2021年9月、ニューヨークで開催されたファッションの祭典「メットガラ2021*1」に、民主党のアレクサンドリア・オカシオ=コルテス議員が、“Tax the Rich(富裕層に課税せよ)”と大きく書かれたドレス姿で出席して物議をかもした。着用したのはファッションブランド「ブラザーベリーズ」の特注ドレス、ブランド創業者の若き黒人デザイナーで活動家のオーロラ・ジェームズを伴って姿を現した。シドニー工科大学でファッションの歴史について教鞭を取るピーター・マクニール教授による『The Conversation』の寄稿記事を紹介しよう。
NDZ/STAR MAX/IPx
*1 メトロポリタン美術館が毎年開催するチャリティーイベント。完全招待制で、チケット代は数百万円以上。参照:‘Medium is the message’: AOC defends ‘tax the rich’ dress worn to Met Gala
社会問題への変革を呼びかける手段としてファッションを用いることは昔から取られてきた方法で、影響力の大きい場でこうした服を着ることもそのひとつだ。19世紀、女性の参政権を要求して闘った“サフラジェット”たちは、「参政権を求めるのは女性らしくない」という中傷に抗議し、華やかな帽子とエレガントなドレス姿でデモ行進した。第二次世界大戦中には愛国スローガン柄のワンピースが作られたり*2、現代ではオーストラリア先住民のストリートウェアを作るDizzy Coutureのようなブランドも登場している。昔からファッションは政治的メッセージを表現し、変革を起こそうとする人たちの“見た目”を作り出してきた。
*2 参照:World War II propaganda dress
ファッションによる挑発行為として歴史的なものを5つ紹介しよう。
1. ジョージ・ワシントンのスーツ
アメリカ独立戦争の指導者たちは、ヨーロッパ貴族の古い慣習を破りたいと考えていた。当時は世界の多くの地域で、贅沢を禁止し倹約を強制する「奢侈禁止令」が敷かれ、社会集団ごとに身につける衣服や装飾品の素材、色、数などが法律で定められていた。
米国では旧体制の堅苦しい服装規定への反発が強く、ヨーロッパの法廷で男性が身につけていたような豪華な刺繍入りのシルクの服を着る者はいなかった。輸入生地は国内の経済に悪影響を及ぼすと考えられていたし、そのエリート然とした雰囲気はいまやすべての男性が平等であるとの思想に反していたためである。
18世紀後半に彫刻家ウードンが制作したジョージ・ワシントンの像は、ベストのボタンが1つ取れている。これは、外見よりも行動が重要であるとの意図的な表現だ。また、ワシントンが大統領就任式で着たのはシルクやベルベットのローブではなく、国産のウール生地を使った飾り気のないものだった。これは毅然としたアメリカ独立の意思表示であるとともに、おそらく米国式「ビジネスカジュアル」の誕生でもあった。
彫刻家ウードンによるジョージ・ワシントンの彫像/Wikimedia Commons, CC BY
2. 奴隷制度廃止運動のハンドバッグ
18世紀後半、奴隷貿易を批判する目的で、宝飾品や絵皿などさまざまなグッズが作られるようになった。イギリスのクエーカー教徒は1783年に奴隷制度の廃止を訴え、バーミンガム女性協会は、奴隷制度の廃止を訴える絵やスローガンをプリントしたハンドバッグを使って、奴隷制度反対派を動員した。
女性たちが手作りしたシルクの巾着バッグには、奴隷制度の廃止を支持する新聞記事やメッセージカードが入っており、ジョージ4世やヴィクトリア王女といった重要人物に贈られた。それから10年後の1833年、大英帝国ではほとんどの地域における奴隷制の即時廃止を定めた奴隷廃止法が発令され、アメリカでも1865年に同様の法律が制定された。
奴隷制度の廃止を訴えるパンフレットが入ったバッグ/©Victoria and Albert Museum, London, CC BY-NC
3. 消えた羽根飾り
19世紀は、ダチョウや外来種の鳥を使ったビジネスが盛んだった。羽根だけでなく、ハチドリのイヤリングなど、鳥そのものもアクセサリーとして使われた。最も盛んだった南アフリカでは、ダチョウの羽根が金よりも高値がつくとまでいわれ、羽根はロンドンやニューヨークに送られ、過酷な労働環境に置かれた若い女性たちの手で染色や縫製がほどこされた。
しかし1914年に暴落を起こし、羽根の価値は急落。国立公園や環境保護に関心を持つ若い女性たちが、貿易に反対したのだ。彼女たちは羽根飾りつけることをやめ、世界的な「反羽毛運動」へと発展した。
1902年頃の羽根を使った扇/Te Papa, CC BY-NC-ND
マサチューセッツ州の自然環境保護団体「オーデュボン協会」の女性たちによるロビー活動も成果を挙げ、1900年に米国初の環境保護法であるレイシー法が制定された。次第に剥製の鳥、羽根の襟巻き、鳥のイヤリングなどの流行は廃れていき、女性のファッションにも登場しなくなった。
4. ACT UPのTシャツ
1980〜90年代に起きたエイズ危機では、女性運動、ヒスパニック運動、ブラックパワー運動、1970年代のゲイ運動などから派生した、それまでにはない活動の融合が見られた。ニューヨークで誕生した団体「ACT UP」は、男性同性愛者に広がる窮状を政府や大手製薬会社に認識させるには、怒りや市民の抵抗を可視化するしかないと考えたからだった。
彼らは、教会や路上などでパフォーマンス的な抗議活動を繰り広げた。そして、メンバーである広告業界やデザイン業界のプロたちが、スタイリッシュなTシャツやポスター、横断幕を作った。そのデザインはシンプルで洗練されていて、まるで良質な広告だった。
“Act Up Oral History Project”,/CC BY-NC-SA
20年にわたりACT UPに関わってきた作家で活動家のサラ・シュルマンによると、非常に目立つTシャツのデザインは、ニュース番組がACT UPの抗議活動を取り上げるチャンスをもたらしただけでなく、ゲイ支援のアイデンティティにもなったという。このTシャツと、ドクターマーチンのブーツに革ジャン、タイトなジーンズやデニムのショートパンツといった服装によって、ACT UPは普遍的な都会のゲイ男性のスタイルを確立していった。市民の抗議活動は実を結び、情報公開、対策資金の増額、公平な治験、エイズ治療薬の価格引き下げなどが行われるようになった。
5. キャサリン・ハムネットとサッチャー首相
1984年、ファッションデザイナーのキャサリン・ハムネットは、保守派のマーガレット・サッチャー首相が主催するイベントに「58% DON’T WANT PERSHING(58%がアメリカ製弾道ミサイルを望まない)」とプリントされたTシャツを着て出席した*3。
*3 参照:Katharine Hamnett: the protest T-shirts you see today tend to be a bit namby-pamby
このTシャツを着ることを思いついたハムネットは、急いでスローガンをプリントし、上着で隠して会場入り。そのデザインには、70年代のパンクムーブメントとACT UPの影響が見られた。たくさんのフラッシュを浴びたサッチャー首相との出会いを振り返り、ハムネットは「首相は『ずいぶん強いメッセージのTシャツを着ているのね』と言い、かがみこむようにして文字を読み、挙げ句にワーワー言ってました」と語っている。
社会に変化を起こすにはメッセージ性あるビジュアルが必要で、ファッションは新しい思想を伝える1つの手段である。そんなファッションの持つ力を十分に理解しているからこそ、コルテス議員は今回のような行動に出たのだろう。
By Peter McNeil
Courtesy of The Conversation / INSP.ngo
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