映画監督・撮影技師の ザマリン・ワフダートはアフガニスタンで生まれ、ドイツで育った。大学で映画製作の世界に飛び込み、英国やニューヨークで作品づくりをすすめ、アカデミー賞作品に携わるまでになった彼女に、ドイツのストリートペーパー『ヒンツ&クンスト』(ハンブルク拠点)がインタビューした。
映画の道を応援してくれた父親
高校を卒業したばかりの19歳の頃、ザマリン・ワフダートは、ハンブルク郊外のフールスビュッテルにある自宅で将来のことをぼんやりと考えていた。教師を目指そうかと思っていた。それなら物理学の教授だった父も喜ぶだろうと。ところが父親からは、「お前の学校にドイツ人以外の教師はいたか?」と鋭い質問をされた。少し考えてから、「一人、ボヌール先生がいたよ」と答えると、父親は「彼女はフランスから来たフランス語の先生だろう?」と言った。その通りだった。
教師になるなら語学教師として母国語を教える道しかない、と父親は断言する。自分の可能性を信じてくれないのかと腹が立った。彼女は生まれこそアフガニスタンだが、育ちはドイツだ。ドイツの学校で学び、優秀な成績を収め、アビトゥーア(ドイツの高校卒業資格にあたる試験)にも合格した。しかしこのときの父の言葉をきっかけに、「本当にやりたいこと」について考え直すことにした。
アフガニスタンにいた頃は物理学教授として理学部長を務めていた父だったが、ドイツに来てからはそれまでの学歴や経歴が認められず、教授の職をあきらめて配送ドライバーになった。大きな方向転換ではあったが、運転が好きだったのもあるし、この仕事の方が人から無視されることやからかわれることも少ないかもと思ったのだそうだ。父は、そんな経験を踏まえて娘に意見していたのだと、32歳になった今ならわかる。
その後、外国で映画の勉強をしようと思うと打ち明けたところ、反対されるとばかり思っていた父親が喜んでくれた。ふたりは夜な夜な映画について語り合うようになった。「父はわたしたち姉妹に、何かを生み出す人生を過ごしてほしいと願っていたのでしょうね」とワフダートは振り返る。
祖国アフガニスタンで撮影した作品でアカデミー賞短編ドキュメンタリー受賞
ワフダートは長い間、アフガニスタンを“外国”のように感じていた。両親や祖父母の話でしか知らない国だったからだ。故郷の山々やカブールの中心を流れる大きな川の話をよく聞いた。一家がアフガニスタンを逃れたのは彼女がまだ2歳の頃で、次に訪れたのは20代の終わり、大学教授と共に映画を撮影するためだった。アフガニスタンを訪れることを母親に言い出しにくく、「大きな罪悪感がありました」とこぼす。「私が現地に滞在していた3週間、きっと母は心配で夜も眠れなかったでしょうね」
アフガニスタンで1本のドキュメンタリー映画を撮影した。スケートボードを用いた教育プログラム「スケーティスタン」に取り組む学校を追った。そこで出会った少女たちは「生き生きとして勇敢で、将来の希望や夢を持っていた」し、教師たちは「独立した国をつくろうとしている世代の人々だった」とワフダートは語る。
その後、この作品は2019年度のアカデミー賞短編ドキュメンタリー賞を受賞した。「この映画の中のアフガニスタンは、ニュースなどで見聞きするのとは違い、希望にあふれているからでしょうね」とワフダートは言う。「文化的活動の復活に力を入れている国には、平和が近づいていますから」。
『スケボーが私を変える アフガニスタン 少女たちの挑戦』予告編
タリバン政権復活を受けて、襲われた無力感
しかしその後、情勢は激変。カブールの空港に市民が押し寄せ、離陸する飛行機に必死にしがみつくニュース映像が世界中に配信された。一刻も早く国を出なければと考えているスケーティスタンの生徒や教師たちに、ワフダートは毎晩のようにメールを送った。ある映画の製作準備中で、朝5時まで仕事をし、朝9時には再びスタジオ入りする生活だったが、普段なら問題になることも気にならなくなるくらい、アフガニスタンの少女たちを想う気持ちでいっぱいだった。
「映画を作ったって何の役にも立たないとすら感じてしまいました」と振り返る。「事態は一刻を争うというのに、自分はなんて無力なんだろうと」。ワフダートはドイツや米国の仲間と力を合わせて、現地の人の国外脱出を支援した。なんとか3人の出国に成功したが、2週間かかった。「米国、英国、フランス、ドイツのビザを手配できても、そんな具合でした」
映画に出演した教師たちは出国できたが、少女たちの消息はまだつかめていない。彼女たちは現在12〜13歳になっている。タリバンが“結婚できる”と考える年齢だ。ワフダートと仲間たちの救助リストには150人ほどの名前が並んでいる。
自身の経験を込めた作品づくり
ワフダートの父親は、彼女がニューヨーク大学の映画科で学んでいる間(2014-17年)に他界したため、ワフダートがアフガニスタンを訪れて、懸命に生きる少女たちのドキュメンタリー映画を撮ったことを知らない。そのとき希望に満ちていた少女たちが、祖国から逃げ出さなければならない状況になっていることも知らない。
2019年、助成金を得たワフダートは、ドイツで暮らしてきた父親と自分をモチーフにした短編映画『Bambirak』を製作した。8歳の少女が、配送ドライバーとして働く父親の仕事に同行する1日を追ったストーリーで、父親が日々直面している人種差別を理解しようともがく少女の姿が描かれている。
『Bambirak』予告編
Bambirak Teaser from zamarin wahdat on Vimeo.
直近のワフダートは、ベルリンで数本の作品を撮り終えてハンブルクに戻ってきたところで、これから、1970年から続く人気ドラマ「Tatort(タートオルト=事件現場)」の編集作業に入るという。ドイツでもこの分野で活躍する女性はそう多くないので、こんなふうに活躍できるなんて思ってもみなかったと言う。
その後は、ドラマ製作の話があるニューヨークに向かう。奴隷制の時代にルイジアナの小さな町で育った主人公の少女が、魔法の力を身につけて、支配者、敵対感情、戦争、そして将来を自分で決められない人生から街を解放させていく物語だ。
By Anna-Elisa Jakob
Translated from German by Peter Bone
Courtesy of Hinz&Kunzt / International Network of Street Papers
2021年8月以降、アフガニスタンでの「スケーティスタン」の活動は中断している。
https://skateistan.org
ザマリン・ワフダートの公式ページ
https://www.zamarinwahdat.com