(2009年1月12日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 110号より)


日本では土地を買っても未来永劫には守れない。 “トラストの土地、開発できない法律”をつくりたい

17年前、中学生として活動した室谷悠子さん。「日本熊森協会」の立ち上げに馳せ参じ、今は活動を続けながら日本のトラスト法の策定をめざしている。とことんやるのが楽しい、そこから希望が生まれると語る。


KK 23

悲惨な状況に、 元気でめげない中学生

室谷悠子さんは、この物語の発端となったツキノワグマ狩猟禁止を呼びかける署名運動をした中学生の1人である。

「自然破壊や野生動物の絶滅はどこか遠いところで起こっている出来事と思っていて、身近なところに苦しんでいる動物がいることに衝撃を受けました。胸が痛み、その原因をつくった人間として、クマを殺して問題を解決していいのかという気持ちがこみあげてきたことを覚えています」


Fukumatu 032

(保護飼育中の行き場をなくした子グマ)


中学2年生だった室谷さんは、入部していたソフトボール部の仲間とともに、「今、聞いたらびっくりするような名前ですが(笑)、『野生動物を増やす会』を立ち上げた」と話す。1000人の学校で300~400人が活動に参加したという。

署名を持って県庁へ行った時は、けんもほろろの対応。地元に電話をかけたら、「熊を守ろうなんて何事なんや」って怒られたり。どこへ行ってもさんざんな状況だった。

「悲惨な状況だったんですけど、本当に中学生って元気でめげなくって、『これがダメやったら次あれやってみよう~』と、どんどんアイディア出しながらやってました」

「当時、東京大学農学部の名誉教授をされていた高橋延清先生も『本当に中学生の言う通りだ』って言ってくださった」。

調べていくうちにわかったのは、クマの問題だけではなく、スギ、ヒノキだけの人工林の山は表土が流れてしまって、川の水量がどんどん低下していることだった。

「森がなくなってしまったら、自分たちが50~60代になった時に水道の蛇口から水が出るのかと、考えました。目の前が真っ暗になったような気がしたんです」

武庫東中学校はごく普通の公立中学校だが、「学年の先生をはじめ、校長先生も応援をし

てくれ、兵庫県の知事さんに会いに行く時は、公欠扱いにしてもらいました」。

中学生の活動の結果、学校からいじめなどの問題が消えたという。

「弱いものを守れって言いながら、誰かをいじめたりはできなくなったのだと思います。それに必要に迫られてやった調査が活動に役立ち、勉強が意味をもつものになっていったんです」


トラスト法が必要、法律の道へ

大学生になった時に、森山さんから「日本熊森協会」を立ち上げると声がかかった。すぐに参加した室谷さんは、会員十数人の発足当時から、環境教育や機関紙の発行など、さまざまな活動に取り組んだが、やがて転機が訪れる。

「法律の問題にぶつかることが多くなりました。99年、野生動物を簡単に殺せるように鳥獣保護法を改悪するような議論になって何度も国会に乗り込んで動いた時、会が大きくなり1000人を超えた時の組織運営、それぞれ法律の知識の必要性を感じた。さらに、トラストで土地を買うことになった時は切実になりました」

英国のナショナルトラストは国土の1.5%以上を買い取って永久保存し、海岸線の4分の1以上をトラストしているが、英国にはナショナルトラスト法やナショナルトラストに関する法律が数多くあり、その活動を支えている。

「会を大きくして自然保護を実現していく時に、トラスト法が必要だと感じた」室谷さんは、当時、大学院で社会学を学んでいたが、思いきって法科大学院で法律を学ぼうと方向転換した。

熊森協会は現在、NPO法人「奥山保全トラスト」を立ち上げ、1266haの原生林を買い取っている。

「今ある森を民間で永久に保全していくような団体を立ち上げる必要があると思って話をする中で、賛同してくださる方が出てきて、その中で実現しました」  では、どんな方法で土地を入手してきたのだろうか?

「各支部がこの場所と決めて交渉することもあるんですけど、トラストの話をいろんな方にする中で、希望の場所で手放したいとか、売ってもいいという人が見つかったりするんです。トラスト地が活動の拠点にもなっています」

「奥山保全トラスト」の理事長である四元忠博さんとの劇的な出会いもあった。

「四元さんは日本のナショナルトラスト研究の第1人者です。鹿児島の志布志湾の開発反対運動をする中でトラストの研究をされた。著書を読んでお会いでき、一緒にやりましょうって言っていただいた」

英国だけでなく、トラスト法はオーストラリア、それに最近、韓国でも成立した。

「日本では、土地を買っても未来永劫守れるかというと、そうではない。開発の対象となった時に収用にかかる可能性もあります。そこで、法律でトラストした土地は開発できないという仕組みをつくりたいんです」


100万人の自然保護団体をつくる

欧米には数十万人規模の自然保護団体がざらにある。98年、室谷さんは100年の歴史をもつ米国最大の自然保護団体「シエラクラブ」を訪ねた。組織の規模、さまざまな分野の専門家、日本とは雲泥の差だった。

「日本にもこれだけの規模の自然保護団体があったら、熊の絶滅も止められているだろうにと寂しい気持ちにもなった。その時に、必ず『日本熊森協会』を大きな団体にすると、誓ってきました」

鳥獣保護法を改悪の際は、国会議員さんに、「国会議員を動かしたいと思ったら、2万人の会になってから来なさい」と言われた。ついに今、2万人。「100万人の自然保護団体をつくるのが目標です」

熊森協会は、草の根の現場主義をつらぬいてきた。

「自然を守るために野生動物を守るために必死で汗を流している団体だから、会員になったり、ボランティアをしたいと思うんだと言ってもらえるようでありたい。いかに本当に自然を守れる大きな団体にしていくかですね」

淡々と静かに会の将来像を語る室谷さんだが、中学生の頃と同じくポジティブであることは変わらない。

「とことんやる方が楽しいんですよね。思う存分やると、かえってその苦しい状況でもおもしろい仲間が生まれるし、いろいろとアイディアも出てきます。じゃあ助けてあげようかって言ってくれる人も現れる。必死で立ち向かうからこそ、希望とか笑顔とか喜びとかが生まれることを、活動を通して知りました」

最後に、とりあえずはしっかりとした弁護士になってと言いながら、室谷さんはつけ加えた。「熊森の将来もやっぱり支えていきたい。またそれをやることによって勉強も活かせると思っています」


(水越洋子)

Photo:中西真誠


室谷悠子(むろたに・ゆうこ)

兵庫県尼崎市生まれ。1992年尼崎市立武庫東中学校在校時、仲間たちと活発なクマの保護運動を起す。1997年日本熊森協会の設立に参加し、以後、会の先頭に立って活動を大展開させる。京都大学文学部卒業、京都大学文学研究科修士課程修了、大阪大学高等司法研究科修了。中学生だった時から17年間、クマの棲む豊かな森を次世代に残すため、森山会長と心をひとつにして、熊森を100万人の自然保護団体に成長させようと活動を続けてきた。