ヘッセン州ヴァルデック=フランケンベルク郡。ここにおよそ250haの大きさをもつフレッケンビュール農場が広がっている。まさに田園と呼ぶにふさわしい素朴な美しさを見せるこの農場について、ドルトムントやボームフにいる薬物依存症者に尋ねてみるといい。「聞いたことがある」から、「あそこは……」まで、さまざまな反応があるだろう。なぜならこの農場は、年に何百人もの人々に薬物と縁を切るチャンスを与えてきた回復施設でもあるからだ。

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Photos: Sebastian Sellhorst, Die Fleckenbühler

始まりは1971年。米国発のリハビリテーションプログラムに基づいた薬物依存症者の自助施設(※ 依存症の当事者が互いに助け合って回復にのぞむ施設。セルフヘルプとも。)がベルリンに設立されると、施設のメンバーたちは「自分が食べるものを自分たちで育てて、より健康的に生きること」を目指し、農作業ができるような大きな菜園や農場を探し始めた。

幸い、ヘッセン州にいくつかの心当たりが見つかり、84年にはマーブルクに近い農場を購入して、ベルリンから14人が移住。中には、農業の有資格者も含まれていた。

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Photos: Sebastian Sellhorst, Die Fleckenbühler

「農地は20年間放置されていたので、土壌に化学物質は残っていませんでした。そのため、87 年までには『デメター有機農業連合会』からも認定を受けることができました」と、フレッケンビュール管理組合の役員であるロルフ・シュテルクは話す。

州や連合会の支援もあり、農場は軌道に乗り始める。乳牛や山羊を飼い、チーズをつくり始め、ベーカリーなどいくつかの店舗も出した。そのほか、学校給食、ケータリングサービス、引っ越しサービスなどの事業も展開している。

現在は120人ほどの成人と数十人の未成年がこの農場で暮らしている。毎年、数百人の依存症者がドイツ全土からやってきて、この施設の扉を叩く。入所にあたっては待たされることもなく、手続きは最小限だ。

「私たちの方針として、いわゆる“普通のセラピー”は一切なし。アートセラピーやカゴ作りのような作業はしません」とシュテルク。「代わりに、毎日決まった“普通の仕事”をしてもらいます。農場の全員で一緒に朝食をとったら、その日の仕事に取りかかります」

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薬物依存症のため、一時はホームレス状態も経験したロルフ・シュテルク Photos: Sebastian Sellhorst, Die Fleckenbühler

入所するとすぐ、メンバーには仕事が割り当てられる。最初の3ヵ月は高齢者の身の回りをサポートすることから始め、その後は2週間のお試し期間が3回あり、さまざまな職業を体験できる。

専門家のサービスに等しい当事者中心の自助施設

「3ヵ月後には、できるだけ好きな職場で働いてもらいます。たとえば、ベーカリーで基本的な研修を受けてもらい、6ヵ月たったら本人に尋ねます。このままここで働きたいか、パン職人になりたいか、それとも他の職場がいいかと」

当初より農場では職業の資格取得を重視してきた。結局、薬物依存症から抜け出した後にも人生が続くからだ。「ここにたどり着いた人の80%は、何の資格も持っていません。ここでは12種類の職業の研修が受けられ、一つの研修を完了すれば一つの資格を取ることができます」

入所者の滞在期間はそれぞれだ。しかし「思考力が正常化するまでには、約1年かかります」とシュテルク。「できれば2~3年はここで過ごした方が良い。そうすればまさに、人生を回復する方法を体得することができるからです」

シュテルクの話は自らの体験に基づくものだ。はじまりは薬物でなくアルコールで、13歳から飲酒を始めた。それが格好いいと見なされる環境だったからだ。営業の仕事をして経験を積み、部門長や支店長にも昇進した。

「結婚し、二人の子どもにも恵まれ、妻の家族と一緒に住める家も建てた。でも『お酒をやめるか離婚するかを選んで』と妻に言われ、別れることを選びました」

シュテルクはそれまで薬物に手を出すなど考えたこともなかったが、ある女性に出会ったことで運命が変わる。「毎朝、彼女が注射でヘロインを打つのを見たんです。それだけで彼女はすごくハイになる。自分がそこまでハイになろうと思ったら、一日にコニャックを2瓶空けなくてはならないのに。『俺もやる』と言ってしまいました。28歳の時です。それからたった3ヵ月ほどで人生が終わりました。お金も、住む家も、車も、仕事も、すべて失ったんです」

そして98年、シュテルクはフレッケンビュール農場に入所した。その後、依存症から回復を遂げたシュテルクは、20年以上にわたって施設の職員として働いている。

最近ある研究で、フレッケンビュールは当事者中心の自助施設として「『依存症治療の専門家がいる入院施設』に等しいサービスを提供している」と評価された。この結論は今後の経済的視点を得るためにも重要なポイントだ。これまで自治体や福祉協会は農場を「回復施設」とは見なしてこなかったため、支援を受けられずにきた。

シュテルクは慎重ながらも楽観的に「なんとかなるでしょう」と言う。これまで自分たち自身で共同体を動かし、薬物依存から抜け出すため、ともに働き、助け合ってきた。農場が生み出すその素晴らしい価値に、多くの人が気づき始めている。 (Bastian Pütter, bodo/INSP/編集部)

以上、『ビッグイシュー日本版』380号より転載。

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