福島第一原発事故で拡散した放射能で17都県におよぶ広範な地域が汚染された。政府はこれまで宅地や農地などの除染をすることで避難解除と帰還を進めてきた。その結果、福島県では除染廃棄物が大量に発生し、そのうち汚染土壌だけをみても2200万㎥に達する見込みだという。
汚染土壌、南相馬市、飯舘村で、道路や花畑に敷き詰める実証事業
除染廃棄物はいったん福島第一原発近くに計画されている中間貯蔵施設に集中させ、30年後には福島県外で最終処分されることになっている。環境省は、中間貯蔵用地や最終処分場用地の確保の観点から、福島県外に搬出する汚染土壌を減らすために、再利用することを「基本的な考え方」とした。そして、30年後に県外で最終処分する量を1割程度にまで減らすことを目標にしている。
そのための方法の一つとして、放射能量で放射性セシウム1㎏あたり(以下同)8000ベクレル以下の土壌を再利用に回そうという計画が進む。これでおよそ半分の1000万㎥分が減らせる。その用途は全国の公共事業。まずは、県内2地域(南相馬市、飯舘村)で「実証事業」計画が進行している。
実は、二本松市原セ地区でも計画があったが、当初の約束通りに中間貯蔵施設に集中させることを求めて住民が強く反対した結果、中止になった。その計画は地区内の除染土壌を行き止まりの市道の路盤材として利用し、現在の砂利道を舗装するというもので、全長約200m、費用は3億5000万円。高い費用をかけて行う意味がほとんどない計画だった。
一方、南相馬市小高区での実証事業は16年12月から10ヵ月の計画で始まった。除染廃棄物の仮置き場に隣接した場所で、仮置き場から運んだ3000ベクレル以下の汚染土壌1500トンを層状に積み、その上を非汚染土壌で覆い、雨水に放射能が溶け出してくる量や周りの空間線量を測定する。測定は今も継続されているが、すでに周辺への影響はないと結論づけている。しかし、もともと影響が出てこない程度の汚染レベルの土壌で調べているため、実証とはいえないものである。
また、飯舘村長泥地区では農地に利用。ここは帰還困難区域であり原則的には除染されないため、戻る人は20人程度と見られている。村内で発生した除染土壌の約半分、5000ベクレル以下のもの約140万㎥を農地に敷き詰め、非汚染土で覆土、花卉類を作付けするといわれている。環境省が区域内の除染と引き換えに汚染土壌を引き受けさせたようだ。しかし、農地での利用は、公共事業で活用するとした基本的考えからは逸脱している。
長泥地区分級施設予定地。豊かな農地だったが、事故後この付近では95.7マイクロシーベルト/時という高い放射線量を観測
原発事故による廃棄物なら1㎏あたり8000ベクレルは一般廃棄物として処分可能に
これらの「実証事業」計画は、安全性などの実証よりも再利用実績を積み上げる目的で進められていることがわかる。その先にある目論見は、除染土壌を全国の公共事業などに展開することだ。
中間貯蔵施設の用地取得は難航したが、復興庁によれば現時点では計画地の7割程度が確保できている。将来的には用地の確保もできるだろうが、問題は30年後に県外に搬出するという法律に裏付けられた約束があることだ。
そこで、事故による汚染物質に対する特別な法律を作り(※)、基準(8000ベクレル)以下のものは一般の廃棄物処分場で処分できることにした。通常の原発から出る廃棄物の場合には一般の廃棄物処分場では扱えないが、一定の基準(100ベクレル)以下は市場流通が可能となっている。たとえばコンクリートや鉄筋・鉄骨などの金属がこの対象だ。一方、汚染物質に対する基準8000ベクレルは緩すぎ、100ベクレルで統一しないと二重基準になると批判が出ていた。これに対して環境省は、8000ベクレルは処分できる基準、100ベクレルは再利用の基準だと説明してきた。
ところが、処分場の確保の困難が見えてくるや、8000ベクレル以下を公共事業への再利用基準とし、県外搬出を始めようとしてまさに二重基準状態となった。公共事業といえども引き受ける自治体はないだろう。
すり替えの大もとは、30年後に県外搬出するという、できそうもない約束をしたことにある。今からでも遅くはない、政府や東電はその場逃れの約束を謝罪し、除染廃棄物に正面から向き合って、福島の住民たちと貯蔵継続に関してきちんと話し合うべきだ。
※平成23年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う原子力発電所の事故により放出された放射性物質による環境汚染への対処に関する特別措置法
(2018年11月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 346号より)
伴 英幸(ばん・ひでゆき)
1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)
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