かつて世界一の水産大国を誇った日本の漁業生産高が、今や最盛期の半分まで落ちている。日本の漁業で何が起こったのか? 明石の漁港(兵庫県)をフィールドにし、日本漁業の再生に取り組む鷲尾さんに、漁業の今を聞いた。
海の中で“貧富の格差”拡大。富栄養化がもたらした魚の危機
豊かな海の栄養を北の海から運んでくる親潮と暖かさを運んでくる黒潮が近海でぶつかる日本は、世界四大漁場の一つに数えられる。かつては水揚げ量、消費量ともに世界一だったが、今やスーパーでは海外産の魚介類を目にすることが多く、魚介類の自給率も50%を切る。
なぜ、そのような事態に陥ったのだろうか?
「日本の海は糖尿病、つまり成人病にかかったんです」と鷲尾さん。
その海の成人病の原因の一つは、極めて低い日本の食糧自給率にあった。
今や、日本には世界中から食糧が運び込まれ、私たち日本人は多くの食べ物を消費している。その食糧は人の口に入った後、排泄物となって下水処理場で処理されるが、窒素やリンといった栄養成分の半分以上は無機化されただけで、下流の海に流される。
また、人の口に入らなかったものも廃棄物となり、一部は肥料や飼料として使われるが、最終的にはいずれも環境中に出て行くことになる。つまり、世界中から栄養分が食糧輸入というかたちで日本列島に集まり、その結果として、日本の海が「富栄養化」したというわけだ。
この富栄養化は、もともとあった海の生態系を壊し、赤潮の多発やヘドロの堆積といった問題を引き起こした。そして、魚の再生産をも阻害する事態になった、と鷲尾さんは指摘する。
「例えば、富栄養化の影響で、過剰な栄養環境(窒素環境)に適応した大粒の植物プランクトンが海の中の栄養分を独占しました。
すると、それまで細かいプランクトンを食べていたイワシやイカナゴ、貝といった沿岸域でつつましく繁殖していた魚介類が栄養吸収できなくなり、一方で大粒のプランクトンを口にできるクラゲ類に栄養分が偏るようになったんです。つまり、富栄養化によって魚たちの間で貧富の格差が拡大するようになったんです」
その格差拡大の象徴が、巨大クラゲの大発生だった、と解説する。
「“白砂青松”といわれる日本の美しい砂浜の風景を思い浮かべればわかりやすいのですが、日本の風土はもともと海も陸も貧栄養体質なんです。
火山でできた島国であるため、雨が降って花崗岩を削り流し、沿岸部にやせた砂浜や砂丘ができる。だから、砂浜の拡大を防ぐために日本人は古来よりやせた土地で青々と茂る松を植林してきたわけです。
それは海の魚も同じで、例えば、明石の海ではプランクトンなどの餌が増える春にマダイや鰆(さわら)が増え、露になれば、雨で陸から流されてきた栄養分でマタゴや磯魚が食べごろになる。
秋には、冬ごもりのため脂が乗ったブリやイワシがドッと押し寄せた。いずれも限られた海の栄養分をギリギリのところで利用する魚たちの生態系があったのですが、それが富栄養化によって壊れ、一時的にはイワシなどの魚の豊漁をもたらしたのですが、やがて栄養吸収できなくなった魚が減ったことで沿岸漁業の漁獲量が落ち込んだんです」
近海のサバは飼料用に、食卓に上るのはノルウェー産。工業化社会に利用された漁業、その乱獲体質。
日本の沿岸から魚介類が姿を消しはじめたのは、富栄養化ばかりが理由ではない。日本の漁業の乱獲体質にも原因があった。
日本の漁業は、漁業の近代化を目的とした政府の補助金政策によって漁船を大きくし、
設備を充実させることで漁獲量を増やしてきた。だが、漁師が一斉に漁獲キャパを増やすことで漁船団の競争が激しくなり、魚が減り始めると、さらに乱獲体質に拍車がかかった。今でも漁業の乱獲体質は夜の海に光る漁り火を見れば一目瞭然、と鷲尾さんは言う。
「かつての漁り火は、イカ釣り漁船など、魚の群れを追って漁をする小さな船の明かりがたくさん見えたものですが、今は大きな漁り火がポツポツと点在しているだけなんです。
なぜかというと、魚を追うと船が燃料を食うため、大型の巻き網を装備した大きな漁船で強烈な光を照らし魚を集め、一網打尽にしているからなんです。
いつも同じ沖合いで魚を獲り尽くしてしまいますが、それでも漁船の維持費を捻出するのがやっとなので、だんだん魚が減ってきてもやめられない体質になっている」
<後編に続く>
(2007年9月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第79号より)