幕末維新期からの二十数年間、日本各地で民間人による102もの憲法草案が作られた。国民の権利保障に重きを置き、現代に通じる先駆的な条文が多数盛り込まれた「五日市憲法」もその一つだ。それを最初に手にして以来、五日市憲法の研究を50年余り続けてきた新井勝紘さんに、その時代背景や内容について聞いた。 

交易の拠点・五日市は討論の町
人々が国のあり方を真剣に考え 自由民権運動が花咲いた時代

 1968(昭和43)年、時を経てボロボロになった風呂敷包みの中から現れた、縦23・3㎝×横32㎝の薄い和紙の24枚綴り。東京都・五日市町(現あきる野市)の旧家・深澤家の土蔵から見つかったのは、1881年に作られた民間の憲法草案(私擬憲法)「日本帝国憲法」だった。それは後に「五日市憲法」と呼ばれることになる。

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五日市町にあった深澤家の土蔵(当時)。
1968年、数十年ぶりに扉が開けられ調査が行われた。嚶鳴社の憲法草案全文も同時に発見されている。現在は改修されている。 



 その憲法を土蔵の中で見つけたのが、当時日本近代史を専攻する大学生だった新井勝紘さんだ。

「きっかけは、ちょうど明治が始まって100年という節目の年で、この100年を見直してみようという歴史学者・色川大吉先生のゼミで行った土蔵調査でした。調べ進むうち、そこには近代憲法と比較しても遜色のない先駆的な内容が記されていることがわかり、以降50年にわたって、私は五日市憲法を研究することになりました」

 幕末維新期から大日本国憲法発布までの約20年間、確認されているだけでも102にのぼる私擬憲法が各地で作られていた。「日本の近現代150年の中で、憲法に関心が集まった時代が3度あります。その最初は自由民権運動が活発だった1870~1880年代で、『創憲の時代』とも呼ばれます。200年も続いた江戸幕府が倒れ、国のありかたがまだ固まらない混乱の時代に、一般の人たちが国のあり方を真剣に考えていたのです」

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※写真提供:新井勝紘さん 1881年に起草された「日本帝国憲法(五日市憲法)」。
1968年、深澤家の土蔵にあった竹製の箱の中の風呂敷包みから発見された。 



 五日市憲法も、その真っただ中に起草された一つだ。当時の五日市は、五日市街道で江戸へ、生糸を運搬する「絹の道」で八王子や横浜へもつながり、新しい情報が常に入る活気ある地域だった。さらに深澤家の当主・深澤権八は、東京で発売された書籍をことごとく買い集め、地域の人たちが無料で読めるようにしていたという。「そういった地域で民主主義や立憲主義を考える土壌が育ち、結社が作られ、熱心に勉強会や討論会が行われていました。蔵の中から出てきた討論題集には、『条約締結権を君主の専権にすることの利害』『女性に参政権を認めるかどうか』といった憲法草案に直接つながる重要なテーマも含まれていました。五日市憲法は最終的には千葉卓三郎が起草したものですが、討論会での議論や結論を根拠とし、町の人たちの意見を大事にしながら一条一条をまとめたのだと思います」

起草者・千葉卓三郎は仙台の人
欧州の中小国の憲法を参考に国民の権利、教育、自治を提案

 起草者の千葉卓三郎はどんな人物だったのだろうか? 新井さんは手がかりのなかった卓三郎の足跡を求めて各地を訪ね歩き、その31年の生涯を明らかにした。卓三郎は旧仙台藩に生まれた元武士であり、維新の動乱期に儒学、医学、皇学、浄土真宗を学び、キリスト教にも入信。1880年、28歳の時に正式職員として五日市に赴任し、そこで起草作業に尽力したのだ。

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旧仙台藩出身の千葉卓三郎(右端、1852~1883)。たった一枚残された写真。 

 五日市憲法を具体的に見ていこう。嚶鳴社(※1)の憲法を土台にしているものの、全204条のうち101もの条文はオリジナルだ。「また、憲法学者の稲田正次先生の分析によると、いわゆる大国ではなく、イタリア、スイス、オーストリアなどの欧州の中小国の憲法を参考にしていることがわかりました。深澤家の土蔵からは各国憲法の翻訳本も見つかっていて、棒線が引いてあったり空欄に要点が書いてあったりと、しっかりと学んだ痕跡がありました」

※1 元老院大書記官の沼間守一らが1878年に設立した政治結社。自由民権思想と国会開設を主張した 


 五日市憲法は全体の7割を超える150条を「公法」「立法権」「司法権」で構成。三権分立を明確にし、国民の権利を憲法がどう守るかという点に重点を置く。「第45条『国民は一人ひとりの自由権利を達せられなければならない。この自由権利は、決して他から妨害してはならない。同時に国の法律というものはこの自由権利を保護しなければならない』(※2)は特に重要。同時代の最も民主的な私擬憲法と言われる植木枝盛の『東洋大日本国国憲按』と比べても基本的人権保障は遜色がありません」

※2 第45条 日本国民ハ各自ノ権利自由ヲ達ス可シ、他ヨリ妨害ス可ラズ、且国法之ヲ保護ス可シ 


 そして、「最近改めて注目している」と次の三つの条文を紹介してくれた。一つは、第49条「日本国に在居する人は内外国民にかかわらず、その身体、生命、財産、名誉を保護する」(※3)。「現憲法下でも日本人か否かで差別があるなか、この時代にここまで明確に、日本人であっても外国人であっても日本に暮らす人の命や財産、権利は守られるとした。この条文は、非常に先駆的だと思います」  次に、教育について記した第76条「子弟の教育において、どのような学科をどのように教えても、それは自由である。さらには子どもの小学校の教育については、その教育を受ける権利を子どもに与えることを保護者の責任とする」(※4)を挙げる。「教育を受ける権利について触れている当時の私擬憲法はほとんどありません。その内容も教育の場を国家権力の干渉から守ろうというものです」

※3 第49条 凡ソ日本国ニ在居スル人民ハ内外国人ヲ論セス其身体生命財産名誉ヲ保固ス 
※4 第76条 子弟ノ教育ニ於テ、其学科及教授ハ自由ナル者トス。然レトモ子弟小学ノ教育ハ、父兄タル者ノ免ル可ラサル責任トス 



 三つ目は地方自治について記した「府県の自治というものは、その地域の風俗や習例に因るものなので、絶対に干渉したり妨害したりしてはならない。その自治権は国会といえども侵害してはならない」(※5)という第77条だ。「現憲法でもこれほどストレートに地方自治を認めていません。各地域の文化や暮らしが大事であり、国が一方的に何かを押しつけてはいけないということ。自治権を深く理解したもので、102の私擬憲法の中でも特に光っています」  残された千葉卓三郎の備忘録には「『法律主要ノ目的』は『人民之権利』を保護し、『社会ノ安寧』を維持する」という文言がある。五日市憲法には彼自身の“法の精神”も貫かれている。

※5 第77条 府県令ハ、特別ノ国法ヲ以テ其綱領ヲ制定セラル可シ。府県ノ自治ハ各地ノ風俗習例ニ因ル者ナルカ故ニ、必ラス之ニ干渉妨害ス可ラス、其権域ハ国会ト雖トモ之ヲ侵ス可ラサル者トス 

国民の草案を無視した明治政府
自由民権期の人々の思いが根底に流れる日本国憲法

 新井さんは、五日市憲法の歴史的価値についてこう話す。「憲法とは一般の人の命や生活、権利を守るためにあるのだと強く主張し、今なお色褪せていない。学ぶとすれば、まずは何のために憲法があるのかを考え直すということではないでしょうか」

 自由民権運動が盛んだった当時、日本各地に2000超の結社が生まれた。「一結社が10人なら計2万人、100人なら20万人。当時の日本の人口は約3千万人ですから、各地でかなり浸透していたと推測できます。明治政府はその動きを恐れ、集会条例や保安条例などで弾圧した。演説会には必ず私服警官が潜み、政府批判をすれば結社は解散を命じられ、主催者は捕えられた。そういう闘いの中での憲法起草だったのです」

 1889(明治22)年、大日本帝国憲法が公布された。「明治政府は公議公論で作られた数多くの民間憲法の存在を知りながら、天皇大権的なプロシア(プロイセン)憲法を参考にし、密室で草案を作り上げました。国民からの提案は一切無視し、一方的に天皇の名(欽定憲法)で国民に押しつけたのですから、これこそ『押しつけ憲法』と言えるかもしれません」

 敗戦後、1945(昭和20)年に日本国憲法が公布される前までの約1年間は「第二の憲法の時代」と呼ばれ、確認されているだけで29もの憲法草案が生まれている。その一つ、民間の「憲法研究会」による草案はGHQに提出され、起草時に大いに参考にされたという記録が残る。「日本国憲法はかたちとしては『押しつけ』だったかもしれませんが、そこには “創憲の時代”に書かれた草案の良質な部分が流れています」

 そして今は第三の憲法の時代、その最終段階にあると新井さんは言う。「現憲法でも、在日外国人や被災者など社会的弱者の権利が守りきれていない不十分な部分もあります。戦争放棄する9条は守りつつ、新しい提案や補強をするという考え方があってもいいと思います」

 今後、改憲が提起されれば、国会を経て最後は国民投票となる。「何を根拠に、憲法の良し悪しを判断するのかが大事です。自由民権期の人々が持っていた情熱と知識と覚悟が1世紀以上を経た今、我々にあるかどうかも問われています」  日本国憲法21条には「この憲法が国民に保障する自由および権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」とある。「この不断の努力を私たちは忘れていないでしょうか。自分たちの暮らしや生活、権利を守り続けるためには、歴史を学び、日頃から憲法とは何かを考えることが大切だと思うのです」

(松岡理絵)


(プロフィール)
あらい・かつひろ

1944年、東京都生まれ。専門は日本近代史、自由民権運動史。東京経済大学卒業後、東京都町田市史編さん室、国立歴史民俗博物館助教授などを経て、専修大学文学部教授。認定NPO法人高麗博物館館長。成田空港 空と大地の歴史館名誉館長。著書に『自由民権と近代社会』(編著、吉川弘文館)、『近代移行期の民衆像』(編著、青木書店)ほか。
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Photo:浅野カズヤ 

(書籍情報) 『五日市憲法』 新井勝紘著/岩波新書/820円+税
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※上記は2019年5月1日発売の『ビッグイシュー日本版』358号「ビッグイシュー・アイ」から転載した記事です。
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