2011年3月の福島第一原発事故で放射能が降下し、高濃度汚染地域になった福島県飯舘村。いまだに長泥地区に帰還困難区域が残る同村で11月3日、「被災後12年の被害実態、暮らしと村人・村の将来を語る」と題したシンポジウムが開かれた(※1)。避難生活を送る村民や支援者、研究者ら約80人が集い、村の現状に理解を深めるとともに、必要な支援について考え、議論した。

main__シンポ会場
11月3日に福島県飯舘村で開かれたシンポジウム「被災後12年の被害実態、暮らしと村人・村の将来を語る」

8割の村民、避難生活の途上
基本的人権は回復したのか?

 11月3日、福島県飯舘村でシンポジウム「被災後12年の被害実態、暮らしと村人・村の将来を語る」が開かれた。全村避難から12年。村民は今もほとんどが避難生活の途上にいる。「村で家庭を築いて楽しく過ごしていた。その暮らしや生業、コミュニティを失った。それは基本的人権を侵害されたということ。避難生活のなかでも、私たちの基本的人権は回復したのかと考える必要がある」と語ったのは、事故後から福島市で避難生活を送る村民、菅野哲さん。

sub3_菅野哲さん
菅野哲さん

 村に帰って暮らす条件は整っていないと判断し、今も約8割の村民が避難先など村外で暮らしている。国も東電も事故の責任を取る姿勢が見られず、賠償金支払いで済まそうとしているなかで、菅野さんは「私たちは棄民にされるのでは」と危惧する。

sub1__飯舘村佐須地区 全景
飯舘村佐須地区の風景

 菅野さんは、今も帰還困難区域が残る浪江町津島地区の人が言った「津島は消えた」という言葉に思わず涙し、12年たった今でも「毎日のように飯舘村の光景が脳裏に浮かぶ」という。「国民みんなが考えてほしい。もし(住んでいるところで)原発事故が起きたら、自分はどうするんだろう、と。家族や地域のコミュニティがバラバラになった悲しさも、自分の身に置き換えて想像してほしい」と訴えた。
 避難先と避難区域が解除された村と、2地域を行き来する村民の支援も課題だ。避難先から村に一時的に滞在して稲作、畑作に取り組む農家もいる。菅野さんも福島市では共同農園を営み、飯舘村では大学研究室とともにエネルギー作物(高糖度ソルガム、ヤーコン、キャッサバなど)の試験栽培に取り組む。「これからも飯舘村をきちんと見てもらいたい」と参加者に呼びかけた。


腐葉土が最大の汚染源になった
自然循環に組み込まれる放射能

 村民の伊藤延由さんは、震災前の2010年から飯舘村の農業研修施設(現在は解体)の管理人だった。今も放射能汚染の状況を測定し続けながら被害軽減策を考えている。

sub5_ シンポジウム翌日、伊藤延由さんによる村内視察(写真提供:伊藤延由さん)
シンポジウム翌日、伊藤延由さんによる村内視察

「放射能の初期降下(原発事故直後に降った放射能)は不均一。(放射能の値は)測定しなければわからない」。さらに「現在、腐葉土が最大の汚染源になっている。自然の循環サイクルに(放射能汚染が)組み込まれた」と話す。秋には広葉樹の落ち葉が地上に積もり、年々積み重なって腐葉土ができる。その腐葉土を通じて、木々が水とともに放射能を吸い上げている現状を報告した。1本1本の木々で起きていることは小さくても、山全体で考えると巨大な自然の〝汚染循環サイクル〟が生まれている──筆者はその指摘にハッとさせられた。

 村民の支援をするNPO「いいたてネットワーク」代表で村議会議員の横山秀人さんは、村民主体の村づくりや村民の交流促進を目的に活動する。村民の声を政策に反映させることを重要と考え、村民の声や実際のデータなどの可視化(横山さんはこれを「実証的見える化」と呼ぶ)に力を入れている。
 たとえば、ホームページ(※2)に「飯舘村民の声」というページを作り、村民が投稿した提案や要望、意見を掲載。誰もが見られるうえ、村議会にもその声を届けている。また、交流事業に参加した村民にもアンケート用紙を配布。「子どもが避難先の学校になじめない」という声を聞くと、その体験談などをまとめ、村や教育長に届けてきた。

 特にユニークなのが、飯舘村議会を含む福島県内の地方議会議員の議事録をサイト上で公開する活動だ。住民への情報公開という意味だけでなく、各議員にも他の地方議会の質疑の内容を知ってもらい、議会活動の活発化や質疑の手助けとなればという狙いもある。多くの村民が村におらず、その存在自体が不可視化されがちな中で、苦情も不満も、提案も要望も、村民の声を可視化して村の再興を目指そうという横山さん。その挑戦は続いている。

将来のビジョンが見えない中、
花桃植えて、ささやかな抵抗

「伊丹沢行政区の悩みを一言でいうと、将来のビジョンが見えないこと。何に向かって進んでいったらいいのかわからない。でもその中でも、ささやかな抵抗を続けている」と語ったのは、同行政区長の山田登さん。43年間JAに勤め、営農関係の仕事に携わった。同行政区長も勤め、農業を通じて地域振興に尽力してきた。

sub4_山田登・伊丹沢行政区長
伊丹沢行政区長の山田登さん

 伊丹沢地区は住民337人のうち帰還したのは81人、帰還率は24%にとどまる。しかもその多くが高齢者だ。「ここ数年間、60代、70代前半で、がんで亡くなっている人が多いのではないか」と語り、超高齢化とともに放射能による健康影響など帰還者の不安を代弁する。
 こうした疑問に対して村は「影響はない、わからない」と答えるのみ。山田さんは、帰還して長く滞在する村民に対して「影響はない」というだけの説明でいいのか、と疑問を呈する。
 農業面でも問題が山積する。地元のJAでは水稲と野菜、花卉、畜産で総額約21億3000万円の販売総額があったが、原発事故で「一瞬にして消えた」。圃場の優良な土壌は除染作業ではぎ取られ、水路は壊れた。野生の猿がせっかく作った作物を荒らす。ついに営農再開をあきらめる農家も現れた。
 しかし、山田さんはこんな目標を語る。「猿防除モデル地区となり、猿を追い払う標準マニュアルを作る。パークゴルフ練習会や大会や新年会の開催、地区内の村道1号線の花壇整備や菜の花畑で環境美化にも取り組む。花桃も植えて、10年後には花桃の集落になれば」
 この日はほかに、「いいたてクリニック」医師・本田徹さん、研究者の今中哲二さん、糸長浩司さん、鈴木譲さん、振津かつみさん、ジャーナリストの豊田直巳さんによる報告もあった。この12年の間、新たな課題が積み重なり、解決はより難しくなっているように筆者には見えた。だがこの日、飯舘村をあきらめきれないさまざまな人が活発な議論を重ねた。帰還者がわずか2割という飯舘村がこれほどの人々を動かしている理由は何だろうか。残酷で暗い現実とは裏腹に、深まりつつある紅葉の山々は美しかった。筆者は今も、懸命に議論する人々の姿に、紅葉の山々の色を重ねて考え続けている。

(文と写真 藍原寛子)


あいはら・ひろこ
福島県福島市生まれ。ジャーナリスト。被災地の現状の取材を中心に、国内外のニュース報道・取材・リサーチ・翻訳・編集などを行う。
https://www.facebook.com/hirokoaihara 


*2023年12月15日発売の『ビッグイシュー日本版』469号より「ふくしまから」を転載しました。



ビッグイシューは最新号・バックナンバーを全国の路上で販売しています。販売場所はこちら
バックナンバー3冊以上で通信販売もご利用いただけます。



『販売者応援3ヵ月通信販売』参加のお願い
応援通販サムネイル

3か月ごとの『ビッグイシュ―日本版』の通信販売です。収益は販売者が仕事として"雑誌の販売”を継続できる応援、販売者が尊厳をもって生きられるような事業の展開や応援に充てさせていただきます。販売者からの購入が難しい方は、ぜひご検討ください。
https://www.bigissue.jp/2022/09/24354/











過去記事を検索して読む


ビッグイシューについて

top_main

ビッグイシューは1991年ロンドンで生まれ、日本では2003年9月に創刊したストリートペーパーです。

ビッグイシューはホームレスの人々の「救済」ではなく、「仕事」を提供し自立を応援するビジネスです。1冊350円の雑誌を売ると半分以上の180円が彼らの収入となります。