1999年9月30日、株式会社JCOが起こした核燃料加工工場での臨界事故。それから24年を経て、同工場のある茨城県東海村で集会が開催された。主催者は「臨界事故を語り継ぐ会」など6団体。筆者の所属する原子力資料情報室も連名している。





国内初の臨界事故、避難指示
667人が被曝、2人が死亡

臨界事故はJCOの作業員3人が実験炉「常陽」で使う燃料の前処理として、中濃縮ウラン燃料を純化して濃度の濃い硝酸ウラン溶液を製造する作業を行っていた。少量ずつ溶かした溶液を均一化する為に容器(沈殿槽)に移していたところ、7杯目を入れている時に突然核分裂が始まり、それが継続して臨界状態に至ってしまった。作業をしていた2人は青い光を見たという。両名とも被曝により数ヵ月後に死亡、記録を担当していた1人が重度の被曝を負った。

日本での臨界事故は初めてであり、被曝による死亡も初めてのことであった。臨界は20時間も継続し、周辺350m圏内の住民112人に避難指示が出された。避難指示も国内では初めてのことだった。この時の被曝者の合計は667人とされている。臨界を止める作業にあたった労働者は最大120mSvの被曝、周辺住民の最大被曝は25mSvと評価された。この事故が契機となって、原子力災害特別措置法が制定された。

ところで、JCOの本業は沸騰水型原発用の原料(二酸化ウラン)の製造であり、常陽の作業は本業ではなかった。この事故後、JCOの事業許可は取り消された。
事故原因は、臨界を回避した作業を行わなかったことにあるが、その背景には、作業に対する安全評価が行われていなかったことに加えて、臨界回避に関する作業員の知識が十分ではなく、訓練の経験もなかったことがある。

東海第二原発周辺住民91万人
防災計画欠如で運転差し止め

集会は、「臨界事故を語り継ぐ会」代表の大泉実成さんの地元挨拶から始まった。大泉さんの両親は、事故当時、加工工場から道路を1本だけ隔てた場所で営んでいた自動車部品工場で被曝した。距離にして120mしか離れていない。臨界によって飛び出した中性子線で被曝、加えて、大気中に放出された希ガス類や放射性ヨウ素による被曝も重なった。皮膚の赤斑や胃痛、そしてPTSDなどにより両親の健康が損なわれた。裁判に訴えるも、信じがたいことに、被曝と健康被害との因果関係は認められなかった。

臨界事故から24年、福島原発事故から12年、繰り返される事故からの教訓を得て、原子力事業者が二度と事故を起こすことはないのだろうか?

筆者は「繰り返す原発事故――老朽原発再稼働・運転延長は次の重大事故への序章」と題して、体験したこれまでの事故を振り返り、その原因や運転優先・経済優先といった背景要因を引き出しながら、60年を超えて老朽化した原発を運転させる政府の政策が、再び事故を招く危険性を訴えた。

また、東海村には東海第二原発がある。運転を担う日本原電は再稼働を目指しているが、2011年の震災以来停止したままだ。周辺30kmには91万人が暮らしている。現実問題として、被曝せずに避難することは不可能だ。そこで住民は運転差し止めの訴えを起こし、一審は防災計画の欠如を理由に住民勝訴の差し止め判決を引き出した。「東海第二原発差止訴訟団」共同代表の大石光伸さんが、控訴審でも地裁判決の維持を目指す決意を語ってくれた。

図01

集会後は、JR東海駅までおよそ2kmをデモ行進しながら、沿道の住民に臨界事故を忘れないこと、第二原発の廃止や処理水放出への反対などを訴えた。

(伴 英幸)


(2023年11月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 466号より)

伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけに、脱原発の市民運動などにかかわる。著書に『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)
http://cnic.jp/ 


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