Genpatsu

(2012年2月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第185号より)




1月18日、経済産業省のある会場は大荒れだった。大飯原発3号機のストレステストの意見聴取会が開かれ、締め出された傍聴者が会場になだれ込んだためだった。原子力安全・保安院は、この日、大飯3号機のストレステスト報告を承認することをあらかじめ決めていたようで、一般の傍聴は別室のテレビモニターで行うと数日前から発表していた。理不尽なやり方に傍聴者が憤るのも無理はない。このやり方に抗議する意見聴取会の委員もいた。結局、11人の委員のわずか4人が保安院の評価を承認しただけだった。

23日から国際原子力機関のスタッフが来日してこのストレステストをしたが、保安院のやり方が適切であると、承認した。その後、運転再開は「政治が判断」すると枝野幸男経済産業大臣は繰り返している。

ストレステストは菅直人前総理の発案で始まった。福島原発事故前と同じ検査方法では地元の了解が得られないから、追加的なチェックを加えたのだった。だが、これまで一度も行ったことがないので、方法を詰めていく途中で腰砕けになってしまった。テストというと何か具体的な試験の印象を与えるが、実際には、地震や津波、電源喪失といった事態に耐えられる余裕を計算するだけだ。より広い総合的なチェックは次の段階で、運転再開に絡めない。その上、合否の判断基準が示されていない。

大飯3号機、同4号機の計算結果は、3・11の地震前に想定した「最大」の地震の揺れの1・8倍までは耐えられる。これを超える揺れが襲ったらアウトだ。地震のエネルギーを示すマグニチュードは1増えるとエネルギーは32倍になる。2倍はマグニチュードで言えば0・1だ。1・8倍で合格とするのはいかにも心もとない。何よりも、福島原発が「想定外」の揺れに襲われたのだから、大飯原発の周辺でこれまで値切って見積もってきた活断層をつなげて正しく「想定」し直すべきだろう。

筆者は政府の委員会で、機会あるごとに従来の「想定」見直しを訴えてきた。報道によれば、ある程度は見直されるようだが、今の運転再開とは連動しない。これでは第二の福島事故を待っているようなものだ。






伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)