熱気、満員で立ち見も出る
大好評だった東京公演
「2つのウラン」をめぐり、時代を超えて若者たちは何を見、何を感じたのか。安全神話はどのように作られていったのか―。
太平洋戦争中、福島県石川町で学徒動員の中学生がウラン採掘作業に従事させられた史実と、2011年の東京電力福島第一原発事故という、二つの「ウラン」をめぐる福島を描いた演劇『U235の少年たち』(大野沙亜耶・脚本、演出)が、2日間にわたり、東京で上演された。タイトルは、原爆の原料であり、原発の燃料の「ウラン235」からとった。
上演初日の4月1日は、飯舘村、その前日は浪江町、川俣町山木屋、富岡町で、「居住制限区域」と「避難解除準備区域」が解除された日。劇場は毎回満員で、立ち見が出るほどの熱気に包まれた。
演じたのは、福島県須賀川市を拠点に、震災後、放射能汚染に関する勉強会や県外への保養活動、健康相談会などを続けている「はっぴーあいらんど☆ネットワーク」(鈴木真理代表)。震災前からダンスグループで活動してきた仲間で演劇プロジェクトを発足。昨年11月、福島県猪苗代町で上演して好評を博したことから、東京での上演につながった。
舞台は太平洋戦争中、「新型爆弾(原爆)」の開発のため、地元の山へ、必要となるウラン採掘に動員された旧制中学の生徒たちの会話で始まる。
まるで夢のような新型爆弾。「マッチ箱一つの燃料で大都市が吹っ飛ぶ」という“神話”は、実際に当時、採掘作業にあたった中学生に対して研究者らが語りかけた言葉だ。「戦争に勝つ」「神風は吹く」。そう言い聞かせながら、しかし何か違っているということも感じている、若者の鋭い感覚が演じられる。
そして舞台は11年の福島第一原発事故後の福島に移る。少年たちは、今度は除染廃棄物を詰め込んだ「フレキシブルコンテナバッグ(フレコンバッグ)」を背に、除染作業に従事させられている。そこで交わされる会話が、震災後の複雑な県民感情を表現する。
舞台の最後、出演者が自分で考えたセリフを語る。10月には猪苗代町で公演
佐藤綾夏さん(16歳、須賀川市)が演じる少年は言う。「栄えよ、放射能。さよなら、放射能」。
戦時中に原子爆弾開発の研究に参加した飯盛里安が残した言葉だ。“安全神話”にすがりながらも裏切られた日本人、そして福島の人々。その姿を代表するかのような少年たち。「矛盾したセリフだけど、今の状態をよく表していると思う。現状に重なる言葉じゃないかな」と佐藤さん。「東京での上演はちょっとアウェー感がありましたが、最後の拍手が長く続いたので本当にやってよかったと思います」
戦時中に原子爆弾開発の研究に参加した飯盛里安が残した言葉だ。“安全神話”にすがりながらも裏切られた日本人、そして福島の人々。その姿を代表するかのような少年たち。「矛盾したセリフだけど、今の状態をよく表していると思う。現状に重なる言葉じゃないかな」と佐藤さん。「東京での上演はちょっとアウェー感がありましたが、最後の拍手が長く続いたので本当にやってよかったと思います」
「人類の社会から、あらゆる不徳が一掃されねばなりません。我らは一日も早く、そうした時代が到来せんことを祈る」。あるべき未来をうたった飯盛の言葉を、力強く放つ少年。演じたのは、濱津姫歌さん(17歳、郡山市)。「私欲や不信がないというのが、平和な社会なのかな。とても思い入れの強いセリフです」
千葉乙寧さん(15歳、いわき市)は、最後に、出演者がそれぞれ自分で考えたセリフを言うシーンが一番好きだという。「震災当時は小学校3年生で何もわからなかったけれど、今はいろいろなことがわかってきた」
また、太平洋戦争当時の少年のモデルになったのは石川町の有賀究さん(86歳)だ。旧制・石川中3年の時に学徒動員でウラン採掘に従事させられ、将校が言った「マッチ箱一つの……」を聞いている。「あの時は半信半疑だった。後で、あれが世にも恐ろしい原子爆弾だったとは」と愕然としたという。昨年は猪苗代町で劇を鑑賞し、プロジェクトメンバーとも交流。「若い人が一所懸命やっていて、大したものだ。石川町でも上演してほしい」とエールを送る。
プロジェクト代表の鈴木さんは「震災後、なかなか胸の内を話せないことが増えているなか、自由な表現の場を作りたかった。現実と向き合う少年たちの姿に何かを感じてもらえたら」と話す。
同プロジェクトは今年10月28、29日、福島県猪苗代町「学びいな」で新作を上演予定だ。
はっぴーあいらんど☆ネットワーク |
(あいはら ひろこ)
あいはら・ひろこ
福島県福島市生まれ。ジャーナリスト。被災地の現状の取材を中心に、国内外のニュース報道・取材・リサーチ・翻訳・編集などを行う。