深い悲しみから立ち直るには、時間が必要だ。韓国系アメリカ人のシンガーソングライター、ミシェル・ザウナーはそのことを痛いほど理解している。「ジャパニーズ・ブレックファスト」の名でソロ活動中の彼女は、満たされない欲望、失われた希望、うまくいかない人間関係、そして愛しい人の死といった人間の悲哀と向き合いながら楽曲づくりを行い、人間のよいあり方を探ってきた。
Photos by Peter Ash Lee
2021年4月に3枚目のアルバムリリース。「無駄遣いせず、アイデア実現に使いたい」
ジャパニーズ・ブレックファストとしてのファースト・アルバム『サイコポンプ』は、癌闘病中の母親を看病しながら書き上げ、レコーディングでは母の死によってかき立てられた強烈な感情をぶつけた。
2作目のアルバム『ソフト・サウンズ・フロム・アナザー・プラネット』では、映画の世界のような切なさで、喪失による心の傷を深く探求。内省的でウィットに富んだ歌詞を書き上げる彼女の才能と、ゆったりしたインディー・ロックがうまく融合している。
あれから4年が経った2021年4月、3枚目のアルバム『ジュビリー』がリリースされた。自身のフォーカスを悲しみから喜びへと移した上で制作にのぞんだ今回のアルバムには、幸福の意味を追求した、明るい雰囲気が漂う10曲が収録されている。感情、ユーモア感覚、そして心の奥深くにある思いを盛り込んだ。弦楽器、ピアノ、ホルン、パーカッション、電子的な音を何層にも重ね合わせたアレンジを、共同プロデューサーのクレイグ・ヘンドリックスと編み出した。楽観的な見方が著しく欠如している今という時代だからこそ、めいっぱいに明るさを詰め込んだという。
インディー・ロック出身のザウナーだが、ジャパニーズ・ブレックファストとしての成功のおかげで、より果敢にビジョンを追求し、多くの人々を巻き込んで制作にのぞめるようになった。「私は自分が使えるようになった機会やお金を決して無駄にしたくありません。より大きなアイデアを実現できる道を常に追求していきたい」と語る。
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初のエッセイ集がベストセラーに
ザウナーの音楽が悲しみから解放されたのには、執筆活動も関係しているかもしれない。ちょうどインタビューの夜、ザウナーは初のエッセイ集『Crying in H Mart(Hマートでの叫び)*』(未邦訳)が『ニューヨーク・タイムズ』のハードカバー・ノンフィクション部門で2位になったことを知った。そもそもは2018年に『ザ・ニューヨーカー』にエッセイが掲載され、これが好評だったために、今回の出版契約につながった。
* 2021年4月20日発売。Hマートは米国にある韓国系スーパーチェーン。
母や家族との関係性、韓国系アメリカ人として受け継いだものへの距離感の変化、そしてその過程で彼女にとって大きな存在だった食や料理について綴られた回想録だ。生まれ故郷であるソウルから、子ども時代を過ごしたオレゴン州ユージーン、ニューヨークやフィラデルフィアへと舞台を移しながら、ミュージシャンとしての仕事、生活、そして「白人であることへの複雑な欲求」についての率直な思いを語りつつ、ジャッジュク(お粥)、キムチ、タンスユク(韓国風酢豚)の話も登場する。読者からは、食欲をそそるあざやかな描写、印象的な場面設定、悲しみやアイデンティティ、愛についての明晰な考察に絶賛の声が寄せられた。
大学では「小説など創作的ライティングコースをかたっぱしから履修しましたが、ノンフィクションは取りませんでした」と語るザウナー。当時は、アジア系アメリカ人としての体験を書くことに、まったく興味がなかった。「母が亡くなってはじめて、“自分たち”の物語を語りたいと思うようになりました」
やがて、文化的アイデンティティーは避けて通れないと痛感したザウナーは、「すべてに影響していますよね」と語る。しかし、その点をやたらと強調するのではなく、自身が受け継いだものをそのまま語ることを心がけた。執筆にあたっては、これまでは触れてこなかったアジア系アメリカ人作家の作品を読み込んだ。ジュンパ・ラヒリ、ハン・ガンなど数々の作家から影響を受けた。
ザウナーは並外れた努力家だ。それは母の影響でもあり、育った環境のおかげでもあるが、その勤勉な性質を自分の本当の関心に活かせるようになるまでには時間がかかったという。自分の短所をカバーしてくれるパートナーや家族、バンドメンバーにも感謝している。
「誰かに誇りに思ってもらいたい、そのために常に戦っている気がします。でも、それが誰なのか……。大きな部分を占めているのは、もうこの世にはいない母なのかもしれません」
Photos by Peter Ash Lee
子どもの頃、文章を上手に書けるようになるには日記を書きなさいと母親から勧められた。音楽、そして今回の書籍の大成功を知ったら、母親はどう思うだろうか。「母に見てもらうのが、私の究極の夢です」と微笑みを浮かべる。「私は宗教心が強いわけでもスピリチュアルなことを信じる人間でもありませんが、母はこのことを知ってくれているに違いないと確信できる不思議な感覚があります。とても誇りに思ってくれていると思います」
By Jon Tjhia
Courtesy of The Big Issue Australia / INSP.ngo
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