(2008年1月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 86号より)


ミトコンドリアDNAでたどる人類の起源



DNAの分析技術が進歩し、現代人はもとより古人骨に残された遺伝子(ミトコンドリアDNA)から日本人のルーツ、そして人類拡散の経路が明らかになった。篠田謙一さん(国立科学博物館)にその物語を聞く。



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分子生物学が巻き起こした人類のルーツ革命


これから私たちは、長く、壮大で、不思議な旅にでかけます。人はどこで生まれ、どのようにして世界へ広がっていったのか。あなたの祖先はどのような人たちで、日本人のルーツは一体どこにあるのか。そんなことをこの旅で探っていきたいと思います。

あなたがこれまで教科書で勉強してきたことは、もしかしたら少しお荷物となってしまうかもしれません。とりあえずそうしたものは横に置いて、今回はどうぞ身ひとつでおつき合いください。

ナビゲーターは分子人類学がご専門の篠田謙一さん。「分子生物学」はDNAを解析する学問ですが、「分子人類学」はそうしたDNA分析をもとに人類のルーツなどを研究している学問です。

どうしてこの研究にDNA分析が欠かせないのか? そのことをまず篠田さんから説明していただきましょう。

DNA分析の話で一番おもしろいのはオサムシという虫です。この虫は非常にいろんな種類がいるんですが、ある研究者が日本中にいるオサムシを集めてDNA分析をしました。そうしたらオサムシたちの姿かたちが種のレベルではDNAの近縁性と関係なく、バラバラだったことがわかったんです。ものすごく似ているかたちで先祖も一緒だったと思えるようなやつが、実はぜんぜん違うDNAを持っていたりする。だから分類学の研究者も、今ではみんなDNA分析を使うようになったんですね。





これと同じことが人類についても当てはまります。これまでのように人のルーツを化石からだけ探ろうとすれば、私たちはどうしても見た目や姿かたちにとらわれなければなりませんでした。

DNA分析のすごいところは、代々受けつがれる遺伝子情報そのものを見ることによって、人のルーツを探れる点にあります。実際、分子生物学が90年代に巻き起こした革命は、私たちにつながる現生人類誕生の考え方を一夜にして一変させるものでした。それについては後ほど、またあらためて触れましょう。




ミトコンドリアDNAをたどる。日本人最大のハプログループは「D」


さて、DNA分析でどんなことがわかるのか、ということの一つに、お酒の「強い人」「弱い人」があります。あなた自身はどうでしょうか? もしお酒に弱い人であれば、少なくともあなたの祖先のひとりが中国南部の出身であることがわかりますよ。

ALDH2という遺伝子があります。この遺伝子の正常型を持つ人はお酒に強く、変異型を持っている人はお酒に弱いとされます。アフリカやヨーロッパなどの地域ではほとんどの人が正常型を持つのですが、中国や日本などの極東アジアに目を向けると変異型の人が目立ってきます。

この場合、中国南部から遠ざかれば遠ざかるほど、この傾向が弱くなるように見えるため、正常型の遺伝子が突然変異を起こした(お酒に弱い人が生まれた)起源地が中国南部にあるのではないかと推定されています。




「日本人のルーツを探るのも基本的にはこのやり方と同じなんですよ」と篠田さん。

ミトコンドリアDNAの種類によって日本人もいくつかのグループに分けられます。そのグループの分布図をもとに、私たちの祖先がどのようにして日本へやって来たかをたどるのです


ミトコンドリアDNAとは、母方からのみ子どもに受け継がれる遺伝子のことです。さまざまな利点から分子人類学の研究に用いられてきました。このミトコンドリアDNAのタイプによって分けられるグループを「ハプログループ」と呼びます。

日本人のハプログループはだいたい16種類ほどあって(その他は別とします)、そのなかでも最大のハプログループは「D」と判明しました。さらに細かくD4、D5、D6と分けることもできるのですが、日本ではD4、D5の人たちが4割ほどを占めています。ハプログループDは中央アジアから東アジアにかけてもっとも優勢なグループであり、朝鮮半島や中国の東北集団でも3割から4割ほどを占めていることがわかりました。

また、日本人の7人に1人とされる第2の集団がハプログループ「B」。このグループは分布図や人口の多さなどから、およそ4万年前に中国の南部で誕生したということが推定されています。




篠田さん自身のハプログループは「N9a」と判明しました。「DNAのデータバンクを通じて、私も同じハプログループの人たちが現在どこにいるのだろうかと調べてみました。すると数は少ないのですが、東南アジアや漢民族にいることがわかったんです」

このハプログループN9aは、はるかヒマラヤ山脈の北を越えて、東アジアにやって来たのではないかと篠田さんは考えています。

自分の祖先もヒマラヤ山脈を越えてきたんだろうなと想像しますよ。大変だったろうな。苦労したんだろうなと。ただ、彼らは苦労しながらもきちんと子孫を残してきたわけです。そうして今、私がここにいる

このようにミトコンドリアDNAからわかることは数多いのです。が、そこから導き出されるのはあくまで母方のルーツだけ、ということも私たちは忘れてはならないでしょう。

「私の父親のハプログループはAですし、私にはそちらのルーツもある。一人ひとりにはあらゆる遺伝子が受け継がれている、と考えたほうがよいのでしょう」




http://bigissue-online.jp/2013/11/11/shinoda-san-2/">後編<
分子人類学者・篠田謙一さん「日本人のルーツは東アジアの大陸をまたいでいる」(2/2)>に続く>