前編を読む




日本人のルーツは東アジア、そしてアフリカへ



こうして日本人のハプログループを一つひとつたどっていくと気づかされることがあります。それは、ほとんどのハプログループが東アジアにその由来を持ち、なおかつ同じ種類のDNAを持つ人びとが、日本だけでなく、東アジアの全域に数多く存在しているということです。

つまり、日本にいる私たちのルーツ、根っこをつかんでいくと、私たちの身体はいつのまにか海をこえ、国境をこえ、東アジアの大陸をまたいでいるのです。




「私は日本の人類学者ですから『日本人のルーツ』というのを一応のテーマにしてきました。そして日本人のルーツを探るとなれば、とりあえず東アジアまで追いかけるわけです。しかし人類はもともと『アフリカ』から出てきたことが最近わかったんです。

それまで日本人は北京原人などから進化して、日本で新人になったと考えられていた。それがアフリカで新人になったことがわかり、それまで考えられていた日本人のルーツ自体もがらりと変わってしまったわけです。

じゃあDNA分析にもとづいて日本人のルーツはどこにあるのかと探っていけば、それはまさに東アジアで暮らす人びとの成立に結びつくんですね




90年代に分子生物学が巻き起こした革命、それが新人の「アフリカ起源説」でした。従来は、世界中に散らばる北京原人、ジャワ原人、ネアンデルタール人などから私たちは新人に進化したと説明されましたが、実際にはそうした先行人類は絶滅し、私たちの共通祖先はみなアフリカで生まれていたことがわかったのです。それがおよそ10万〜20万年前のできごと。あるグループがアフリカを旅立ち、世界中に拡散していったのが、たった6万〜7万年前とされています。

アフリカを最初に出た人びとは160人ぐらいと見積もられているんですよ。最大でも550人と考えられている。私たちアフリカ以外に住む人びとはみな、この何百人から生まれ、派生していった子孫なわけです。一方は欧州へ向かいヨーロッパ人となり、一方はオーストラリアへ向かってアボリジニとなった。夢みたいな話に思われるかもしれませんが、実際そうだったのですよ」




必要な人類揺籃の地アフリカへのリスペクト



このことを裏づけるようなデータもあります。私たちはふつう、白人、黒人、黄色人種のように世界中の人びとを肌の色で区別しがちですが、DNA分析が描きだす世界地図はまったく異なった色合いをしています。

現在、世界中に住む人びとをDNAの違いの大きさから4つに分類することができるのですが、そうすると三つまでのグループがすべてアフリカ人によって占められるのです。

これはなぜかといえば、人類誕生の地であるアフリカではそれだけ遺伝子の歴史も長く、突然変異の蓄積が多い(多様性に幅がある)ということなのです。アフリカ以外に住む私たちが肌の色に関係なく残りの1グループにすべて含まれてしまうのも、それだけ遺伝子の分岐がごく「最近」に行われた結果なのでした。

「人類揺籃の地アフリカは一貫して多くの人口をかかえてきたことから、他の地域に比べると数倍もの遺伝的多様性を持っています。にもかかわらず、飢餓や疾病に苦しむ現在のアフリカ集団の衰退は、人類の遺伝的多様性を損なうことになるのです。人類誕生のこの地に対するリスペクトを忘れたら、将来大きなツケとして返ってくる可能性があることを忘れてはならないでしょう」




コロンブスの発見は、人類拡散、最初の旅の確認





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ではここで、私たちも日本を出発し、ゼロ地点に戻る旅へと出てみましょう。ほとんどの人はまず日本からユーラシア大陸へと渡ることになります。世界地図を見ながらのほうがイメージしやすいかもしれません。

ある人は南アジアを経由し、またある人はヒマラヤ山脈の北などを経由して、中東地域へと集合します。想像してみてください。あなたの横には次から次へと世界中の人びとが合流してきました。そうして私たちはアフリカ大陸へと渡るのです。

かつてその先には、私たちの共通祖先が住んでいました。私たち人類の旅は、一つの故郷から出発した長い長いお別れの旅でもあったのです。




『日本人のルーツ』と書くと、もっと狭い意味で日本人が特別な集団であるかのように取る人がけっこういるんですよ。でもそうではなくて、日本人というものは南アジア、ヒマラヤ山脈の北ルートなど、さまざまな経路を経て東アジアに成立したことがわかりました。

さらに遺伝子にはシャッフル(交配)による多様性のシステムがあり、それをたどれば私たちみんなの共通祖先がアフリカにいることもわかる。人類みんなのDNAはつながっているのだと私は言いたかったんです」




現生人類が世界中に散らばって、アメリカ大陸の南端にたどりついたのが約1万2000年前のこと。コロンブスが新大陸を「発見」したのは1492年ですから、彼がなしえたのは、人類拡散の最初の旅がすでに1万年以上も前に終わっていたことの確認でしかありませんでした。

こうした人類拡散はあらためていうまでもなく、国や民族といった概念が生まれるずっと以前に起こったことです。私たちが「日本人のルーツ」という部分にこだわってしまうのも、祖先の人たちからしてみればおかしな話なのかもしれません。




「タイムスパンの取り方が学問によって違うなということも感じますよね。

例えば、大化改新のころや、奈良時代の研究をやっている人たちからしてみれば『縄文人は日本人ではない』という感覚なんです。それはそうなんですよ。日本なんてものはそのころありませんでしたからね。『国民』というもののとらえ方だって、私はほかの人とずいぶんちがうと思いますよ。今フランス人といったって黒人もたくさんいるわけでしょう。これは文化的な絡みあいから生まれてきたものです。

もっと長いタイムスパンでものごとを考えてみましょうよ。日本だって新しい人たちが入ってきて、それを受け入れてここまできたわけです。人類学者は客観的にものごとを見ていますが、世の中にはそういう視点もまた必要でしょう」




人はどこから来て、どこへ行くのか? 

私たちの旅はこれからも続いていきます。




(土田朋水)
Photo:高松英昭

篠田謙一(しのだ・けんいち)
1955年生まれ。分子人類学者。日本や周辺諸国の古人骨DNA解析を進めて、日本人のルーツを探る。著書に『日本人になった祖先たち』(NHKブックス)。国立科学博物館人類第一研究室長。