英国の名匠、ケン・ローチ監督が1966年に制作したテレビ作品『キャシー・カム・ホーム』は、都会に出てきた主人公が家を失い、ホームレス状態に陥る過程をつぶさに描き、社会的な議論を呼び起こした。50年を経た今、英国の住宅事情は当時と同じくらい悪くなっていると、英国ビッグイシューのアダム・フォレストに語った。
ホームレス状態から抜けられない子どもたちが9万3000人
Q:「住宅危機」はすっかり耳慣れた話題になりました。言われすぎと言ってもよいくらいです。あらためて、英国の住宅問題は危機的状況にあると思いますか?
ケン・ローチ(以下KL):危機は転機にならなければいけません。危機とは、事態がうんとひどくなり、発展や改革が必要なときを指す言葉なのです。この国の住宅供給は明らかに悲惨なことになっていて、この悲惨さがこのまま続くかどうかは、私たちが今何をするかにかかっています。住宅は総じて過密状態で、人々は庭のはずれの納屋にまで住んでいます。そして、ホームレス状態から抜けられない子どもたちが9万3000人います。こういった状況が、人々やその人生にどんな影響を及ぼすか考えてみてください……ショッキングですよ。
Q:過密状態の住居、報復的な立ち退き要求(※revenge eviction 不満を述べたり部屋の修繕を要求したりした借り手に対し、悪質な大家が立ち退きを迫ること)、ロンドンから転出するよう圧力をかけられている人々--住宅をめぐるこの種の問題に驚かれていますか?
KL:政治的なことを指しているなら、驚きではありません。適切な計画を立てさえすれば、もっと多くの家を人々に提供できたはずですが、ずいぶん長い間、そのような計画はつくられていません。必要なだけの家を建て、雇用を確保し、学校や交通網、緑地のようなインフラを整えるためにはきちんと計画を立てる必要があります。しかし、この種の本当に必要な計画を許さない市場経済がある。どの党も、程度に差はあれ提示する解決策は同じ。「市場に委ねろ」、です。ですが、住宅問題はそれでは解決できないことを市場が示しました。
Q:議会にもう一度公営住宅の建設の開始を望むのは、望みすぎでしょうか?
KL:第二次大戦後には、地方自治体による建設現場での直接雇用が行われました。実地で見習いとして訓練を受け、やがてよい仕事につながる可能性のあった若者はたくさんいましたが、建設業はどんどん場当たり的な仕事になっていきました。そうして労働者は組合権のない日雇い労働者へと再び後退していっています。まるで水道栓を開け閉めするように利益に応じて仕事の量を調整されますから、必要な建物を建てることもままなりません。
そしてもちろん、「買取請求権」(※Right to Buy サッチャー政権時代に導入された持家促進政策。一定の年数住み続けた賃借人に、その物件を割引価格で購入できる権利を付与する。2010年に首相となったキャメロンがさらに推進)は大失敗でした。長期的に明らかになった結果は、まったくばかばかしいものです。売却された家の多くは、地主階級が取得し、いまや法外な家賃で生活の苦しい人に貸し出されているのです。
貧しい人々を嘲笑する、悪質なテレビ番組“ファシスト・テレビ”と呼んでもいい
Q:持ち家は、他の形態の住まいを犠牲にして優遇されてきたということでしょうか?
KL:そうですね。一人一人が家を持つという考えは理想論だったと言えます。私自身もそんな中で育ちました。BBCに職を得た時、最初にしたことの一つは、小さな家の入手でしたからね。しかし結局のところ、肝心かなめなのは、安心感だと思います。安心感が得られるかは、借地借家権が安定するかどうかにかかっています。そこが家族にとっての“我が家”で、ずっと住み続ける権利があるとわかっているということなのです。かつての公営住宅は、そういうものでした。
Q:今日の英国のテレビ界における、福祉手当や公営住宅、いわゆる「たかり屋」(仕事があるのに失業手当を要求する人)といったテーマを扱う番組の爆発的な増加についてはどう思いますか?
KL:“ファシスト・テレビ”と呼んでもいいと私は思います。「私やあなたと比べて人間らしさに欠けた人々がここにいますよ」と言わんばかりの番組作りをしているからです。人々を軽蔑し、嘲りの対象に仕立て上げています。このような番組の製作の発注を決めた人々やテレビ局のトップが誰であるか、公表されるべきです。あまりにたちが悪すぎて、ナチス政権下のドイツで放送されても場違いではない番組もあります。
しかし、近年BBCには「家と呼べる場所がない」という良質な番組がありました。そこでは、住まいを確保することの難しさや子どもたちにもたらす影響についてのリアルな現実を映し出していました。ですので、すべてを一緒くたにはできないのですが、タイトルに「福祉手当」という言葉が含まれている番組の大半は、貧しい人々をおとしめています。
Q:『キャシー・カム・ホーム』からほぼ50年経ちました。監督ご自身は今、このドラマ作品をどのように振り返りますか?
KL:今、住宅にまつわる話をして、当時と同じような爆発的な関心懸念を引き起こすことは可能でしょうか? あれは、テレビがもっと素朴な目で見られていた時代の作品です。ですので、それまで見たことのないものに今よりも簡単に心を動かされました。
昨今は、誰もがテレビというメディアに飽き飽きしていると思います。視聴者は何も感じなくなっている。メディアはそれに対して、ますます安っぽい扇情主義に走っています。それに、チャンネルが多すぎて、ある特定の映画が1966年の『キャシー・カム・ホーム』のような衝撃を与えられることはありません。
しかし、今日でも、家探しに苦闘する人々は、当時と同じような絶望的状況にしばしば置かれているのです。
ケン・ローチ
1936年生まれ。イギリスの 映画監督・脚本家。
主な作品に「キャシー・カム・ホーム Cathy Come Home (1966年) 」(テレビ映画)、麦の穂をゆらす風 The Wind That Shakes the Barley (2006年)など。