沖縄本島中部、北谷町(ちゃたんちょう)の住宅街の空き地に2022年にやってきた黄色いアメリカンスクールバス。
木製デッキを上がり、バスの乗降口から靴を脱いで中に入ると、絵本や沖縄本・洋書や雑貨がずらりと並ぶ。「ブックパーラー 砂辺書架(しなびぬしょか)」店主の畠中沙幸さんに、スクールバスで古書店を始めた経緯や想いについてお話を伺った。


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土地もスキルもノウハウも。「ないないづくし」からのスタート

「いつか、老後にでも地元・北谷で古本屋さんができたらいいな」と思っていた畠中さんがこの中古のバスと出会ったのは、初めての出産から間もない2021年のこと。アメリカで使われていた1989年式の中古の大型スクールバスが日本で売りに出されていることをSNSで知った瞬間、「これだ…!」と感じた。

当時は東京に通勤するため鎌倉に住んでいたが、コロナ禍を受けて配偶者のフルリモート稼働がOKとなり、関東在住にこだわる必要がなくなったことが大きかった。「いつか」の夢が急に現実味を帯び、大型免許も駐車場所も、内装職人のアテも古書流通のノウハウもないままに現物を見に行き、決心。

当初は北谷周辺を自分で運転できるサイズの車両で巡回営業していきたいと考えたものの、大型バスを毎日運転して移動するのも容易ではない。「でも、近所の子どもたちにとっては、『いつもその場にある』ということも大事だな」と気持ちを切り替え、バスは原則停めたままで営業することに。

しかし、大型バスを駐車しておける場所の目途はない。そこへ知人に教えてもらったのが、国有地の個人・民間に対する使用許可(公募)の制度。この辺りにはアメリカ空軍基地である嘉手納(かでな)基地周辺のすさまじい爆音被害対策として、国が買い上げた国有地が点在している。この制度はその土地を有効活用するために、国が市民に抽選で貸し出すもので、居住用途や基礎工事等は認められないが、スクールバスやコンテナなどを置く分には問題ない。「図書館も本屋もないこのエリアに、古本屋を!」と沖縄防衛局に申請したところ、運よく自宅近くの国有地が使えることになった。

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駐車場所の問題は解決したものの、バス内部のリノベーションもしなければならない。自分はまったくの素人なうえ、スクールバスを書店に改装できるような職人の心当たりもなかった。しかしある時、大学時代の先輩が沖縄に戻ってきていたので連絡すると、家業を継いで内装職人になっていた。「バスをリノベしたくて…」と打診してみたところ「やったことないけど、面白そうだからやってみましょう」と引き受けてくれた。座席シートを外し、ああでもない、こうでもないと一緒に試行錯誤して、少しずつ形を作っていった。

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バスの座席シートは一部活かしてカフェスペースになった

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エアコン完備のため、長居する人も多い。これも知り合いにつけてもらったのだという

古書の仕入れや販売のノウハウ・人脈もなかったため、ネットでイチから調べ、古物商許可証を申請。「全沖縄古書籍商組合」にも問い合わせた。古書店をひらくのに組合への加入は必須ではないとわかったが、沖縄では古書店同士のつながりが強いこともあり、個性的な先輩たちの中に飛び込んだ。そこでどういう本屋をやりたいのか、ジャンルやこだわりを徹底的にヒアリングされ、親身なアドバイスをたくさんもらい、子ども向けの絵本だけでなく、大きく値崩れすることのない沖縄本と呼ばれる沖縄県産の文献や資料・書籍を中心にした品ぞろえにすることになった。

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沖縄の古書店組合MAP。本好きの沖縄好きの方は古書店巡りもぜひ

地元の人、米軍関係者、観光客。老若男女、様々な人が訪れる場所に

もともとは住宅地ということもあり、「ブックパーラー 砂辺書架」の近辺は交通量が多いわけではない。お客さんは来てくれるだろうかと心配しながらオープンしたが、いまは地元の人が他県の友人を連れてきてくれることや、リピーターになってくれる人も多い。なかには、子どもの保育園のお迎えで不在にする時に店番を頼めるほど仲良くなった人も。

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取材中もほとんど途切れることなくお客さんが来訪、思い思いに本を選んでいた


もともと念願だった「子どもたちが絵本に触れる機会の提供」を実現できているだけでなく、地元の人とは想像以上に沖縄県産の本--特に地元・北谷の文献資料や、沖縄戦にまつわる資料の売買をしている。時には、貴重な資料を寄付してもらうこともある。

この店に巡って来た古本で、自分の店に並べきれないものは組合に回す。フリマサイトなどで出品することもできなくはないのだろうが、「“一円でも安く”という顔の見えない人の手に届けるよりは、続く関係というか、県内で顔の見える人、喜んでくれる人の手に渡って、無駄にすることなくぐるぐる回っていくほうが嬉しい」と話す。

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沖縄で出版された「沖縄県産本」は、地元の人にも観光客にも人気


古書店も新書店も、「本」を扱うのは同じだが、その魅力は異なる。古書店の醍醐味は「行くたびに品揃えが異なる、偶然の出会い」、そして「絶版となった本との出会い」だろう。

エピソードとして「この前、10年以上前に好きだったのに手放しちゃった2冊の本があって…っていう人が来て。この店に2冊ともありました!と嬉しそうにされていました」と教えてくれた。もし目当ての本がなかったとしても、別の本を買っていくお客さんも多い。

古書店をやるほどの本好きはどう培われたのか

この地域には子どもの足や自転車で行ける範囲に、書店も図書館もない。畠中さんは、どのような環境で古書店をするほど本に思い入れを持つようになったのか、生い立ちを聞いてみた。

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幼少期の畠中さん家族は住まいを転々としており、アメリカや東京にも住んでいた。ある地域の図書館では、子どもコーナーに力を入れており、本好きになるような工夫があちこちに散りばめられていた。かわいらしいデザインの図書館利用カードも、顔写真入りで作ってもらった。これが「記憶にある、最初のポジティブな“本体験”」。

しかし中学校に上がってからは、1年に1冊くらいのペースでしか本を読まなくなった。中・高では特に英語が得意だったが、進路相談のたびに判で押したように「英語の先生になれるね」と言われ続けるのが不満だった。「英語が得意な人に英語の先生という選択肢があるのはわかるけど、他の選択肢は何にもないのか」と疑問を持ち、県外の大学を調べ、ICUのように英語を使って学べる大学があることを知る。そのとき、「県外に出て英語で学ぶなら、日本にこだわる必要もないのでは?」と海外への進学も視野に入れた。

しかし自分の家はひとり親家庭。弟もおり、生活は厳しかった。親に学費を出してもらうなら、県内の国公立大学がやっとだ。周囲に海外の大学に行きたいというと驚かれた。海外大学への進路指導をしたことがある先生もいなかった。進学費用について、教育委員会や役場、銀行を巡り奨学金について相談したが「海外大学は前例がないからダメ」「海外の大学はお金のある人が行くところでしょう」と断られた。それでもあきらめられず、想いの丈を書面にしたためアピール。なんとか条件つきで進学費用を貸してもらえる算段がつき、アメリカの大学で学べることになった。

大学で国際情勢を学ぶことにしたのは、極東最大級の米軍基地のある沖縄という土地に育ったことや、進学前に起こった911テロの影響が大きい。「一人ひとりと話してみるといい人が多いのに、国という単位になるとなぜ残虐なことが起こり続けるのか」と感じた。国際情勢の背景や関係性が知りたかったのだ。

大学では、東アジア情勢を専攻、「沖縄のアイデンティティ」を卒論テーマとした。厳しい教授のもと、英語を流暢に話す学生たちに囲まれるなか、奨学金のこともあり最短で卒業せねばと、自分で自分を追い込むように必死に勉学に励む日々。目や耳に入るもの、口や手から出すもの…すべてどっぷりと英語漬けで2年ちょっと経ったある日、大学の広大な図書館の地下の片隅に、日本語の書籍コーナーがあることに気づく。「うわー…!日本語だぁ!」と感激し、棚にあった本を片っ端から全部借りてむさぼるように読んだ。「素晴らしい日本語の本たち!最高っ!」――これが、本の魅力にハマった体験となり、以来、「いつか本に関わる仕事をしたい」、「地元・沖縄に還元したい」と考えるようになった。

バックナンバーが“古くならない”雑誌

大学卒業後にいったん地元に戻った後、東京の会社に転職。通勤中、新宿などでビッグイシュー販売者が立っていることには気づいていたものの、最初は何をしている人かわからず、怪訝に思っていた。しかし信頼している知人が購入していることをきっかけに、初めてビッグイシューの仕組みに興味を持つ。それでも初購入までのハードルは高くなかなか話しかけられなかった。ある日、意を決して「買ってもいいですか…?」と恐る恐る購入。

「買って読んでみたら、読み物として素晴らしくて。なんでもっと早く知ろうとしなかったんだろうって。それからはもう見かけるたんびに買うようになって、息子が生まれてからは子どもも連れて販売者さんともお話しするようになって。“俺にも孫がいてな…”という話から、“あ、この人、ご家族いたんだ”とかわかって。販売者さんも、当たり前だけど、本当に普通の人だったんだなって。それまで持っていた恐怖心、フィルターというか、人間の偏見って切ないなと思いました。」

沖縄県内には販売者がいないため、沖縄に住まいを移してからは、県南部にある書店「くじらブックス & Zou Cafe」(国内最南端のビッグイシュー取扱店)で購入したこともあったが、ある時ハタと「あ、うちの店で取り扱えばいいんだ」と気づき、2024年1月から『ビッグイシュー日本版』の取り扱いを始めた。

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「うちのInstagramでビッグイシューを知って買ってくださった方が、“読んだら面白かった”って言って、次に来た時にまとめ買いしてくれたこともあります。一般的な雑誌だと、発売日を過ぎてしばらくすると旬が過ぎちゃうことも多いんですが、ビッグイシューは普遍的なテーマを取り扱っているので、バックナンバーもけっこう売れていきますよ」と話してくれた。

ないものを「自分でつくろう」と思える理由

それにしても、書店や図書館のないエリアに「ないなら、自分でつくろう」と思えるパワーはどこから生まれるのだろうか。 「一度“外”に出たからかもしれない」と畠中さん。「ないのが当たり前」の場所から一度外に出て、地元を客観的に見たときに「(あるべきものなのに)ない」と感じることができたのかも…と推測する。

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店内には友人が作った雑貨などもたくさん置かれている

「北谷は観光でも賑わってるんですが、最終的なお金の行きつく先は県外だったり、海外だったり。あと沖縄には米軍関係者もたくさん住んでいますが、その人たちの住民税は非課税*。なので出入りする人や住んでる人の数の割には、税収が少ないんです。だからこのへんに図書館の分館がつくられることはないでしょう。そういう状況を大きく変えることはできないかもしれませんが、いろいろ“地元”に流せたらなと思って。」とにっこり笑った。

当初はあまり想定していなかったが、基地近隣に住むアメリカ人が、散歩がてらふらっと立ち寄って洋書を求めていくことも多い。日本人に洋書の取り扱いを聞かれることも少なくなかったため、オープンからしばらくして、絵本や沖縄本に続いて、洋書も3本目の柱として取り扱うようになった。

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畠中さん。古書店仲間でイベント出店することも多い


「基地の関係の方にも、何かちょっと草の根的運動的なことができたらなって。ファミリーの人たちにオススメ本ある?って聞かれたら、沖縄の絵本をそっと紹介するとか。縁があって沖縄にいらしたので、“あそこにはいい思い出があるな”、“もう戦争に加担したくないな”と思ってくれる人がいたらな、と。ここでの体験が、“人を人として見られるようになるきっかけ”になったらいいな、と思っています。」と語った。

*アメリカ軍の関係者は、日米地位協定9条によって外国人登録が免除されているため、自治体に住民登録する必要がなく、住民税などの税金を負担しなくてよい。

「ブックパーラー 砂辺書架(しなびぬしょか)」
沖縄県北谷町砂辺44
営業日はInstagramで要確認
https://www.instagram.com/bookparlor.shinabi

全沖縄古書籍商組合
https://okinawa-kosyo.jimdofree.com/
くじらブックス & Zou Cafe
https://kujirabooks-okinawa.wraptas.site/
https://bigissue-online.jp/archives/1080578805.html


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https://www.bigissue.jp/2022/09/24354/



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