(2013年7月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 218号より)
実態を反映しない飯舘村の汚染モニター
ゴールデンウィークの前半、飯舘村に仲間と出かけた。飯舘村はのどかな山間の村で、“までい”な暮らし(今風にいえばスローライフ)をめざす村興しで注目されていたが、福島原発事故がこの村を住めない村に一変させた。ゴールデンウィーク中は区長に届ければ宿泊も可能で、家々に人の気配があり、避難所には連れていけない犬を散歩させている若いカップルもいた。
村へ出かけた主な理由は、飯舘村で文部科学省が設置したモニタリングポストの数値のチェックを行うためだった。以前からモニターが示す線量が実態よりも低い値だと多くから指摘され、文部科学省はモニタリングポストの機器類の配置を変えて「改善」した。私たちの調査は、つまりこの改善結果をチェックすることにあった。
ポストの周りはフェンスに囲まれているので、フェンス地点、1メートル離れた地点、2メートル離れた地点でそれぞれ2ヵ所ずつ、一つのポストに対して合計6ヵ所で調査した。今号で取り上げるのは、この時のデータがようやくまとまったからだ。
2日かけても、村内すべてのモニタリングポストを調べることはできなかった。しかし結果は周囲より低い数値を示していることが見えてきた。区長の長谷川健一さんも「私たちの被曝が過小評価される」と心配していた。表土を広範囲にはぎ取ったところでは、変化はそれほど見られなかったが、そんな結果は調査した10ポストのうち1つだけで、他はフェンス面でもモニターの値より高い、さらに離れるにしたがって、線量は高くなった。
そして、低い値の理由がポスト真下の土が掘り起こされているからではないかと推察された。モニターは長期にわたるだろうから、コンクリートなどで基礎をしっかり作ることは一概に間違いではないが、ならば、個々のポストが実態と合うように換算係数などで調整して周囲と同じ値を把握するべきではないか。
今回調査できた全地点での最少は0.8マイクロシーベルト/時、最大は7マイクロシーベルト/時。ざっと事故前の10倍から100倍程度の汚染が続いている。のどかな村での2日間の私の被曝線量は27マイクロシーベルト。東京での4ヵ月分の被曝線量に達していた。
伴 英幸(ばん・ひでゆき)
1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)