(2008年9月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第102号より)

メンバーシップも、仕事も、社会も。「偶然」「趨勢」「慣行」がつくった若者の悲劇をこえる



若者と仕事を取り巻く問題が大きな社会問題となっているが、その状況はいまだ改善されず、若年労働市場でいったい何が起きているのかも明らかになっていない。
気鋭の教育社会学者である本田由紀さん(東京大学准教授)が語る、若年労働市場を襲った悲劇の全貌と、目指すべき社会構想。


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現実と言説による二重の排除。悲劇は景気循環でも、若者のせいでもなかった



「これでは、あまりにひどすぎるじゃないか」

いま、そんな若者の切実な叫び声が、いたるところで上がっている。ある派遣社員は工場で命綱さえ持たせてもらえない状況に憤り、就職氷河期に社会に出た者は30代半ばを過ぎ、安定雇用どころか、不安定な仕事にすら就けない絶望を前に、窮状を訴える。

かつて、労働市場では相対的に有利な立場にあった若者。その存在は、未来を担うべき社会的な財産として扱われていたはずである。それが、いったいなぜ、こんなことになってしまったのか。まずは、この疑問がこの話の出発点である。

本田由紀さんは、複雑にからみあった糸をひとつずつ解きほぐすように話し出す。

「若年労働市場の問題は、90年代に入って、音を立てて崩れるように大きく変化してきたのですが、なぜそうなったのかということについては、ずいぶんと長い間、表層的で安易な説明がなされてきました。最も支配的だったのは、若者の労働意欲や努力が低下したから、フリーターやニートが増えたのだという説明です。つまり、社会の側に原因を求めるのではなく、若者の働く意識や心理といった内面の問題にフォーカスして、メディアを中心に『働かない、甘えた、ぜいたくな若者が現れた』といった指摘がなされてきたわけです」

「これと並行して、政府や経済界では景気循環だけに原因を求める考え方が主流を占めていました。『今は不況であって、このつらい時期を耐え忍べば、また80年代のようなジャパン・アズ・ナンバーワンといわれた状況に戻るから、そのためには企業のやりやすいようにさせてあげて、景気がまた回復すれば、労働者にも恩恵が返ってくるのだ』といわれていたのです。しかし、いざなぎ越えといわれる景気回復で明らかになってきたのは、どうも景気の循環だけで説明できるものではなく、若者の労働意識のせいでもなかったということでした」

景気が回復した05年以降は、確かに新規大卒者の求人がバブル期並みとなり、一見すると若年労働市場は回復しているかにみえる。が、派遣社員、それにフリーターの定義から外れる35歳以上も含めた非正社員全体の数は、依然として増加傾向をたどり、また労働者の賃金上昇も過去の景気回復期とは比較にならないほど、わずかにとどまっている。

「さまざまな指標からわかるのは、若者の排除の実態には変化がないということです。むしろ、正社員の労働条件に悪化の兆しがあることを考えると、絶えず排除される若者を生み出す社会的構造が強化されていると言ってもいい。そうした厳しい現実面での排除に加えて、日本の社会では言説の面でも若者をおとしめ、彼らを二重の面で排除してきました。こうした表層的で誤った説明が、本当に私たちの社会で何が起こっているのかという事実を見えなくし、対処を遅らせてきたんです」


いったい何が起こったのか? 若者を襲った悲劇の3つの背景



90年代半ば以降の日本で、本当は何が起こっていたのか。その変化の全貌について、本田さんは少なくとも3つの要因を区別して理解しておく必要がある、と話す。

1つ目は、日本企業を襲った「不幸な偶然」である。どういうことだろうか。話は、90年代前半にさかのぼる。

当時、好景気に沸いた日本企業は、すでに労働市場に出始めていた人口規模の大きい団塊ジュニア世代を熱心に、かつ大量に採用した。ところが、急転直下、バブルが崩壊すると、この過剰採用がたちまち企業の大きな負担としてのしかかった。いや、むしろ事がそれだけで済めばよかったというべきかもしれない。バブル崩壊後、団塊ジュニア世代が大量に入社するのと入れ替わるように、今度は人口規模の大きい団塊世代が50代に近づき、高い賃金水準へと移行し始めたのである。未曾有の不況下で、日本企業は過剰な人件費圧力で身動きがとれなくなった。

「日本の年代別の人口構成はいびつな形をしているのですが、不幸にもその人口の2つのピークと景気循環の明暗の暗の部分が、偶然にも一致してしまったのです。日本の企業はもうこれでは到底やっていけないから、労働力を、これまでのようにきちんと抱え込む正社員と不安定な流動層とに分ける三層構造にさせてほしいということで、95年に日経連(当時)が『新時代の「日本的経営」』を打ち出し、これに事実上お墨付きを与えることになったわけです」

ただ、この「不幸な偶然」は、あくまでひとつの要因に過ぎない。実は、それ以前から、「不幸な偶然」とはまったく別の、産業が発展した先進国では決して避けて通ることができない大きな変化が、日本に訪れていた。それは、景気循環のような一時的な問題ではない、もとには戻らない時代の趨勢というべきもの。本田さんが「不可逆的な趨勢」と呼ぶ、産業構造の変化であった。これが2つ目の要因である。

「どの国でもそうですが、経済の成長期には、テレビや冷蔵庫、クーラーといったような、人間が生活するうえで必要な製品が大量生産、大量消費され、それがある程度ゆきわたると、生産と消費はサービス産業に移行するんです。これは、たとえばファミレスやコンビニのようなサービス産業を思い浮かべればわかりやすいですが、このサービス経済は忙しい時とそうでない時の業務の繁閑がものすごく激しいのが特徴です。そのために、忙しい時だけたくさん労働力を投入して、暇になると、さっと引き上げるという柔軟な労働力の使い方が求められるようになったわけです」

産業内部の変化は、当然ながら、これまでの経済を担っていた工場にも及んだ。工場では、ハイテクを導入した新製品や高いデザイン性の製品など、目新しさを追求した製品を少量生産するようになり、生産サイクルも短くなったため、ある一定期間だけ外部から労働力を投入して生産ラインを増やす生産形態へと移行することになった。そして、この産業構造の変化は、常に海外の安価な労働力との競争にさらされるグローバル経済の進展とあいまって、不安定で極めて人件費の安い非正社員を増やすことになっていったというわけだ。

「こうした産業構造の変化に伴う労働需要の質的変化は、他の先進国では70年代後半から問題となっていて、社会的対処が必要であると認識されていました。日本でも潜在的に同様の問題はありましたが、日本は80年代に日本的経営の花盛り期を迎え、ある種独特のかたちでこれを乗り切ってしまったがゆえに、この問題が覆い隠され、バブル崩壊後に、一気に、しかも極端なかたちで噴出することになったわけです。これは、先述の『不幸な偶然』も重なって、あまりに急激な変化であったがために、私たちはある種、めくらまし状態にあったかたちで、自分たちの社会でいったい何が起きているのか、まったく理解できないという状態に陥ったのです」

後編に続く