米国で「ユニバーサル・ベーシックインカム(UBI)」の概念を支持する動きが市長レベルで加速している。ワシントンD.C.のストリートペーパー『ストリート・センス』の記事を紹介したい。
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2020年6月、米国11都市の市長が「所得保障制度のための市長連合(Mayors for a Guaranteed Income、以下MGI)*1」を結成、地域・州・連邦政府レベルでの所得保障制度の導入を呼びかけている(12月現在、29都市に増えている)。発起人となったのはカリフォルニア州ストックトン市のマイケル・タブス市長。ストックトン市での所得保障プログラムの成果を踏まえ、同様のプログラム実施を他の市長に呼びかけ、賛同する市長らが集まったかたちだ。
*1 https://www.mayorsforagi.org
「所得保障」とは、対象となる市民に無条件で毎月現金を直接給付する政策をいう。UBIと似た考え方だが、UBIが全市民を対象とするのに対し、市長たちが求めているのは低所得者を対象とする案だ。
ウィスコンシン州マディソン市でも、最低限所得保障の試験プログラムを検討している。MGIと米国コミュニティ再投資連合(NCRC)が主催したオンラインイベントで、サティア・ローズ・コンウェイ市長は次のように話した。「マディソン市のコミュニティや国内の貧困問題はあまりにもひどい状況です。何とか人々の生活を良くする方法を見つけ、最低限必要な所得を保証しなければなりません。だからこそ、この連盟への参加を決めました」
プログラムの対象を社会的弱者に絞ることで、経済的、人種的、ジェンダーの平等を実現する手段とする、というのがMGI の主張だ。これまでの勤労所得と社会保障の足しとして現金を給付し、すべての人に最低限の所得を保障。給付金の使い道を市民自身が選べるというのが、他の社会福祉プログラムと異なる点だ。
「今回のコロナ禍でも、所得保障が多くの市民にとって“頼みの綱”となることが明らかになりました」とタブス市長は言う。失業保険など他の支援制度では給付金の受け取りまでに数ヶ月かかるケースが多いが、「市民の生活は待ったなしです」と述べた。
ニューヨーク市でフードバンクに列をなす人々
photo:Massimo Giachetti/ iStock
カリフォルニア州ストックトン市モデルを先例に
ストックトン市で実施中の「ストックトン経済権限付与モデル(Stockton Economic Empowerment Demonstration: SEED)*2」では、2019年2月より、毎月現金500ドル(約5万1000円)を125名の個人または世帯に給付している。タブス市長いわく、受給者はそのお金を生活必需品に充てており、食費がその半分を占めているとのこと。SEEDモデルの発表資料には、「果物など、いつもは手がでないものも買うことができています」と市民のコメントが紹介されている。
ミシシッピ州ジャクソン市では「マグノリア・マザーズ・トラスト」が黒人の母親らに毎月1,000ドル(約10万4千円)を支給する取り組みを実施している。その他、ミルウォーキー、シカゴ、ニューアーク、アトランタでも特別チームが立ち上がり、試験プログラムの検討をすすめている。毎月の給付額など具体的な内容は市によって異なるが、すでに実施中、または提案段階にあるプログラムの多くは、ストックトンモデルを模範としていくだろう。
*2 https://www.stocktondemonstration.org
米大統領選でも所得保障が議論されるように
「所得保障」の概念は、近年、急速に広がっている。2016年、民主党大統領指名候補だったヒラリー・クリントンはUBIなどの制度案づくりを水面下で進めていたが、後に「(金額的な)数字を合わせられない」と断念した。
2020年の米大統領選では、民主党の大統領候補アンドリュー・ヤンがUBIの概念を打ち出した選挙戦を展開した。民主党指名候補のジョー・バイデンは、2017年当時はこの概念に反対の立場を取っていたが、最近になって、子どもを持つ親に年間3,000ドル(約31万円)の所得保障を行う案を打ち出している*3。
ただし、国レベルで議論されているものは大半が国民全員を対象とするもので、MGIが主張する低所得層を対象とするものとは少し異なる。
*3 Joe Biden’s latest pandemic plan: At least $3,000 in cash to parents for every child
最低限の暮らしが難しい、ワシントンD.C.の現状
ワシントンD.C.はMGIには参加していないが、所得保障案の提言はされており、2018年の経済政策影響報告書でその実現可能性がまとめられている*4。
報告書には、コロンビア特別区の最低所得層世帯は、何らかの追加支援なしには家計のやりくりが難しい状態にあると述べられている。「時給15ドル(約1550円)では基本的な生活をするのも苦しいんです」デイビッド・グロッソ議員も言う。
現在、ワシントンD.C.の最低賃金は時給15ドルだが、成人1人が最低限の暮らしをするのに最低でも時給17.78ドル(約1,850円)が、子どもが1人いる場合は時給31.79ドル(約3,300円)が必要となる、と報告書にはある。
また、大人1人・子1人の家庭の場合は受給資格のある手当てをすべて利用することができればなんとか最低限の暮らしはできるが、受給資格があるからといって必ずしも受給が保証されているわけではないこと。さらに、独身の大人だと受給資格のある手当てをすべて利用したとしても最低限の暮らしが難しいとも述べられている。
「無理のない案」と「アグレッシブな案」
この報告書により、議員らは社会的セーフティネットの改善策を検討する気にはなったが、実際にかかってくる費用を知り、思いとどまった。「いくらかかるかを見て、皆が愕然としました」とグロッソ議員は振り返る。
“最も無理のない案”としては、連邦政府が設定した貧困水準額(federal poverty level)の100%の所得を自治体が保障するというもの。すなわち、個人で12,760ドル(約130万円)、4人家族で26,200ドル(270万円)が支給される。
この案を実施した場合、向こう10年間で、ワシントンD.C.全体の雇用数は1,600~3,000件減少し、GDPは9,900万ドル(約103億円)から1億8,500万ドル(約192億円)下がると予測されている。必要経費は給付方式が「負の所得税方式*5」か「現金支給」かによって異なり、年間3億8,000万ドル(約395億円)から7億1,000万ドル(約739億円)、負の所得税方式の方が経費を抑えられる。
*5 累進課税システムのひとつで、一定の収入のない人々は政府に税金を納めず、逆に政府から給付金を受け取ることをいう。
”アグレッシブな案”では、連邦政府が設定した貧困水準額の450%の所得を保障するもので、これはワシントンD.C.の平均的な生活費に相当するレベルだ。個人で5万7,420ドル(約597万円)、4人家族で11万7900ドル(約1,226万円)が支給される。
この案を実施した場合、向こう10年間で、ワシントンD.C.全体の雇用数は10万件以上減少、GDPは22兆ドル(約2280億円)から24兆ドル(約2490億円)下がると予測されている一方、地域支援プログラムに使える費用は年間70〜90億ドル(約7,280〜約9,358億円)増やせると予測されている。
報告書を作成した予算局としては、具体案は議会で決定してもらいたいが、全く不可能な話ではないとの見解だ。
他の給付制度への申請が減ることで経費の一部を補えるだろうが、所得が増えることで他の給付金の受給資格を失うことも別の懸念材料である、とグロッソ議員は指摘する。この点は議員たちにしっかり検討してもらいたい、とコロンビア特別区金融政策研究所のタズラ・ミッチェルは言う。「所得保障を受給するからといって、SNAP(補助的栄養支援プログラム)やTANF(貧困家庭一時扶助プログラム)を利用できなくなることがあってはなりません 」
そのニーズに応えるためもあって、ワシントンD.C. の8区では非営利団体らが協力し、現金・食料援助プログラム「THRIVE East of the River(川の東エリアの繁栄)」を立ち上げた。このプログラムを通じて、500世帯が5か月間、毎月1,100ドル(約11万4000円)の給付と食料品や衣類を受け取ることができている。「THRIVEプログラムは、今後の制度設計にあたって大いに参考になると思います」とミッチェルは言う。
2018年以降、所得保障制度の議論が盛り上がっているものの、大きな動きにつながっていないのは、やはり必要経費がネックとなっているから、とグロッソ議員は言う。今後、議論を加速させていきたいが、当面は、市民がセーフティネットプログラムを利用しやすくすることで、格差を埋めていきたいと考えている。
ワシントンD.C.のミュリエル・バウザー市長の事務所からはいまだコメントはない。
By Annemarie Cuccia
Courtesy of Street Sense Media / INSP.ngo
カリフォルニア州ストックトン市のマイケル・タブス市長によるTEDスピーチ
The Political Power of being a good neighbor
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『ビッグイシュー日本版』383号
特集:コロナ補償とベーシック・インカム
https://www.bigissue.jp/backnumber/383/
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