韓国で開催された「ホームレス・ワールドカップ」2024。若返りを図ったものの、日本代表の戦績は1勝9敗に終わった。しかし、敵味方関係なく声援を送るなどしたことが認められて、「フェアプレー賞」を受賞。今大会最高齢プレイヤーである、山田裕三さん(65歳)に話を聞いた。
photo: Travis Torres
元板前、サッカーで世界へ
大会最高齢となる65歳の山田さんは、京都・河原町駅四条河原町に立つビッグイシュー販売者だ。料理屋の息子として生まれ、かつては自身も板前として活躍していた。しかし50代の頃、母の介護で離職。さらに母の死を機に家を失い、ビッグイシュー販売者に登録した。人と話すのが好きな山田さんは、ビッグイシューのお客さんに誘われ、2022年からは週1回、子ども食堂で地域の子どもたちに料理をふるまっている。調理をする山田さん
山田さんの料理を楽しむ子どもたち
ビッグイシューに登録して間もなく、山田さんは健康のためにビッグイシュー基金大阪事務所が主催する月2回のフットサル練習会にできる範囲で参加してきた。
今回、日本がホームレス・ワールドカップ出場を検討し始めた時に、遠慮がちに「僕も行けたらうれしいな~…」と意思表示。選抜にかかわった運営スタッフは、山田さんを「多世代を体現してくれる存在で、若い選手たちにも良い影響を与えてくれるんじゃないか」と判断。代表チームのメンバーに選ばれた。
とはいえ、今回の日本代表チームは、大阪・東京・宮城のチームで編成されており、全員が集まって練習するのも一苦労。練習会・選考会は計6回、すべて東京で行われた。大阪を拠点とする山田さんにとっては、練習で遠くへ行くことは、その日のビッグイシューの販売の売上がなくなることを意味する。生活は厳しくなったが、自分で「一生に一度の体験をしてみたい」と決めたことでもあり、様々な体験を楽しんだ。
photo: Fu Chatani
「メンバーの中では僕が一番暑さに強かったんよ」と山田さん。
チームを見守る最年長
年齢も地域も、普段の境遇もかなり違う今回のチーム。さらに今回は、多くの人の前に立ったり、集団で行動したりすることに慣れていない選手も多い。運営スタッフ側は、対面で会う機会の少なさをカバーするべく、お互いの理解促進のためにメンバーのビデオメッセージを作って共有したり、素直な気持ちが話せるような場づくりを行ったりと、安心できる場、自分を出せるチームビルディングを心掛けていった。山田さんも、「垣根を自分から作ったらあかんからね。最初はぐいっと話してみて、様子見て、苦手そうなら、距離を置いて見守るようにしていたよ」と、最年長らしくチームを俯瞰し、チームづくりに貢献していった。
Photo: Moto Yamagishi
若い選手の声がどんどん大きく、主体的に
本番であるホームレス・ワールドカップは8日間。韓国入りしてからのチームは、ますますチームとしてまとまったように思うと山田さんは話す。これまでほとんど他人と話せなかったのに、「いろんなパスを受けられるようになりたいから、強いパスを出してほしい」とお願いし、練習を続ける選手。いつもは試合ごとにイヤホンを使ったセルフケアの時間が必要だったのに、だんだんその時間が短くなっていった選手…。運営スタッフは「何もしなかったら何も起きない、何かをしたら何かが起きるってことを、山田さんは背中で若い選手たちに伝えていたように思います。大会中の夜も“僕は、ホントはこういうの苦手なんだ、でもここは楽しまないと損だし、自分が伝えられることは若い人たちに伝えられたらいいと思ってやってるんだよね”と話していましたね」と明かした。
選手はみんな「ホームレス」という垣根のない世界
チーム内だけでなく、山田さんは他国の選手ともまったく臆することなくコミュニケーションを取っていく。「各国からいっぱい参加してたけど、みんなユニフォーム着てるし、ちゃんとヒゲも剃ってきれいにしてるし、ホームレスかどうかなんて、言わないとわからん感じやったわ。特に南米の人とかみんな明るいし。サッカーっていう共通点あるから、そのへんにいる人にも“今日は試合あるん?”って話しかけやすいし。楽しかったよ」と嬉しそうに話す。
photo: Fu Chatani.
ワールドカップだけあって、参加国の様子も様々だ。そもそもビザが下りず、全員で韓国までたどり着くことすら難しい国(この国は大会3日目にやっとたどり着いたのが3人のみ、1人の選手は香港で留め置かれてしまったそうだ)。負けが込むとつらくなって試合に出られない選手が続出する国もある(選手が揃わない場合、大会本部が用意した、開催地・韓国の選手が代打出場することもある。今回は主に、前回のアメリカ大会に出場した韓国代表選手がその役割を担った)。
そんな様々な他国選手とのコミュニケ―ションで印象に残ったことはあるかと山田さんに聞くと、「他国のチームは、依存症の人が多いねんなーって思った」と話す。そういう話を英語でやりとりしたのかと聞くと「いや、身振り手振りやで。なんとなくわかるやん」とこともなげに言う。
運営スタッフも、「山田さんは最高齢プレイヤーということもあって、参加選手のなかでの注目度も高かったんですが、それだけじゃなくて、相手に興味を持ってしゃべってる、ってことが、言葉が通じなくても相手にすごく伝わる人。通訳もしてないのに、なぜかいろんなところで、みんな“ヤマダ、ヤマダ!”って言ってました」と笑った。
さらに山田さんは同い年のスイスの選手からマフラー*をもらい、山田さんからはお返しにビッグイシュー日本特製の缶バッチやリストバンドをプレゼントしたそう。「ほかに、二人くらいInstagramのアカウントも教えてもらったわ」と楽しそうに話した。
*スイス代表チームは、スイスのストリートペーパー『サプライズ』の読者にホームレス・ワールドカップに向け手編みのマフラーを募集したところ、200本近く集まった。山田さんがプレゼントされたのはそのマフラー。
人は変化する。「こんなええ機会、他の人にも体験してほしい」
コミュニケーション面の活躍だけでなく、山田さんは今大会の最年長ゴールも決めた。「僕のボール、どこ行った!って思ったら、ゴールしてた(笑)。ちょっと間をおいてから(ゴールしていたとわかって)万歳したね」とおどける。しかし、自身のゴールより、チームの連敗のほうを気にしている。「そら負けたら悔しいよ。今回は若い子らが入ったから、期待もされてたし。僕はそんなに試合に出る時間長くなかったけど、若い子はもっと長い時間出てたしね…」と思いやる。 それでも、若い選手たちの変化にはめざましいものがあったようで、「チームの若い子も、最初は全然しゃべられへんかった子が、最終日にフィンランドチームのところに一人で飛び込んで行って、通訳もなしにユニフォーム交換してたり。僕はそういうのを遠くから見守ってた(笑)。ほかにも次回は“コーチとして参加したい”っていう子もいたし、いい経験やったね。」と目を細めた。
あまりに楽しそうだったので、「ホームレス・ワールドカップは、楽しさを数字で表すと、100のうちどのくらいでしたか?」と聞くと、意外にも低く、「70とか80くらい」と山田さん。 「めっちゃ楽しかってんけど、楽しすぎて、帰りたくないな~ってなったから」なのだそうだ。「他の国の選手と別れるとき、みんな“またね”とは言わへんかった。一生に1度しか出られへん大会やから、まあ、もう会うことないからね。」と少し切なそうな表情に。
「せやけど、これはちょっと得がたい体験や思うので…来年以降もこれを経験できる人がいるならいいなって思う。僕は何もできませんけど…」と、小さく笑った。
\ホームレスW杯について、より詳しい話はこちらで!/
ホームレスW杯ソウル大会報告会(12月7日)
13:30-15:30 サイボウズ東京オフィスにて
https://diversity-soccer.org/2024/11/1579/
山田さんの販売場所(京都府 河原町駅四条河原町交差点北西角)
https://www.bigissue.jp/location/kawaramachi2/
ダイバーシティサッカー協会
https://diversity-soccer.org/
ビッグイシュー基金
https://bigissue.or.jp/
参考:映画『ビューティフル・ゲーム』
ホームレス・ワールドカップをテーマにした映画。
https://www.netflix.com/jp/title/81001287
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ビッグイシューについて
ビッグイシューは1991年ロンドンで生まれ、日本では2003年9月に創刊したストリートペーパーです。
ビッグイシューはホームレスの人々の「救済」ではなく、「仕事」を提供し自立を応援するビジネスです。1冊450円の雑誌を売ると半分以上の230円が彼らの収入となります。