戦争から逃れるウクライナの難民が、ようやく英国にも到着し始めている。北東部ヨークシャー地方の高地地帯にあるクラパム村に避難先を見つけた一家を『ビッグイシュー・ノース』(英マンチェスター拠点)が取材した(2022年4月22日発売1427号掲載)。
2022年3月18日(金)の朝、ウクライナの首都キーウから350マイル(約563km)西に位置する都市リヴィウでは、ナタリア・コワレフスカ(37歳)とイリーナ・ チョプコの姉妹が、数週間前から続いている“悪夢”が自分たちの街でも始まったことを思い知らされ、第二次大戦以来ヨーロッパで最も残忍な戦争からの脱出を決意した。すべてを置いて国を離れなければならなかった苦しみを抱えつつも、数日後、姉妹はヨークシャー・デールズの美しいクラパム村に到着、スイセンの花が咲き誇る静かな小道を歩くことになる。
リヴィウに戦禍が及ぶまでの日々
リヴィウ西部のアパートで暮らす二人は、学校の先生として働いていた。ロシアの侵攻により戦争が始まったものの、平静を装い、生徒たちのために授業を続けなければとの義務感を感じていた。アパートの窓からは、リヴィウの空港(ダニーロハリツキー国際空港)が見渡せる。キーウ空港に次ぐ大きな空港で、戦争で重要な戦略拠点となることは分かっていた。リヴィウにまで戦禍が及んだときに備え、姉妹とコワレフスカの子どもマキシム(15歳)とアナスタシア(11歳)は、非常袋を近くに置いて、毎晩洋服を着たままベッドに入っていた。
あいにく、その懸念は現実のものとなった。空襲警報が鳴り、恐怖におびえ、いったいどうなってしまうのかと不安にさいなまれるようになった。他の街がロシア軍によって破壊されるようすはテレビで見ていたが、リヴィウは3月18日までは、ウクライナ軍の防空システムのおかげで、降り注ぐミサイルの被害を防ぎ切っていた。コワレフスカは翻訳アプリを使いながら、こう語る。「ミサイル攻撃を受けるんじゃないかと、ずっと緊張を強いられる中で生活していました。アパートの地下施設に避難したりと、とても大変でした」
そして3月18日の金曜日、夜が明ける頃、またもやサイレンが鳴り響いた。今回は地下施設に降りていくこともできなかった。耳をつんざくような爆発音が続けざまに4回したかと思うと、空港から火の玉が上がった。ロシア軍は、黒海に浮かぶ艦艇から巡航ミサイルを6発発射。2発は対空ミサイルで破壊されたが、4発は空港にある軍用機整備施設を爆破させた。
アパートから見えるところにまで戦禍がやって来た。祈りが届かないと分かったその瞬間、彼女たちはすべてを置いてここを去ろうと決心。戦争から逃げ出す大勢のウクライナ難民の一員となった。
列車移動とビザ申請の同時進行
姉妹の母親ナディアは前もって、クラパム村に暮らす元警察官のトニー・ウォーカーに連絡を取っていた。ナディアの、今は亡きいとこの夫にあたる人物だ。3月18日の遅く、姉妹とコワレフスカの子どもたちは、ポーランドの首都ワルシャワ行きの列車に乗りこんだ。ナディアからWhatsAppメッセージでその旨を知らされたウォーカーは、英国のビザ申請に取りかかった。
難民受け入れに関する英国の対応には厳しい目が向けられており、実際に多くの人がビザ申請の煩雑な手続きに直面している。英国に「近親者」がいる人向けの「ウクライナファミリー計画*」でビザの申請が下りたのは、この記事の執筆時点で2万4,400件とその数は決して多くない。
18時にリヴィウを出発したワルシャワ行きの列車内はすし詰め状態で、多くの乗客が立ったままだった。早朝にワルシャワ中央駅に到着し、そこで暮らす別の妹と再会した。
その一方で、クラパム村の一戸建ての食卓では、ウォーカーがオンラインでのビザ申請手続きに苦戦していた。すでに12時間はノートパソコンとにらめっこ状態で、間違うたびに、また一からやり直さなければならない。「この国のビザ申請は非常に非効率で、巨大石油タンカーを方向転換させているような気分です」とウォーカーは言う。「正しく申請するには、WhatsAppメッセージで何度もやりとりする必要があり…週末はずっとこれにかかりきりでした」
「煩雑だった申請書類ですが、いざ受理されると思っていたより早く許可証がメールで送られてきたので、それを彼女たちに送信しました。それを携帯で提示し、あと必要だったのはパスポートとワルシャワ〜リーズ・ブラッドフォード空港間の23ユーロ(約3200円)の格安航空券でした。姉妹たちは戦地を離れてから24時間も経たないうちに、こののどかな村に到着できました。するととたんに、私は4人の暮らしに責任があるのだという意識が芽生えてきました」
クラパム村での避難生活
クラパム村に落ち着いた(ように見える)彼女たちに敬意を表し、ウクライナ国旗を掲げる住人もいる。しかし、普段着姿でウォーカーが飼っている小型犬を散歩させている彼女たちは、少し浮いてもいる。というのも、この村を訪れる人の大半は、人気ハイキングコース(標高723mのイングルボロ)を目指す登山客か、英国最大の天然の洞窟ゲーピング・ギルに魅せられた探検家で、リュックサックを背負い、トレッキング棒を手にした人たちだからだ。
ウクライナの情勢を思うと、彼女たちも安心しきれない。両親はリヴィウを離れることを拒み、兄はウクライナ軍として戦地にいる。ウクライナに残っている友人もたくさんいる。友人のひとりで、ロシア軍に包囲されたマリウポリの港から40マイル(約64km)離れた町ヴォルノヴァーハの神父はロシア軍に殺害された。
ウォーカー邸の台所に座る姉妹は、携帯でしょっちゅうニュースをチェックしている。「ミサイルがあちこちから飛んでくる、とても恐ろしい状況です。ポーランド行きの列車の中で2人の子ども連れの女性と話しましたが、何もかもを失ってどこに行ったらよいか分からないが、今はただ戦地からできるだけ遠いところに行きたいと語っていました」と、コワレフスカが涙をこらえながら言った。
マキシムとアナスタシアは、ウォーカーの2台のパソコンを使って、ウクライナの学校のオンライン授業を受けている。授業は朝7時からお昼休みまでなので、午後は近所を散歩したり、近くの町セトルを訪れたりしている。母国ウクライナとはちょっと異なる食習慣にも少しずつ慣れていってるところだ。先日も、ウォーカーが英国の伝統料理を食べようと、セトルにあるフィッシュアンドチップス店「フィッシャーマン」に連れて行ったが、その量の多さに驚いたという。
左から、チョプコ、コワレフスカ、アナスタシア(11歳)、マキシム(15歳)と、トニー・ウォーカー(後ろ)
Credit: Roger Ratcliffe
先週から、彼女たち以外にも難民がポツポツと英国北部に到着し始めているが、ビザの手配をした者たちは、その手順の煩雑さについてウォーカーと同じような感想を口にする。英国道路庁(Highways Agency)のブライアン・リード部長は、妻がウクライナ人なので、義母など7人分のビザを手配し、ハートフォード(チェシャ―州ノースウィッチの近く)で一緒に生活している。「申請書が複雑で、質問事項もばかげているんです」と話す。「1歳の男の子の申請書類に、“集団虐殺(ジェノサイド)にあたる行為をしたことがありますか?”“あなたはテロリストですか?”といった質問があるんです」
ウォーカーが迎え入れた姉妹たちは、平和で静かなこの村を気に入っているものの、あくまでここは一時的な避難先であると考えている。「私たちの望みは、自分の街に戻って国の復興を助けること。自分の国を大切に思う者にとって、遠く離れた地にいなければならないのは残念なことです」チョプコが言った。
By Roger Ratcliffe
Courtesy of Big Issue North / International Network of Street Papers
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