前編:元銀行マンが立ち上げた、東海地区最初のNPOバンク「コミュニティ・ユース・バンクmomo」(1/2)
そして、地域づくりに貢献したいと考えていた木村さんにとって、金融の流れを変える鍵を握っていたのが「若者」だった。momoは、金融と若者という二つのミッションを併せ持つ活動だ、と木村さんは言う。
「本来、金融と若者はミスマッチ。金融は専門性が高いし、なにより信用が第一の世界。若者とは相いれない。でも、例えば、都市部のシャッター商店街や過疎化が進んで消滅しかかっている中山間地域などの問題は、今のグローバル経済の中でお金が中央に集められ、若者とお金が地元地域から流出してしまったことが原因なんじゃないか、というのが僕らの問題意識なんです」
「だから、momoは自分たちの町や村を持続可能な地域にしていくために、若い人が金融の立場から融資の決定に参画し、その地域づくりを学んだり、地元の人の話に耳を傾ける。つまり、お金によって切れた地域のつながりを、お金を通してつなぎ直すのがmomoの試みなんです」
「うすぎたないお金」のイメージを「ワクワクするお金」へ
現在、momoは、無農薬野菜の生産者やNPO法人など三つの事業にトータル約350万円の融資をしている。いずれも担保がなかったり、少額であるがために、融資が受けにくい事業ばかりだ。
momoでは、地元の金融機関や税理士、NPO関係者など専門家のアドバイスを受けながら融資を決定するが、「お金を返せるから貸す」「収益性の高いビジネスモデルがあるから貸す」という既存の金融機関の融資スタンスとは違う。むしろ、融資したお金が何に使われるのか、その事業と出資者たちとの間につながりを見いだせるかが、融資決定の大きな条件となっている。そして、momoの真の意義は、融資した後から始まる、と木村さんは話す。
「例えば、寄付や、NPOが申請する助成金などもそうですが、お金が渡った時点で事業の支援は終わる。銀行の融資も期日通りに返済さえされれば、何に使われていてもかまわない。でも、momoは融資の後に出資者たちが融資先を訪問したり、さまざまなかたちで両者がつながって、地域の事業を一緒につくっていくんです」
実際、momoレンジャーや出資者、融資先らが情報交換のために集まって談笑する「momoバー」や「momoカフェ」も定期的に開催される。そうした出会いや情報交換の場から、個人的なつながりが生まれ、地域や社会に貢献する支援策やアイディアも生まれる。顔の見える関係でお金を循環させることが、持続可能な地域の未来をつくることにつながる、というわけだ。
momoから融資を受けた、マイクロ水力発電によるエネルギー自給事業を行う「NPO法人 ぎふNPOセンター」(岐阜県郡上市)の水野馨生里さん(26歳)は、momoのメリットは「お金を介して広がる有機的なつながり」と話す。
「融資を受けたことで、都会に暮らす多くの出資者たちが過疎地域に目を向け、限界集落目前の地域の現状や、都会の暮らしを支える電気がどのようにつくられているのかを知ってくれる。それが、何よりうれしい。momoは、お金が本来持っていた可能性を思い出させてくれる」
また、「momoレンジャー」たちも、活動を通じてお金の可能性に気づく。
momoの立ち上げからかかわった河野早苗さん(24歳)は、当初は何の金融の知識も経験もない学生だった。「それまでは、お金って、なにかうすぎたないイメージだったけど、今は社会を変えるワクワクするものと思える」。河野さんは今年、momoを卒業、有機野菜にかかわる仕事に就き、新たなかたちで地域貢献に携わる。momoの活動が、地域社会に目を向ける若者たちを輩出している。
お金によって切れたはずのつながりが、お金を通してつながる。木村さんは、「お金には、いろんな可能性がある」と言う。
「毎日、なにかに追い立てられるように忙しかったり、人間が本来持っている豊かさや想像力が知らず知らずのうちに奪われていたりする。そんな今の世の中の根本原因は、預金したお金がグローバルに流れて目に見えなくなってしまっているような、お金の仕組みに端を発していると思うんです。だから、金融という目に見えないものを可視化していく。僕は、そこにいろんな可能性があると思っています」
(稗田和博)
Photo:伊藤卓哉
木村真樹(きむら・まさき)
「コミュニティ・ユース・バンクmomo」代表理事。1977年、名古屋生まれ。大学を卒業後、名古屋の地方銀行に入行。退職後、NGOのインターンとしてインドでの国際支援活動等に従事。帰国後、国際青年環境NGO「A SEED JAPAN」に就職。03年に事務局長に就任し、「エコ貯金プロジェクト」などに携わる。05年10月に、地元名古屋で、「コミュニティ・ユース・バンクmomo」を設立する。
(2008年4月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第92号より)