国内最年少、10歳でのホルモン治療でトランスジェンダーたちの道を拓く。「科学的なアプローチも含め、偏見をなくしていきたい」

 メルボルン生まれのジョージー・ストーンは、生物学的には男だが、幼い頃から性自認は女だった。10歳の時に家庭裁判所から許可が下り、「ホルモンブロッカー」*1というホルモン療法を受けた。この国内最年少のケースが先例となり、オーストラリアでは10代以下の若いトランスジェンダーに関する法整備が大きく進むこととなった。


*1 思春期遮断薬または第二次性徴遮断薬ともいう。

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2013年にはホルモン療法のステージ1を受けるにあたり必須とされていた裁判所の介入が不必要となり、2017年にはその措置がステージ2の治療にも適用されるようになったのだ*2。2018年にビクトリア州より「ヤング・オーストラリアン・オブ・ザ・イヤー」を受賞するなど、今やオーストラリアのトランスジェンダー界を代表する人物となっている。

*2 オーストラリアでは、若いトランスジェンダーがホルモン療法(ステージ1&2)を受けるのに裁判所の判断が必須とされていた。

ステージ1: 思春期遮断薬(第二次性徴抑制剤)。思春期の初期に適用される。
ステージ2: ホルモン(エストロゲン又はテストステロン)を処方することで、性自認と一致した身体に変えていく。通常、16歳頃から適用される。
ステージ3: 手術による性転換。通常、成人後に実施される。

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ジョージー・ストーン (Courtesy of Australian of the Year) 

私はからだの性と心の性が一致しないトランスジェンダーなので、学校ではいじめられたこともありますし、ホルモン療法を受けるために10歳で家庭裁判所に通わなければなりませんでした。
そんな経験もあって、幼い頃から「正しさ」や「間違い」といったことを意識していましたし、間違いがあれば正したいという思いが人一倍強かったように思います。

初めて裁判所に行った時は、とても恐くて、無力感を味わいました。自分の身体について重要な決定が下されようとしているのに、当の本人には発言権がないのですから。身体は男性思春期に入り始めていたので、できるだけ早く治療を始めたかったのに、裁判所手続きは非常に時間がかかり… 幼い私には精神的にも経済的にもかなりのストレスでした。

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ステージ2のホルモン補充療法を始めたのが15歳の時。この頃に、セミナーで自分の体験談を話す機会がありました。社会に何かを訴えかける、自分がそんな人間になるなんて思いもしませんでしたが、案外、その状況を前向きに捉えている自分もいて、いつのまにかこういう活動を続けていこうと思うようになったんです。

今やオーストラリアでは、トランスジェンダーの子どもが「裁判所の関与なし」にホルモン療法を受けられるようになりました。これは多くの人に関わる非常に意義のあることなので、とても誇らしいです。でも私一人の力ではなく、家族や医療関係者、その他のトランスジェンダーの子どもたちの支えがあったから成し得たこと。多くのサポートを実感できたから、自分のことを臆せず話すことができたのです。

学業との両立は難しいものの、若さこその変革をもたらしたい

正直、トランスジェンダーへの理解促進運動をするのが難しい時もあります。 学校はなるべく休みたくないので、あきらめなくちゃいけないことも多くて。 今は高校3年ですし、生徒会長も務めているので、何よりも学校を最優先させたいのです。

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校長先生は実にすばらしい方で、私の活動を応援してくれています。いろんな人に話してもらうイベントを企画したりもしました。学校のような一人ひとりにアプローチできる場でも変化を起こすチャンスをもらえ、とてもありがたいです。

運動を起こすのに年齢は関係ありません。若い人たちは大人が思うよりいろんなアイデアを持っていたりするんです。 ほら、米国でもエマ・ゴンザレスが銃規制運動で活躍しているでしょ!

参考:*3 メルボルンに拠点を置く「セントキルダフットボールクラブ」のこと。
*4 LGBTIコミュニティの理解推進をテーマとした試合。

By Katherine Smyrk
Courtesy of The Big Issue Australia / INSP.ngo

ジョージー・ストーンと母親が語る体験談
 

ジョージー・ストーン:12歳の自分へのアドバイス

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